夏風ジャンクスイーツ

文字数 5,000文字

駅前の喫茶店にて。窓辺より風鈴が時折チリンチリンと風の調べ。風鈴の音を冷涼に感じられるくらいに、私は歳をくっていた───って、大学生という華の時期にそんな晩年じみた事考えるだなんてキザだけれども、それだけ周囲の環境に色々と想いを馳せられるようになったとも言える。なお外の空気は初夏だってのに曇っていて暑い。日が暮れるまでは外に出たくなかった。

アンティークな店内にはコーヒーの香りが染みついていた。レトロ品の箱庭みたいな空間で、私と友人は、角の席で向かい合わせに座っている。



「ここのショートケーキ、美味しいんだよ」



茶髪ショートカットのそいつは、私の幼馴染・白野夏記(しろの なつき)であり、右腕の肘をテーブルにくっつけて微笑む。栗色の瞳は太陽みたく燦燦としていた。彼女は小学校からの幼馴染で、大学一年生になった今でも度々会うのは、その時期の知己としては稀であった。それも異性というのはさらに稀有だ。
ま、そうは言うけれど夏記とは年々会う機会が少なくなっている。連絡網の家電しか知らないから会う機会は少ない。L〇NEは知らない。



「……」



小さい頃は毎日のように楽しく遊んでいたけれど、昔ほど彼女と過ごす時間を素直に喜べなくなってしまっていた。思えばそれは、この私の彼女に向けて抱える()()()()()()()のせいなのだろう。

小学校の頃には気にしなかった夏記の香りが私の鼻を燻る。
妙にその匂いが気になっていたところ、そいつは焦げたようなコーヒーの香りや、夏の健全な香りに溶けていった。気づけば鼻には夏の空気しか残っていなかった。
夏の空気は好きだけれど、夏の暑さは嫌い。つっても昔とは違って夏の空気に風流を感じられるようになっただけ幾分かマシなんだけど、さ。
野菜の味の難しさが分かり始めた時みたく、夏が好きなのではないかと思う今日この頃だ。
反対に、昔純粋に好きだと言えた夏記は、今となっては、色々と考えた末にようやっと好きだと感じられるようになってしまった。……熟考の末に答えるのは互いに似ていた。



「ふーん……でも夏記ってショートケーキそんなに好きじゃなかったよな」
「あら、そうでしたっけ。それ言ったら(あゆむ)は男の子のくせに甘いもの大好きだったよね」
「男のくせにって何だよ。良いじゃん好きなものは好きで。もっとも、今じゃ甘過ぎるチョコとかは食えなくなっちまったけどな」



昔は誕生日のガトーショコラが嬉しかった。なのだけど、フォンダンショコラのやべーやつとかだと胸焼けしそうになる。色んな味が分かってくるにつれて、単純な味が分からなくなってしまう。陳腐な変化だ。



「で、夏記さんはショートケーキにでもするんですかいな?」
「もちろん」
「ンじゃ自分はアイスコーヒーとレモンタルトにしとく」



呼び鈴を鳴らして、しばしの静寂。それから断髪の女店員がそっと来て、さきほど決めたラインナップを店員さんに告げて、それから雑談を始めた。店員さんの応対の声は所々裏返っていて、自分と近い年齢のアルバイトなのだろうと思った。不器用な感じだったけれど、慣れていないのなら仕方がない。
注文を終えたのでメニュー表を店員さんに渡した。



***



「お待たせしました、ショートケーキとアールグレイです」



先に夏記の注文した物が来た。ショートケーキは一般的な三角のフォルムじゃなくて、縦長の直方体であった。



「ここの店ってフルーツに結構こだわっているらしくて、この苺、甘くて美味しいんですよ」
「へーってことはレモンタルトも結構期待していい感じか」
「私食べたことあるけど美味しかったよ。レモンの酸味がほどよくクリームの甘さと調和して。それとフルーツ関係なしにタルト生地がちゃんとタルトしてる」



そりゃタルトなんだから当然だろと、ンな話をしていたところ矢継ぎ早に私の頼んだレモンタルトとアイスコーヒーが運ばれてきた。アルバイトのお嬢さん、やっぱり接客が不慣れな感じ。けど、伝票だけはスムーズに伝票入れにしまえてた。彼女は慣れないながらに頑張っている。
店員さんが元の配置に戻る。彼女の姿を横目でぼんやりと眺め、おもむろに俺は目の前の品に手を付け始めた。



