第1話

文字数 1,038文字

 初めて金沢駅に着いたのは2008年で、まだ駅員さんが改札に立っているのか、と随分驚いたのを覚えている。
 当時の私は、就職して最初の配属先の大阪に住み始めて数年。千葉に住む学生時代からの彼氏と遠距離恋愛を続けていた。その彼氏と電話での口喧嘩をきっかけに連絡を取らなくなって2か月、いつもなら互いを行き来していたゴールデンウィークは、何も予定がなかった。連休前日に思い立って電車に乗り、天の橋立から日本海沿いに北上して、金沢駅までたどり着いたのは三日目の夜。
 ほとんど予定を立てていなかった初めてのひとり旅は、当然金沢に対する予備知識もわずかで、元々聞いたことがあった兼六園とお城だった公園、それから前日に宿泊したインターネットカフェでたまたま見つけた武家屋敷の街並み、その程度だった。
 翌日は、さっそく城跡と兼六園。兼六園では、藤棚の陰や小川沿いにむした苔に差し込む光、そういったものを一通り見てまわる。強い空腹を感じたので、池に浮かぶお茶屋を見つけると、そこで親子丼のお昼をとった。窓際の席を確保し、のんびり穏やかな池を眺める。池に反射して差し込む光に明るい気持ちになり、とても素敵な場所を見つけられたことを喜んだ。たぶんこの旅の中で一番弾んだ気持ち。でも、あの彼と一緒に来てこの光景を教えたいのか、連れてきて一緒に楽しめるのか、そのときの私にはイメージができなかった。
 それから坂を下って香林坊方面へ。左手には、やたらと人が集まる明るい場所があり、気にはなったものの、今の自分には突入できそうになく、そのまま武家屋敷街をうろつくことにした。
 石畳の道の突き当りに、面白そうな店があり、覗いてみる。古い民家を改装したそのお店には、ところ狭しと並べられた九谷焼と小さなカフェスペース。
 素敵な出会いはその店の奥にあった。明治時代に作られた赤絵の九谷焼ばかりを集めた小部屋。当時、ヨーロッパを中心に輸出されていたものを集めなおしたらしい。
 細い細い赤と金の線が織り成す古い陶器は、近くで見ると緻密な絵や模様だが、離れて見ると赤から淡い夕陽色を経て白に至る柔らかいグラデーションの世界だった。美しい色。そのやさしく輝く世界に一瞬で魅了され、いつまでもその小部屋から出たくなかった。絶対また見に来よう、そう思った。
 金沢駅まで戻る途中に尾山神社をぶらぶらしながら何を考えたのか覚えていない。ただひとり旅って楽しいなあ、またどっかひとりで行こう、そう感じたのはたしか。
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