~第五章 神代~

文字数 6,004文字

 響子と別れてから一時間あまりが過ぎようとしていた頃、夏芽は洞窟の中程まで進んでいた。
ここに至るまで、いくつもの障害を夏芽と月牙は乗り越えてきたことを、身体中の傷が物語っていた。

「はあっはあっ、半分までは来たかな」
「ああ、そのはずだ、霊脈の乱れが強くなってきてるのを感じる」
月牙の言うとおり、霊脈の乱れは洞窟を進むほどに強くなっていた。
「急ごう、月牙」
「ああ」
夏芽と月牙はさらに走る速度を上げた。

----洞窟の最深部――――

 封印石の前では依然として鬼頭 総一郎と神代 晃の二人が印を紡いでいた。
「晃、気付いているな。怜司が死んだ」
「はい、どうやら風間の娘と相討ちになったようで」
両者は表情ひとつ変えない。
「ここはもう大丈夫だ。あの娘の相手をしてやれ」
総一郎がそう言うと晃は印を紡ぐことを中断し、総一郎に一礼してから封印石の間をあとにした。

 迷路のように複雑な道を走ること数分、夏芽達はホールのように拓けた場所に辿り着いた。
天然の鍾乳洞を改造したホール、そこには一人の男が立っていた。
「夏芽っ」
月牙が叫ぶのと同時に夏芽達二人は立ち止まる。
「私は神代 晃(かみしろ あきら)これ以上お前達を先に行かせるわけにはいかない。ここで死んでもらう」
白い着物を着流した男の姿が陽炎のように一瞬揺らぐ。

「……っ」
晃の姿が夏芽の前方十メートルの距離から夏芽のすぐ横に見えた。
瞬間、その一瞬の反応で夏芽は素早く屈むように頭を下げる。
一瞬遅れて夏芽の頭があった空間が斬れた。
「ほぅ、さすがにここまで来ただけはある」
少し無様だが、夏芽は地面を転がるように晃との距離を取り、そしてすぐに片膝立ちになる。
夏芽は晃の手を見たが、そこには何もなかった。
確かに鋭利な、日本刀のようなものが通った感覚があったというのに。

「何やら信じられないといった顔だな。いいだろう、私の能力を教えておこう。私の能力は、霊力を手足に蓄めて全てを斬り裂く刃とする」
晃の言葉に夏芽の脳裏に鬼頭家と神代家の退魔師が全身刻まれたという事を浮かび、夏芽は驚きを隠せなかった。

 「神代、退魔師、あなたは二十年前の神代家の生き残りね」
「そう、私はあの時の生き残り……と言うよりはあの事件の首謀者の一人といったほうがいいかな」
晃は一歩ずつゆっくりと夏芽に近付いてくる。
「自分の家族を殺すなんてどうかしてる」
夏芽は素早く立ち上がるとボクサーのように両拳を前に突き出して構えた。
「ふっ、お前のような子供に説明したとしても私達の苦しみは分かるまい」
晃は両手をだらりと下げる。一見隙だらけに見える構えだが夏芽達は晃を攻撃できないでいた。
晃の全身から立ち上る大きな霊力と、刃物を首筋に当てられてるかのような殺気を感じているからだ。
<夏芽、俺が隙を作る。その隙を突いてくれ>
<分かった。だけど気を付けて、かなり強い霊力と切れ味だよ>

 一瞬のアイコンタクトを交わすと、月牙は晃に向かって走りだした。
走りながら月牙の口から蒼い炎の塊が放たれる。
「ふっ」
晃は立っている場所を動く事無く、手の動きだけでそれらを両断していく。
「今だ、夏芽」
月牙から十メートルほど後ろにいる夏芽は、何やら印のようなものを紡いでいた。
「闇に染まりしものよ、我が紅蓮の炎により再び闇に還れ」
夏芽の右拳が光を放ち、夏芽の身体が炎のように紅く輝きだした。
「鳳凰飛翔波」
夏芽が右ストレートを放つと右拳から鳳凰の形をした炎が現われ、甲高い鳴き声と共に晃に襲い掛かっていく。
「こんなモノで私を倒せると思うのか?」
晃は静かに両手をだらりと下げる。
そして、夏芽の目にも見えない速度で迫りくる鳳凰を両断した。

