無意味に夏は飽きに逝く

文字数 5,000文字

クレヨンで乱暴に紙面を擦る。赤いまん丸と、そこから生えてきた赤と黄色のぶっきらぼうな線。それを描いた少年は「これが太陽だ」と豪語する。畳の香りが切ない部屋で、少年はその日の分の絵日記を書き終えた。なお現時刻は朝の九時。昨日の書き忘れを埋めた訳ではない。今日の分の宿題を前もって終わらせただけなのである。



*☆*

きょうはひみつきちをつくってみんなとあそびました。えいえんにつづけばいいのにっておもいました。

きょうはうちあげはなびをみました。ひたすらにきれいでした。

きょうはうみにいきました。かいがらからたくさんのおとをききました。

きょうはあいすこーひーをのみました。とってもむずかしいあじでした。

*☆*



「このにっきつまんねー」



───少年の夏休みは退屈であった。だからこんな嘘っぱちしか書けなかった。大切な思い出を絵日記に書き残したくても、流れていくだけの時間の中には思い出の種も無い。書いてて楽しくない日記なんて書く意味がないのだから、彼はいよいよ諦めて適当に書くことにしたのだ。

少年はランドセルに絵日記とクレヨンをしまって、そっから外に出た。
友達がいないから廉価な内容の絵日記。とにかく、彩るための素材(思い出)がないのだから仕方がない。記憶しとくにも馬鹿らしかったから、少年は一人ぼっちの冒険に出たのであった。



***



ボロ家を出ると、辺りは田んぼだったり木だったりがまばらに姿を見せた。都会暮らしの少年、今年の夏休みは父の実家へと帰ってきたのだ。
少年はこの田舎町に馴染みがない。関東と東北の最北部の県では空気が全然違うのだ。
生まれて初めてこの大地に訪れた少年は、生まれて初めての大自然が広がる風景に最初こそ興奮したものの二日目には飽きた。元いた町に帰るまでは友達とは遊べない。一人ぼっちで退屈な夏。何となく少年は昔転校していった同級生の気持ちが分かった気がした。そんくらい、少年には虚脱感があったのだ。

よって暇で暇で仕方がないのだから少年は冒険をするしかない。暑くて炎天下の外を歩くのも億劫ではあるけれど、家でゴロゴロしているよりかは退屈しのぎになる。少年は近場の林に一人入るとそのままゆっくりと散策した。ここ最近ずっと通いっぱなしの場所だ。



「───」



おかしな話だ。「友人のように日々を共有できる人達がいない」から詰まらくて、絵日記という宿題において辛酸をなめているというのに、少年はその感情を促進させるような行動をしている。一人ぼっちの空間を寧ろ肯定しているかのようである。少年もその矛盾を薄々感づいていたけれど知らないふりをしていた。つまるところ彼は「きっと冒険すれば新たな出会いがある」と思い込む事にしか己の孤独を紛らわす術を知らなかったのである。

尤も、この世界には幻想的な景色はあろうとも空想的な生き物など存在しない。呪術も魔法も絵空事に過ぎない。故に”特別”なナニカとの邂逅を望もうとも、絶対に果たされない。結局この日も平凡な散歩のうちに日が暮れて、少年は家路にさっさと着いたのであった。

お風呂に入って、夕食を食べる。単純なサイクルには嫌々だったけれど、それに従わずしては一日を終了できないのでやむを得なかった。

風呂上りの夕食。少年は父と祖父母と一緒に田舎くさい甘いんだかしょっぱいんだかよく分からない味の何かを食していた。都会のハンバーガーのように単純な美味しさがある訳でもないソレを我慢して食べ終えた少年は、誰よりも早く、此度の帰省で与えられた自室へと逃げるように向かった。襖を閉じ、十回は読み返したであろう漫画のお気に入りのページをめくって、そっから秒で飽きた少年は寝るしかなかった。



