やがて郷愁は夏風へと至る

文字数 5,000文字

打ち上げ花火という言葉を聞くと多くの人は風流だと感嘆を漏らすだろう。職人が丹精込めて種を作り、どうか綺麗に咲きますようにと打ち上げる。人の努力の結晶が、大抵、祭りの日の夜空にて観測される。
人々の喧騒をかき分け夜空に上がり、花火は一生をその刹那のうちに終える。その様はセミのように儚いものであり、我ら日本国民はこの感慨を風流と呼ぶらしい。
だから夏は()()()()()なのだろう。



***



「姉さんは明日の花火大会行きますか?」



線香花火を輝かせた少女が私へ問う。白い肌に黒髪ショートで真っ青なTシャツ。華奢に伸びた四肢は一見不健康そうに見え、焦げ茶の瞳は夏相まって烏龍茶みたいに濁ってうるうるとしていた。そのくせ瞳に映る花火は閃々としていた。
地域色が強いデザインの団扇を彼女は脇に挟んでいる。これは昨年の花火大会で配布されていた物。



「花火大会ねぇ……あまり騒がしい場所は好まないのだよ、私は」



もうすぐ上弦の月といった頃合い。私は妹の線香花火が朽ちたのを認めると、縁側から家に上がって台所に向かって歩き、冷蔵庫からソーダ味のアイスキャンディー取り出して袋をぷっつり裂いた。咥えて感じたソーダの味は、典型的であった。
縁側に戻ると、庭で妹は新たな線香花火に手をつけていた。バケツの中には、もう十本目に届きそうなくらいの数、線香花火の残骸が入っていた。

こんな時、煙草でも吸えたらどれだけ楽か。昔、大学の先輩に吸わされた事があったけれど相性が悪かったらしい。手持無沙汰な私は、仕方がないからアイスキャンディーの棒を咥え続けた。



「花火大会、アンタは去年は私を誘わなかったけれど───いや、ここ数年家族とは行かなかったものだ。若いんだから、まだまだ思春期で良いと思うけどね」
「でもその思春期も晩年だよ、今年でサヨナラ」
「じゃあなんだい、太宰みたく遺書感覚で小説でも書き始めてみるかい?タイトルは……”青春”でどうだい」



阿保らしい、と妹はニヤニヤ笑ってくれる。その笑みを浮かべると同時に線香花火の種は落ちた。袋をがさごそと彼女は漁る。けれど残念な事にさっき消えたやつで最後だったらしい。手元で宝石みたいに輝かしていた花火が無くなったもんだから、妹はちょっとしょげた。
しょげているところ悪かったのだけれど、私は無慈悲な言葉を続ける。



「でも思春期に明確な死期は無いものだよ。自分では死んだと思っていても、実は死に切れていないってコトはよくある。それが、郷愁の情を掻き立てるのかもしれない」
「どーいうこと?」
「もとより人間は完璧になんてなれない───故に常に悩んで時々死にたくなる。人間の思春期的な幼さは、大人になってからもずっと心に在るものだよ」
「でも何でソレが郷愁に繋がるの……?」
「子供はいつだって無敵ってコトよ。無敵な頑固者はいつだって喚いてる」



そう言ってやると妹はしばし熟考し、そっから何度も頷くようになった。彼女なりに、私の言葉を分かってくれたらしい。私が言いたい事を読み取ってくれたかは知らないけれど、分かるってコトは納得するというコトなんだから、私がこれ以上妹に関与する必要はあるまい。
スンスン、と妹は風の香りをかぎ始めた。



「子供の頃からここの空気の匂いって変わんないや」
「そうだね。アンタよりいくつか早く生まれているけれど、私もなんとなくそんな気がするよ」



気付けば彼女は庭から縁側にまで戻っていて、私の横に座っていた。頼んでもいないのに、団扇で私を扇いでくれた。



「お姉ちゃんってさ」
「うん?」
「お姉ちゃんてよりお姉さんって感じ。私も姉さんらしくなれたらなぁ……」



妹は眺望のまなざしを向けてくれる。もっとも、そんな間違いは正さなければならないから、訂正するしかないのだけれど。



「妹ちゃんよ、ソイツは間違った認識だ。君が私を大人として見てくれてるのはありがたいけれど、大人になるのは決して良い事ばかりじゃない。人は大人になるにつれて”落とし物”が多くなるものだから」
「ふーんよく分からない」
「そのうち分かっちゃうから大丈夫。覚悟しとけ」