真一文字に斬られた鳳凰はそのまま消滅した。
<……速いなんてもんじゃない、見えなかった>
茫然と立ちすくむ夏芽に月牙が叫ぶ。
「夏芽、避けろっ」

 瞬間、夏芽の胸が斬り裂かれた。
だが、ほんの一瞬速く飛び退いたため、茶色のブレザーと薄い水色のワイシャツ一枚が斬り裂かれただけに終わった。

「中々良い反応だ。しかし、分かっているな?」
晃は左手を地面まで振り下ろした態勢で問い掛ける。
「分かってる、今のは浅く斬ろうとしたから服だけで済んだ。今のが全身を斬る気なら私は死んでた」
「そういうことだ」
晃はゆっくりと左手を戻しながら立ち上がる。
<この人、本当に強い>
「どうした、もうこないのか?」
晃の姿が再び揺らぐ。
「終わりだ」
次の瞬間、晃の右腕が夏芽の頭上から振り下ろされていた。
夏芽の下へ走り寄る月牙の目に、その光景はスローモーションのようになって見えた。
<夏芽っ>
声にならない叫びをあげる。ゆっくりとだが、確実に夏芽の頭へ近付いていく死の刃に月牙が絶望にも似た感情を抱いた直後、夏芽は両腕を頭上で交差させた。
「ほう」
晃の右腕を防御した夏芽の両腕が淡い紅い光を帯びていた。
<私の霊力と同じ量の霊力を蓄めなければこんな防御は出来ん。瞬間的にそれを調節したというのか。まるで昔の総一郎や私を見てるかのようだ>

 晃は一瞬だが、ふっと昔の修業時代を思い出し口元を緩ませた。
「もう、やらせない」
夏芽は叫びながら晃の右腕を弾き、腹部めがけ霊力を込めた左拳を打ち込む、しかし、それは晃の左手に阻まれた。

「たああぁっ」
夏芽は攻撃を止められたことを気にせず、霊力を込めた右拳を晃の顔面に突き出したが、頭を僅かに動かしただけで躱される。
「当たらなければどうということはない」
「くっ、ああああっ」
夏芽の身体が高く宙を舞う、晃が掴んでいた夏芽の腕ごと夏芽を投げ飛ばしたのだ。
五メートルほどの距離を飛ばされたが空中で身を翻し着地する、が、着した直後に晃の右拳が夏芽の顔面を襲う。
「ぐぅっ」
夏芽はそれを咄嗟に顔面の前で組んだ両腕で防御する、拳が激突した瞬間に防御した両腕がミシリと軋む音が聞こえた。

「夏芽をやらしはしない」
月牙が二人の横合いから炎の塊を放ちながら晃へ走り寄る。
「ならお前から殺してやろう」
言った直後、晃の姿が夏芽の前から消え、次の瞬間身体から血を噴き出しながら吹き飛ぶ月牙と、その月牙の横で右手を振り下ろした晃が見えた。
「月牙っ」
夏芽の声が聞こえたのか、月牙は何度か転がったあと足を震わせながら立ち上がった。依然として身体からは血が流れ落ちている。
「大丈夫だ、障壁を展開した上だから皮一枚が斬れたにすぎない」
「よくあの瞬間に障壁を展開したな、誉めてやろう。しかし、次は障壁を展開させる間すら与えずに斬り捨てる」

再び両腕を下ろした構えでゆっくりと二人に近付いていく晃。

<月牙、どうする?>
<最大の霊力で障壁を展開させ囮になる、その隙に夏芽が攻撃してくれ。鳳凰飛翔波がだめなら鳳凰天翔波がある>
夏芽達はアイコンタクトを交わすと、晃に向かって戦闘態勢を取る。
「そうでなければな」
晃が立ち止まると同時に姿が消えた。
<来るっ>
夏芽は反射的に自身の右側に右拳を放つ、すると晃がそこに現われ夏芽の攻撃を片手で受け止めた。
「ほぅ、だんだんと反応が出来てきたようだな。だがっ」
晃は霊力を蓄めた左手で夏芽の胴を貫かんと貫き手を繰り出す。
直後、その背中に青白い炎の塊が熱気とともに凄まじい速度で迫っていた。
「なかなか良い攻撃だ」