*☆*

それはそうと読者諸君───特にも少年少女時代を経験したベテラン若造戦士諸君に問いたい。君たちは幼い頃、性についての感情が高ぶった経験はあるだろうか。恥ずかしからずとも諸君らの意識に微か残る記憶の残滓を調べればよい。
恐らくだが、大半の輩はそのような何とも形容し難い感情を過去抱えた経験があるのではないかと私は推察する。そして、私は初恋の思い出だとかムズムズする感覚は確かに”ほんとう”であったと、思ってよいのだと思う。記憶とは胡散臭くなるもので、果たしてそんなに”楽しい青春”があったのかと今を卑下して過去を否定したくなる気持ちは分かるが、物語の中ではそこまで見栄を張らなくてもよい。
その感情の真贋はともあれ、今その過去の事実を肯定したいならすればよいのだから。

*☆*



「あれ、迷子かなボク?」
「……え?」



先述描写した日の次の日のお昼。少年はいつも通り雑木林で涼んでいたのだが、突如として一人の大人の女性が声をかけてきた。女性の見た目は単純だった。
白のワンピースに白のバケットハット。黒髪のロングヘアー。そんでもって美人。
キャンバスに”夏”を書けと言われれば即座に思い浮かべる程度には、彼女はごく平凡な”夏の女性”なのであった。

けれど少年にとっては何か特別な女性に見えた。故に恥ずかしく、太陽のように直視できない存在であった。



「ちがう」
「好き好んで一人で居るの?」
「おとうさんのじっかにきた。ともだちいなくて、まいにちつまらない。だからいつもここにひとりでいる」



少年は何だか全身ムズムズさせながら答えた。何だか初めての感覚だった。



「確かにこの町なんにもないから暇だろうな」
「…………おねえさんは?」
「私?私は暇じゃないよ。実はね、一人旅でここ来たんだよ。と言っても日帰り旅行よりもさらに低予算なのだけれど……軽い羽根伸ばし的な?みたいな?」



話を聞くに彼女は大学二年生らしい。この町の最寄り駅から六つほど離れた所に住んでいる彼女は此処まで電車で訪れて、自然を感じに来ているらしかった。木漏れ日の甲斐なく彼女は汗をダラダラとかいている。普段であれば汗だくの人を見ても「きたない」という感想しか持てない少年であったが、彼女に対しては微塵も嫌悪感が湧いてこなかった。

また不思議なコトに彼女が大きな岩に座った時には、なんとも寂しいような悲しいような感情が脳にて巡った。岩は汚れていて、土も汚い。自分も彼女も何故こんな汚い空間で過ごしているのかと、唐突に不快感を覚え始めた。



「でも何だか申し訳ないことしちゃったかもね」
「なにが?」
「だって此処、君の秘密基地みたいなものでしょ?そんな神聖な領域に見ず知らずの他人が入ってきたら迷惑じゃない」



そうか、と少年は一人納得しかける。自分の居場所に不法侵入者がやって来たから自分はここまで混乱しているのだ。彼女は少年からしてみれば大人だったのだし当然といえば当然であった。しかし妙にその納得の仕方では少年の感情は説明しきれないようにも思えた。このムズムズする感覚はいったい何なのだろうか。クラスの可愛い女の子を見てもこんな状態にはならなかったというのに。



「じゃあそんなところでお暇するかな。じゃあね、少年!」
「……あ、まって……」
「───うん?」



少年はそんな訳の分からないムズムズを制御できずに声を出してしまう。ただ「寂しかったから・詰まらなかったから」では説明のつかない不条理な感情を漏らしてしまったのだ。



「……めいわくじゃない」
「───迷惑?……あ、そういうこと」
「……」
「うんいいよ。私も暇を楽しみに此処に来た訳だし、こういうのも悪くない」



女性はそう言うと嬉しそうに大学の私生活だとかを”辛辣”な大人の言葉を交えて語った。言っている事の半分も理解できやしなかったけれど、少年はこの幻想的な(あくまで彼の主観)女性と時を共有できるだけで幸せであった。
それは初恋なのだが、本人が気付くのは彼女と同じ大学生になってからなのだけど、これとは別の話。



「だからね、ある程度”子供”が落ち着いてくると人間は途端に懐かしさを求めたくなるの。だからかな、私はこの地を訪ねたのかもしれない」
「むかしここにすんでたの?」
「住んでないよ。生まれて初めてこの地に立ってる。だけれど、こんな自然豊かな場所にいると人って何となく懐かしい気分になるの。もう子供の頃の時間は帰ってこないって知ってるから、それでもあの頃に戻りたいって心の奥底で思っているから───自然に対して郷愁を押し付けているのかもしれない。いったい何を根拠に人は郷愁を覚えるんだろう」
「……」