「───うまっ」



最近、甘味を嗜んでいなかったけれどこれなら毎日食べられそうだなと思った。爽やかなレモン風味とクリームの甘さが、夏記の言った通りにちょうど良かった。
そっからアイスコーヒーに口をつけた。その味、何だか真夏の陽射しみたく焦げていた。ブラックの風味は、何だか痛々しかった。



「そいやさ、歩って昔と随分変わったよね」
「……」
「なんていうか、落ち着いたよね。コーヒーだって昔はミルクと砂糖をこれでもかって入れてたのに」
「美味しいって思うものは変わるんだ。でも、時々その感想にすら自信が持てなくなる」
「じゃあそのコーヒーは美味しい?」
「悪くない」



一口目のコーヒーを喉に流すと、苦い味がいっぱいに感じられた。けれど、その風味が妙にクセになって、タルトと交互に飲む。昔は食べられなかった酸味の強いタルトと苦いだけのコーヒーを美味しく味わう。
タルト生地だけは昔から好きだったけれど。コーヒーがベースのカフェオレだけは大好きだったけれど。
今じゃ違う味わい、ありのままの味、両方を楽しめるようになっていた。



「あのね」



と、何だか時代を移ろいを、窓から流れる夏風の香りと合わせて感じていたとこ、ショートケーキの半分を食べ終えた彼女は口を開いた。



「うん?」
「ぶっちゃけ歩のこと、小学校の頃はあんまり好きじゃなかったんですよ」
「へーびっくり大仰天。意外性の塊」
「ほらそーいうとこ。真面目な話をしようとしても、常にふざけてるとこ」
「……」
「そうやってすぐ目をそらすとことか」



夏記は何だかいじわるな目で見てくる。何だか額に汗が集中した。冷風は冷房でなく夏風ばかりで頼りないがそれにしても顔が熱すぎた。日陰で涼みに行くような気持ちで私は声を出した。



「で、今は?」
「わかんない」
「あっそ」



アイスコーヒーをぐびっと。味は苦いの一点のみ。喉は日焼けしているかのように苦かった。



「でもそりゃ仕方ないと思うのですよ。だって歩とこうやって語らう機会なんて最近じゃ少なくなったじゃない?今日はたまたま帰りの電車で一緒になったからこうして道草食っている訳だけど」
「去年に比べて、自分ってそんな性格変わったかな」
「さあ、記憶なんて時間とともに胡散臭くなるものだし、分からないよ。でも少なくとも、よく遊んでた小学校の頃からはだいぶ変わったと思う。ただ……」
「ただ?」



店内のボロボロ鳩時計の音チクタクと。嫌に鋭く心にサクサク痛い。その瞳はどこか儚い色だった。



「分かんないものは、完璧に分かんないままでもいいかな。何となく分かることはあるし」
「どーいうことだよ?」
「うーん?いや、曖昧な言葉は口にしたくないからなぁ。そっちが何となく分かったら私に確認してみなよ───その時が答え合わせ」



***



気付けば互いの皿は空っぽだった。私のコップにはもうアイスコーヒーは残っていない。
物語性の無いことに、空はまだ青かった。暮れることなど知らんばかりの快晴である。時刻はまだ午後の三時だったし、当然なんだけど。結局はアイスコーヒーの味なんて途中から分からなくなってしまった。

あんなに飲んだというのに。お手洗いに行って、それから雑談をちょっとした後にはもうその味を正確に思い出せなくなってしまったのだ。コーヒーの味なんて、他の店との違いなんて分からないのだから仕方がないのだけれど。直後の記憶すら、過去の記憶と混濁していた。

そんな中でも彼女との談笑は記憶に残っていた。小学校の頃に無茶して遊んだ思い出をお伽噺のように語らって、共有しては笑い合った。

水鉄砲合戦の謎のわくわく感。ろくに膨らまないシャボン玉は面白くなかった。走ってはよく足に擦り傷を作っていた、など。お互い、今では無くなってしまった少年少女の時代の感覚を、夏という季節を媒介に、思い出しては盛り上がった。夏という季節に溶けてしまったあの頃の記憶を拾い上げていた。