晃は振り向きざま右手で炎の塊を斬り落とした。
「鳳凰天翔波」
背後にいる夏芽の両腕が紅く光を放ち、夏芽の全身が炎のように紅く輝きだした。
「そんなものは効かん」
再び夏芽に振り向くと、晃は青白く輝く右腕を振り下ろす。

夏芽の両腕から放たれた双頭の鳳凰は、晃の首元を狙い顎を開く。

しかし、鳳凰は首を砕くことは出来ず頭から真っ二つに斬り裂かれた。
「なに」
晃の眼に信じられない光景が広がる、斬り裂いたはずの鳳凰の真後ろからもう一匹の鳳凰が甲高い鳴き声をあげ現われたのだ。
「鳳凰飛翔波、いっけえええええぇっ」
「くっ」
鳳凰は加速し、防御姿勢のとれないままの晃を飲み込んだ。

「ぐっうおおおおおおっ」
鳳凰は晃を飲み込んだまま上空にはばたき、きりもみ回転を加えながら地面に落ちていった。
凄まじい爆煙が上がり、振動で鍾乳石が何本かが落下する。
「これで、どう?」
只でさえ霊力を大幅に消費する“鳳凰飛翔波”と“鳳凰天翔波”を連続で放ったのだ、夏芽は片膝立ちで肩で息をしていた。

 月牙が夏芽を気遣い傍に駆け寄るのと、爆煙の中から晃が歩いてくるのはほぼ同時だった。
「はぁはぁ、まだダメかぁ、はぁはぁ」
全身を朱に染めながら歩いてくる晃、夏芽と月牙が構えを取ろうとしたとき、晃の口から意外な言葉が放たれた。
「私の負けだ」
「えっ?」
驚く夏芽達を余所に晃はさらに続ける。
「あの瞬間、お前は私を超えた。故に私の負けだ」
「一体どういうつもりだ?」
「お前の姿に昔に持っていた純粋な力を感じた…。私や総一郎にはもう失くなった歪みのない力…。
それが私の僅かな罪悪感を揺り動かした。二十年前…私や総一郎はこれからとる行動が歪んだものだと気付いていた、しかしまだ幼かった私達は行動しなければならないと信じていた。
二十年経ち、過ちを背負えるだけの成長はしたつもりだ。…だから、頼む、私の代わりに総一郎を止めてくれ。私では止めることは出来ない」
晃は夏芽達へ詫びるように頭を下げた。

 夏芽達はしばらくそれを、いいようのない息苦しさを抱え見ているしかなかった。
永遠に続くかと思われた長い沈黙のあと、夏芽が口を開いた。
「確かに貴方達がしたことは許せない……だけど罪を償うと言うのなら退魔師として、私は……いや一人の人間として私が鬼頭を止める」
夏芽が傍らの月牙を見ると、月牙も賛同するように頷いた。
「すまない、感謝する。そして、私達は甘んじて罰を受けよう」
晃はそういうと月牙に歩み寄り自らが付けた傷を回復させた。
「それじゃ、神代さん、必ず止めてきます」
夏芽達はそう言い残すと、振り向きもせずに鬼頭の居る祭壇の間に向かって走りだした。
<頼んだ、草薙家の若き退魔師達よ。総一郎、裏切るようですまないが、もう終わりにしよう>

「……おや?良いんですか?主の鬼頭様を裏切って」
晃の背後から狂気を宿した男の声が聞こえてきた。
「生きていたとはな、霧島怜司」
晃が振り向くとそこに居たのは、響子との戦いで死んだはずの霧島怜司だった。
「手負いの状態で私に勝てますか?」
怜司の顔に薄い笑みが浮かぶ。
「手負いはお互い様だ」
「そうですね。悪いですけど先を急ぎますので」
怜司はそういうと両手にナイフを出現させた。
瞬間、怜司の左手が宙を舞い晃は怜司の背後にたっていた。
「なっ」
怜司の顔に一瞬だが驚愕の色が浮かぶ。
「私も本気を出さないといけないようですね」