はっきり言って上の空であった。でも何でかこの女性の言葉にはどこか惹かれるところがあったのだ。木陰がまばらで、ザクザクと陽射しが刺さって来る。汗はやっぱりぷつぷつと湧き上がる。普段であれば少年は汗をかいたら近くの自販機からコーラを買うのだけれど、不思議と足が進まなかった。

この林から出てしまえば、この幻想的な女の人を失ってしまいそうで。ガキ特有の、物事を壮大に捉えすぎてしまうヤツ。俗に言う厨二病に近い症状だ。



「何かに夏だとか郷愁を感じるっていうのは良いコトだけれど、ありもしない未経験の物語にソレを感じるっていうのはやっぱり人間側の想像力の愚かさ。その味の本質を分かっているのか不安になるくらい愚か……ってアナタには分からないかな?大丈夫だよ、分からなくても。まだまだ子供でいいの。それに人の話なんて分かる範疇でだけ納得しておけばいいのだし。人間である以上、見えない世界は見えなくても仕方がないのだから」
「───っ!」



───女性の麗しきまんぷく笑顔。満面の笑みで女性はそんな寂しいコト言ってくれる。
だからこそ少年は知りたいと思った。この女性を見失いたくなかったのだ。手中から零したくなかったのである。
この女性を理解したかった。この人を自分の一部にしたかったのだ。なんとなくの好奇心が手放せなかったのである。



「日も暮れてきた……じゃあさよなら少年」



まっ()()入道雲は天低く蠢いている。内臓をえぐられるように。
少年は、終ぞその女性とは別れてしまったのだけれど。
─────また一つ、夏風という物語を失ってしまった。凶悪な痛みだけが少年の心臓に残響していた。



*☆*

貝殻の凄惨な音。物語として死んだモノのみからしか人は世界の全貌を知り得ない。
だったら、その貝殻のネが安定しない電波であれば?妖精のような超常的存在の真実が神様から語られるとでも?
───いつでも愛されると思うな愚か者。
メッセージ性の欠けた電波であれば?それはその貝殻のメロディを愛するしかないんじゃねの。詩なんざ知らねぇってか?
少年は、人ゆえに持つ致命的弱さを認めるコトなんざできねー訳なのにな。
ああそれと最後にお言葉一つ。
体に遺されなかったソノ夏風泣いてるぜ?知ったこっちゃねーがな!
……溶け込まず、大切にされず霧散した夏風。無情にも世界では風が吹いているのだけれど。

*☆*



少年は絵日記を消した。今日の分だけしっかりと書き直した。最初、女の人の事を絵日記に綴るのは恥ずかしかったけれど、描きたかったのだから仕方があるまい。記録として遺しておくコトが、忘れたくないコトの延命行為となると信じて少年は今日の日の出来事を殴り書きしたのであった。まるで女性の存在自体が、少年の人生を書き換えてしまったよう。

ああそれにしても、と。もっと彼女と話しておけばよかったと後悔する少年。いざ描いてみても、あの時出会った女性のイメージとは合わない人物描写やイラストばかりしか残せなかった。「もっとあの女性は美しかった」「もっとあの女性の喋る言葉は清らかであった」だとか、不満が漏れてしまう。



「だとすると……」



果たして今描いている内容は「正しい思い出」であるのか、少年は自信が持てなかった。顔もまともに拝めなかったのに「完全で否定の仕様がない絶対的模倣品」なんて書ける筈なかったんだ。いや、拝めたところで神聖すぎて直視できまい。ならばサングラスごしに見れば───否、それでは本物の姿を認識しているとは言えない。それに、彼女の私情を知らなければ彼女を知っているとは言えないのだろう。少年はフリーズした。セミの鳴き声だけが彼の部屋で騒がしい。夏休みの宿題の膨大さに気づいたようであった。少年が何一つ分かっていなかった彼女は、それだけ焦るくらいにミステリアスだったのだ。



「これは、このおもいでは、ぼくのそうぞうによってうみだされていた……」



ともあれ、もう何が嘘か本当か分からないけれど、少年は日記を書き続けるしかなかった。
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