そして、結局「また今度」の常套句で解散した。記憶は曖昧だったけれど、一年前の別れもこんなだった気がした。



***



駅の駐輪スペースに停めてある自転車を取りに一度戻って、それから駅を出てすぐの分かれ道にて、夏記と私はその道の通り別れたのであった。また今度という言葉がいつになるのかを考えながら私はペダルをゆったりと漕ぎ始める。
暑い気候の中、自転車のをせっせと漕ぐ。急勾配を、私はだらだらと進む。

陽射しは相変わらずしつこくって、小学校時代の自分に似て鬱陶しかった。

思えば、あの時分の私は夏記の事を異性として素直に好きだと思えていた。それゆえ、ついおどけた口調で彼女の気を引いてみたり───そのせいで距離感を間違えて恥ずかしい目にあったりもした。なんつーか、ちょっと彼女に肩がぶつかっただけで焦って「いってー!」と素で大袈裟に叫んでしまったりと、結構恥ずかしい思い出もある。

それだけ純粋に夏記の事が好きだったのだ。けれど今はどうなのだろう。
果たして、何を根拠に私は夏記の事を好きと豪語出来るだろうか。

初心な恋心はもう無く、今じゃジャンク品みたく擦り切れた彼女への想いばかりを脳内で逡巡されている。もっとも、ジャンク品なんぞいつ寿命を迎えるか分からない。寧ろ壊れている事に所有者が気づいていないケースもさぞ多かろう。そんな胡散臭さこそが、今の私の恋心の正体なのである。
昔のように、会話に支障をきたすほどの動揺は湧いてこず、夏記と話す際には友人と雑談をする時みたいな感情しか認められない。

彼女と疎遠になってゆくに連れて、更に更にと私は当時の感覚からズレていくばかり。もう、当時の心は壊れているに違いなかった。ともすれば、もとより恋心を構成していた様々な感情のパーツで、今の私を一から作り直すというのなら、私は夏記の事を好きと言えるのだろうか。彼女にどんな感情を抱けるのだろうか。急勾配の先、私は、赤信号の横断歩道の途中に陽炎を見た。

……口の中がひどく苦い。アイスコーヒーの苦しい風味が今日は一段と印象的だったのだ。今日のコーヒーの味はただの苦みしかなかった。私はコーヒーの違いが分からないから、その日暮らしで同じコーヒーを飲んでも異なる所感を述べるのだけれど、今日飲んでいたコーヒーは、覇王のように横暴であった。



「───」



初々しい心ばかりが彼女への恋心ではない。自分の過去を参考にしてばかりで、今の夏記への想いに答えを出すなんて出来る筈ない。けど、だからといって私はいったいどう彼女と向き合ってゆけばよかろうか───。

次いつ会えるか分からない彼女への、この正体不明の気持ちをどのようなものとして当てはめようか。



「───そんなの……」



ペダルを踏む強さを大きくする。息を吐いて、入道雲突っ切る勢いでママチャリを酷使する。田園風景をバックに私は、カラッカラの喉を鳴らして、自分にだけ聞こえる声で呟いた。



「好きって感情しか当てはまんねーよ……っ!」



どんなに壊れかけの想いでも、結局は元の形である”好き”以上に当てはまる想いの概念が見つけられない。どんなに壊れかけの想いでも、その心が起源は間違いなく夏記に対する恋慕。ジャンクスイーツ(壊れかけの恋心)にどんなに意味を探したって、結局は彼女の事を本気で好きなんだっていう執念が滾るだけなんだ。

本日、どうせ彼女に出会ったのなら、せめて手軽に連絡の取れる連絡先を聞いておけばよかった。けれど、それが怖くて出来なかった。ジャンクスイーツが本物の恋心であるのだと、どんな視点から見てもそう結論付けされるってのに。
どんなにソレが本物だって知っていても、一歩踏み出すのが末恐ろしいのだ。

思えば、昨年も似たような後悔をした感触がある。デジャブだ。
この後悔、案外中学の頃もしていたのかもしれない。……逃げてばっかりな青春だ。

入道雲がどっしりと構える空の下、私は彼女の家と正反対の方角の自宅へと向かっていく。吹く夏風は妙に温くて心地が良い。カラカラと車輪は奏で、心とは真逆に軽快である。
それでも私はこの行く帰路を喜ばしく思えない。変化に恐れて現状維持に甘えるなど、阿呆が過ぎる。

私は自販機前で自転車を停め、アイスコーヒーを購入した。
”当然”さっき夏記と飲んだコーヒーより─────苦みがぶっ壊れてた。
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