私は妹の頭を軽くこつんとしてやった。



「だからかね、私みたいな大人に限って平然を装うのさ。歳をとるってコトは大切な感覚も、大切な人の所作も忘れてしまう。アンタはまだ高校生なのだろう?だったら落としてしまう前に、その子供を振りかざせばいいの」



そう言うと、彼女は微笑んだ。



***



扇風機の前で横たわる。世間では小説家名義の方が通りのよい私は、花火大会当日、小説なぞ書かずにだらけていた。
私のように物語を作る者は言葉を振りかざす職業で、自分の世界を押し付けているエゴイストと思われる事であろう。ま、事実だが。しかしいかに言葉をキザに綴ろうとも所詮は人間という生き物な訳で、ただその日暮らしでは世界を暴きつくしてしまう。自分の見ている世界の全てが暴かれてしまえば、どんな人間であれ、何も書けなくなってしまう。

だから人は視野を三次元的にアップデートせねばならない。多種多様な物事を考える上ではフィールドワークをしなくちゃならない。故に人は記憶を落としてしまうのだけれど。



「だったらアイツの甘酸っぱい現場でも見に行ってやるべきなんだけど……まぁそんな野暮な事はしないさ」



恋愛小説の良い材料になるかもしれん。どうせ年頃の彼女ゆえ片思いをしているのだろうから。……そう()()()()()()()から私は彼女とともには出向かなかったのだけどさ。まぁ(てい)のいい言い訳なんですけどもネ。

今宵、花火は打ち上がるだろうから、私は縁側から遠方に見える夜の花を鑑賞することとしよう。先ほど妹は花火大会に出向いた。高校生最後の夏だから、思い出を作りに行ったのだろう。

───風鈴の音がチリンチリン鳴る。



「風流だねぇ……」



既に遠くで花火は散っていた。とても綺麗で、開花の音が此処にまで轟きそうである。夜空にて、花火大会の喧騒が共鳴しているようであった。
左様な景色を見て、「にしても、近頃花火を見ても郷愁を感じなくなってしまったのは何故なんだろうネ」と頭の中でぼやく。
……ぼやいても始末が悪い叙情だから、妹のお古の団扇を扇いで、私は夏風に想いを馳せるのであった。私が生きた学生時代は懐かしいを通り越して幻じみていた。



***



スマートフォンの通知はいつもより騒がしい。その通知の中で一番うるさかった人のメッセージを見ると、僕は手短に返事を済ませた。絶賛片思い中のお相手との待ち合わせを現在している。楽しみだ。



「にしても……」



今日は夏の気候がジメジメとしていて気持ちが悪い。
花火大会の会場はもっと暑いのだろう。しかもどうせ騒がしいに違いあるまい。心底、大会に行くのが鬱であった。けれど、あの人と、夏の思い出を作る為に我慢して僕は出向いた。全ては、彼女と二人きりで出歩く口実の為に。

メッセージを見るに彼女はもうすぐ此処に到着するらしい。容赦なく高鳴る心臓が、空気を読めず滾ってくる。

なお現在地は花火大会の会場近くのコンビニ。お腹が空いていたから、平常通りなら揚げ物でも買って食おうと思うのだろう。が、告白が成功すればもしかしなくてもキスもあり得るから止めといた。相手を思ってこその紳士なのだから、僕は刹那的衝動に流されてはいけないのである。
人間であるのならば、もっと理性的に生きねばなるまい。お腹が空こうとも、限りない明日を掴む為には多少の我慢をせねばなるまい。



「山崎君、だよね?」



と、噂をすればなんとやら。意中の相手がおいでなさった。ならばここは精いっぱい紳士を装う時!想像の力を振りかざしいざ尋常に───!



「ところで山崎君、せっかくコンビニに来たんだしついでに何か買っていく?」
「───え、あ、うん。飲み物買う買う」



あれ?なんかいつもと違うぜこの美少女様。普段だったら「…………えっと………………どうしようか……?」みたいに”(三点リーダー)”を多用する女の子なのに………………。
もしや…………今日はナニカ覚悟して此処に来たのだろうか。もしかして、これ、告白成功フラグなんだろうか!?