  怜司の周囲に青白い光の粒子が集まっていく、そしてそれらは徐々に人の形を形成していく。
「……そうか、それが貴様の能力か」
数秒もしない間に光の粒子はクリフォードと李幻覇の姿となった。
「さあ、私達三人相手に勝てますか?」
「いやぁ、神代君。君と戦うとはね、いやぁ楽しみ、実に楽しみだよ」
クリフォードはそう言うとゆっくりと晃の前に歩みだす。
「ふぉっ、ふおっ、ふおっ。天才と謳われた退魔師の一人と戦えるとはな。怜司に感謝せねばなるまい」
李幻覇は両腕に呪符を出現させる。
「お前達が私の相手になると思っているのか?」

所々を朱に染めた着物を着たままの晃は、そう言うと両腕をだらりと下げる。
「死ぬ、神代」
クリフォードと李幻覇は同時に晃に攻撃を仕掛ける。
クリフォードの黒い魔力の光球と李幻覇の銭剣に変化した呪符数本が晃に襲い掛かる。
が、次の瞬間、晃の姿が三人の前から消え、クリフォードと李幻覇は腹部から両断され上半身と下半身に分かれた。

クリフォードと李幻覇は、それぞれ驚愕の表情を浮かべる間もなく光の粒子に戻り消えた。
「次は貴様だ、怜司」
「……ふふふ、そうこなくちゃ楽しくないですよ。さすがに鬼頭様が信頼するだけありますね。ですがっ」
怜司は右手にナイフを出現させ、晃に放とうとした。
が、片眼鏡が割れ怜司は頭から縦に両断された。
怜司の頭の斬り口から何やら小さな人形が飛び出した。
「それが貴様の本体か」
晃はそう呟くと右手を横に振った、すると小さな人形は空中で目に見えないぐらいに細切れになり風に吹かれ消えた。
怜司を両断した晃は踵を返し夏芽達が走っていった方向に振り向いた。
直後、背中に衝撃が走る……。
「ふっ、怜司め。ただでは死な……な……いか」
そう呟く晃の背中に数本のナイフが突き刺さっていた。
ナイフを突き刺した者の正体、それは半分に両断された怜司の死体だった。
「ふっ」
晃は振り返りざまに、まだ立っている怜司の死体を斬り倒す、すると斬り倒された怜司の死体は塵となり消えた。
「……これで邪魔な……モノは……居な……く……なっ……た」
晃はその場に片膝を立て座り込んだ。
背中からはおびただしい量の血が流れているが、刺さっていたナイフは、怜司が消えると同時に消えていた。
「……総一郎……先に……往って……罰……を……受けて……い……るよ。あ……ああ……姉さん……ただい……ま」
ごふっと血を吐くいた後、ゆっくりと晃の身体が地面に倒れた。

――――封印石の祭壇----

<……晃、お前が先に死んでどうする>
総一郎は印を紡ぎながらも、生涯唯一人の親友が死んだことを感じていた。
<先に往っていろ。そして、母様の相手をしていてくれ>
総一郎の声が一際大きくなり、印を紡ぎ終わると総一郎は目を開けた。

 同時に封印石から発せられていた淡い緑の光が強烈なものになると、封印石にかけられていた数枚の護符が付いていた縄が千切れ飛び、赤い呪印が輝き、封印石が大きな音とともに縦に割れた。
「さあ、霊脈よ存分に暴れるがいい。そして、この世界を破壊するのだ」

 総一郎がそういうと、割れた封印石の間からオーロラのような光が溢れだした。と、同時に日本全土を襲っている地震がその大きさを増した。
北海道では夏だといううのに季節外れの大雪が降り、首都圏の大都市では巨大なビル群が次々と崩壊し、京都や大阪の歴史的建造物は炎上し、九州の阿蘇山は噴火した。

災害や天変地異はその後も続いた。

「夏芽」
「うん、封印が解けた。急ごう」
振動する洞窟の中を走りながら、夏芽達は霊脈の乱れを感じ、走る速度を速めていった。
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