第1章 感染症と人類

文字数 2,692文字

28番目の感染症
Saven Satow
Jun. 07, 2020

「息ができない…」
ジョージ・フロイド

1 感染症と人類
 メアリー・ドブソン(Mary Dobson)博士は、『Disease 人類を襲った30の病魔(Disease: The Story of Disease and Mankind's Continuing Struggle Against It)』(2007)において人間社会に大きな影響を与えた疾病30を挙げている。彼女はそれを次のように分類している。

細菌感染症
1 ペスト
2 ハンセン病
3 梅毒
4 発疹チフス
5 コレラ
6 腸チフス
7 結核
8 産褥熱
9 嗜眠性脳炎
寄生虫病
10 マラリア
11 アフリカトリパノソーマ症
12 シャーガス病
13 リンパ系フィラリア症
14 住血吸虫症
15 鉤虫症
16 オンコセルカ症
ウイルス疾患
17 天然痘
18 はしか(麻疹)
19 黄熱病
20 デング熱
21 狂犬病
22 ポリオ
23 インフルエンザ
24 エボラ出血熱
25 エイズ
26 SARS
生活習慣病
27 壊血病
28 クールー病とクロイツフェルト・ヤコブ病
29 がん
30 心臓病

 実に、30の内27まで感染症が占めている。生活習慣病に分類されているが、「クールー病とクロイツフェルト・ヤコブ病」も異常プリオンを病原体とする感染症である。2019年末に発生してパンデミックを引き起こした新型コロナウイルスも、増補されたなら、うつ病と並んで、このリストに加わることは間違いない。それは28番目の感染症となる。

 「感染症(Infectious Disease)」はウイルスや細菌、真菌、寄生虫、原虫などの病原体が感染して起きる疾病である。特に、流行が大きく、社会に深刻な被害をもたらす感染症を「疫病(Plague)」と呼ぶ。この定義から感染症を構成する要素は病原体と感染経路、宿主の感受性であり、一つでも欠けたなら、発病しない。なお、病原体に感染しても発症するとは限らず、無症状の場合を不顕性感染と言う。

 今回のパンデミックの病原体はウイルスである。「ウイルス(Virus)」は遺伝情報である核酸を蛋白質で包んだもので、細胞を持たず、自己増殖できない。その意味で、それは生物と言い難い。ウイルスは核酸の種類によってDNA型とRNA型に大別できる。RNA型の中で、逆転写酵素を持ち、DNAに転写するものをレトロウイルスと呼ぶ。

 今日、人間の健康に害をもたらすウイルスは概してRNA型に属する。RNAは、DNAに比べて、複写能力に劣り、エラーが多い。しかし、このエラーが進化論的に変異につながるため、体内の抗体がそれにしばしば追いつけない。インフルエンザウイルスはRNA型の典型で、一度感染して回復しても、その後に何度も発病する可能性がある。流行は冬季が多いけれども、無症状ないし軽症が大半であるが、夏季においても感染は起きている。新型コロナウイルスもRNA型である。変異の可能性が高く、インフルエンザ同様の警戒が必要だ。

 COVID-19は新型であるため、未知のことが多い。ただ、今のところ、概して、感染しても、多くが、無症状ないし軽症ですむとわかっている。しかし、重症化した場合、肺炎を起こし、治療薬がないので、人工呼吸器を長時間使用して患者の自己治癒力によって回復するのを期待するほかなく、死に至る危険性が高い。しかも、このウイルスは、ポリオ同様、無症状でも感染力がある。無自覚なまま感染を拡大させてしまう恐れがある。感染者数が増えれば、重症者が多く発生するリスクがある。発症者だけでなく、感染者を早期発見早期隔離する対策が必要である。世界の大半の政府は、そのため、PCR検査を積極的に実施している。なお、検査で一旦陰性になっても、陽性反応が再度出ることもあるのは、新型に限らず、そもそもコロナウイルスが持続感染しやすいからである。

 SARS-COV2はコウモリ起源ではないかとされている。感染症の歴史は、おそらく、人間が他の生物と濃厚に接触するようになった頃に遡れるだろう。ドイツのハイデルベルクで発掘された約9000年前の人類の遺骨に脊椎カリエス、すなわち結核の跡が見られたと報告されている。結核は人間のみならず、牛や馬、猿、羊、山羊、犬、猫など多くの動物が感染する人獣共通感染症である。

 感染症の歴史は長く、パンデミックは近代以前から発生している。それを産業化やグローバル化のせいと批判することは短絡的である。ただ、近代産業化は、主として農業が引き起こしてきた従前の環境破壊に比べて、その規模・速度をはるかに上回っている。また、グローバル化はそれまでの人間の移動の歴史を圧縮している。そのため、パンデミックが発生しやすい条件が用意されていることは確かだ。

 「感染症と人類史」や「感染症と世界史」というトピックはそのスケールにおいて魅力があり、研究の意欲を刺激する。そのため、少なからずの著作が出版されている。それを抽象化すれば、次のようになるだろう。

 森林などの自然環境を開発すると、動物の生息領域が狭まり、異種同士の接触機会が増える。それを通じて病原体が変異する可能性が高まる。そうした領域へ進出することで、人間は動物と触れることが増加、病原体に感染しやすくなる。

 農業を始めとする産業が発展すると、人口が増加したり、都市化が進展したりするため、人間同士の接触が増える。都市には内発的に人口増加させる力が弱い。けれども、システム論的に関連ビジネスの機会を大きくするので、周辺から人口を集めやすい。こうした状況により、従来は個人や家族間でとどまっていたが、共同体内で感染症が流行するようになる。

 また、戦争も密集空間や他の共同体との接触機会を増やすのみならず、食糧事情・衛生環境を悪化させ、感染・発症リスクを大きくする。さらに、インフラ整備や交通手段の発展に伴い、移動できる距離が拡大、速度が上昇、物量が増大する。それにより感染者が潜伏期間内に遠方に動いたり、衛生動物が運ばれたりするようになって、感染症の流行地域が拡張してしまう。

 産業化・グローバル化はこの過程の圧縮である。しかし、そこで発達した経済や科学が感染症対応につながったことを見逃してはならない。食糧事情の向上、公衆衛生の改善、科学的知識の進化、情報の共有、医療資源の蓄積などはその産物であり、それなくして今日の感染症の抑制はあり得ない。そうした背景により、天然痘が根絶され、ペストやコレラが大流行することはまずない。
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