~序章~

文字数 1,568文字

 月の光が微かに差し込む薄暗い廊下の中、チカチカと天井の蛍光灯が点滅している。

 かつては多くの人が住んでいたと思われるマンションの廊下は、嵐にでもあったかのように様々な物が散乱し、ガラス窓は完全に割れ、外からの風が廊下の中に吹き込んでいた。

 その廊下の中央、まだ光が当たらないそこで異様な程大きな影が蠢いていた。
その影がもぞもぞと動くたびにゴキャッ、バリッと何かを砕くような不穏な音が耳に入ってくる。

 月の光が傾き、廊下を照らす。
月明りを受けたそこには、3メートルはあろうかというほど巨大な全身を薄緑色の体液で濡らし、大きな頭部にカエルのような怪しく光る眼玉、大きく裂けた口 ―人間の上半身のような物がぶら下がっている― をした、この世には存在しえないモノ、古くから”魔物”と呼ばれるモノがいた。

「しまった、間に合わなかった」

 と突然、現在の状況には似つかわしくない少女の声が響いた。

 声のした方向、月明りを受けたそこには、どこかの高校の茶色いブレザーの制服を着た薄茶色のストレートロングの少女と、その少女の腰まで届く大きな蒼い毛並みの狼が立っていた。

「夏芽(なつめ)、ヤツがターゲットだ」

 低くどこか威厳のようなものを感じさせる声を、狼は隣の少女に向けて発した。

「そうみたいだね、月牙。被害者の遺体は任せたよ」

 夏芽と呼ばれた少女は、隣にいる蒼い毛並みの狼、月牙(げつが)に言うと、紺の革手袋を着けた両拳をボクサーのように怪物に向けて構えた。
 突き出された両拳の手袋には何やら紅い紋章のような物が施されている。
「いくよっ」
夏芽がそう言った瞬間、その身体は廊下の端から怪物の下へ一気に間合いを詰め、右拳が魔物の顔面に叩き込まれていた。

 夏芽の拳が当たった瞬間、グチャと音を立てて魔物は廊下のさらに奥へと吹き飛んでいく。
その中を月牙が疾風のような速さで、魔物の口からこぼれ落ちた被害者を受け止めた。

「月牙、ナイス!」

「夏芽、被害者の遺体は奪還した。あとはその化け物を消滅させるだけだ」
月牙が被害者の遺体を廊下に寝かせながら叫ぶ。

「了解、月牙。じゃあ、止めの一撃いくよっ」

 夏芽はそういうと右拳を額の前に掲げ、何やら呪文のような物を唱え始めた。
「人の魂を喰らうため闇より現われしモノよ。我が紅蓮の炎により再び闇に還れ」
言い終わると同時に夏芽の右拳が光を放ち、その身体が炎のように紅く輝き出す。

「鳳凰飛翔波(ほうおうひしょうは)」

 夏芽が紅く光る右拳を突き出すと、その右拳から鳳凰の形をした炎が現われ、甲高い鳴き声とともに眼前の怪物に向かって飛んでいく。

「グワァァァ」

 紅蓮の炎を纏い迫る鳳凰を避けることが出来なかった魔物はカエルのような鳴き声を上げ、その身を炎に焼かれ塵一つ残す事無く燃え尽きた。

「よし、取り敢えず怪物は倒したけど……」

 夏芽は月牙の足元に横たわる、遺体の傍にしゃがみ手を合わせる。

「貴方を殺した魔物は倒しました。間に合わなくてごめんなさい。願わくば、貴方の魂が安らかな眠りにつけますように」

 夏芽が悲痛な顔でそう祈りを捧げると、遺体が白い光を発し男性の魂が夏芽の前に現われた。

『ありがとう。君のお蔭で私の魂まではあいつに喰われずに済んだ。本当にありがとう』

 男性の魂はそっと微笑むと空から降り注ぐ光の柱に包まれ、安らかな顔をしながら消えていった。

「月牙、あの人を救えたのかな?」

男性の魂が消えていった夜空を見つめながら、夏芽は横にいる月牙に尋ねた。

「さっきの顔を見ただろう。大丈夫、救えたさ」

 夏芽と同じく夜空を見上げる月牙から返ってきた言葉は、闇夜に瞬く星々のように穏やかなものだった。
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