…………。しかし青年焦るでない。時はまだまだ先。今日の目玉である「イベリス」という名前の花火が咲いた時に告白すると決めているのだ。

───性急になるなよ、僕。

とりま普段は飲まないジャスミンティーを購入することとした。彼女はと言うとぽけーっとお菓子コーナーを見つめていた。視線の先は庶民的な駄菓子コーナー。なんだかその様子がガラス玉のように美しく見えた。風流とはこーいうもんを言うのかもしれない。
───っと、いけないいけない。自分のこの視線を彼女に気づかれてはいけまい。バレたら色欲に正直な男だと思われてしまう。本能に正直だと誤解されてしまう!

今日だけは紳士になろうと決意したのだ。

僕はこれから購入するお茶のペットボトルを強く握ったのであった。



***



花火大会の会場は予想通り、というかなんつーかやっぱり混んでいた。参ったな、これじゃあ座る場所が無い。せっかくブルーシートも持ってきたというのに無駄になってしまうではないか。
急いで座る場所を見つけなくては……。



「あそこ、空いてますよ」
「え……」



彼女が指さす先にはベンチが。人っ子一人いないという訳ではないけれど、空いたベンチが二つ三つあった。



「いやでも……流石に遠くないか?」
「別に花火なんだから遠くから見ても楽しめるでしょ?山崎君、人多いところにいるといっつも具合悪くしてるイメージだもの、だったらなおさら良いじゃない」
「うん……」



そう言うと彼女は川べりから上に少し離れた、東屋に向かった。送れないように僕は彼女の後を追いかけていく。彼女が僕を思って気を遣ってくれたのは心底嬉しかったのだけれど、同時に自分の不甲斐なさが身に染みる。
彼氏になる男ならば、彼女となる女の子をリードするってのがカッコいいじゃねーかってのに、立場が逆転しているとは情けないにも程があろう!



***



ズドーンという音が夜の空に響いてる。消えてはまた打ち上がっての繰り返し。人はこれを風流と呼ぶらしいが、僕はそんなジジ臭い気持ちはまるで分からなかった。カラフルな色合いは綺麗なんだが、どうにもわざわざ外出して見に来る程のものではないなと思う。綺麗なだけなら線香花火とかジェット花火だけでも十分だから。



「───」



しかし、彼女が僕の横ですっかり花火に見惚れているものなんだから、もうそれだけで良い気がした。彼女という幻想じみた少女が近くにいさえすれば、良いのだろう。

だが、見惚れるのはいいけれど、この刹那的感慨に呑まれると、なんつーか、まるで……別人だと思えてしまう。

平生の彼女と本日の彼女は、正直なとこ別人のようであった。僕みたいに言い寄ってくる男子相手に毎度のことオドオドするような、そんな男慣れしていない女の子。それが、彼女なのだと僕は()()()()()()
小動物的可愛さがあるのが彼女なのだと、そう勝手に納得していた。けれど、今日の彼女は平生の彼女とやっぱりズレていた。

そうなると花火のコトなんていよいよどうでも良くなった。もっと、彼女が知りたい。その彼女という女性の真実が如何なるものなのか、探求心が熱く心臓にて鼓動した。

イベリスの花火なんて知ったことか。もう今どんな花火が夜空に咲いているのかなんて興味ない。僕の目にはそんな刹那的芸術なんかじゃなく、煌々たる神秘しか映っていないのだから!!

と、彼女は真っ白な花火が夜空で消えた後、僕の熱い視線に気づいたのかこっちに視線を向けた。てっきり彼女は動揺するのかと思ったけれど、現実は、もっと涼やかな反応であった。



「───私、別に山崎君のこと異性として好きじゃありませんから」



子供のように、無邪気な笑みで僕はぶっつりフラれたのであった。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。その笑顔は一瞬だったけれども、そうか、花火に想う叙情とはこんなモノなんだなって僕は悟ったのであった。



***



姉さんの言っていた「子供は無敵」というのは子供という肩書を免罪符に、ある程度の行いが許されるっていうことなのでしょうか。判然としない言葉の解釈でしたが、しつこかった男の子をフルことが出来たのでひとまずは良しとしましょう。
伝えたいコトは伝えるべきなんです、きっと。大人になって自由を落としきる前になのです、きっと。

───青春短し楽しめ今を。
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