第93話 記憶と統合

文字数 1,950文字





こんばんは、五樹です。


お察しの通り、今回も統合はほどけてしまいました。ですが、何度かは保てたのです。


先週の金曜日に、カウンセリングルームの近くにあるレストランに着くまでは、2週間ほど統合していました。

カウンセリングで様々な事を思い出さなければいけないのが怖くて、それに堪える方に胆力を使わなくてはならず、統合が保てなかったのかもしれません。

もしくは、交代人格はトラウマを保存するために生まれた者達だから、一人一人が抱えるトラウマへと、きちんと対処をするためだったかもしれません。


時子はレストランで少しだけ食事を食べ、僕達はカウンセリングルームへ向かいました。でも、途中で僕に交代します。


カウンセリングルームで僕と夫君、それからカウンセラーが少々談笑していた時、突然に目を覚ましたのは「悠」でした。

悠が目覚めた時、彼はカウンセラーの真向いの椅子に腰掛け、隣には時子の夫が居ました。

悠は時子の夫に「この人誰?」と聞きたかったと思いますが、急にそんな事を言えば失礼だというくらいの分別はある年齢です。7歳ですから。

「あ、あの…こんにちは」

悠は控えめに頭を下げ、カウンセラーから目を離さずに挨拶をしました。

「こんにちは。初めましてなのかな?君は誰?」

カウンセラーは、驚きながらも名前を聞いてくれました。これは僕達にとっては嬉しい事です。必ず主人格の名前だけしか使わない医療従事者も居ますから。

「…僕、悠くん…」

「そっか、悠くん、初めまして」

「は、初めまして…」

悠は、会った事もなかったカウンセラーが目の前に居るのに初め怯えていましたが、雑談をして少し打ち解けると、また“ママ”の話を始めました。

「ママは優しいんだよ」

「そっかあ。ママどんなところが優しい?」

「ごはんを作ってくれるんだ」

「そっかあ、ごはん作ってくれるのね、嬉しいね」

カウンセラーは何気なく話を合わせましたが、冗談じゃない、この子の母親は残忍な人間です。

でも、仕方ないのです。「悠」は“母親が恋しい”という気持ちを持つために、“自分の母親は残忍だ”という記憶とは関わりがない所に置かれた人格だからです。

もしきちんと記憶があれば、母親の事を恋しいと思う気持ちは消えてしまいます。

「悠くんのママ、どんな人?」

「え。えーっとね…えーっと…」

悠は首を捻りましたが、何も出てくる訳がありませんでした。それで混乱して、悠はこう叫びます。

「大変だ!ママの顔、忘れちゃったよ!どうしよう!」

カウンセラーはなだめましたが、悠は泣き続け、「おトイレ行ってきたい。おトイレどこ?」と席を立ちました。


その後、トイレから戻った時には、すでに統合が済んでいました。恐らく悠の混乱を見て、“このまま分裂していたら、もっとたくさんの悲しみに悠が晒されてしまう”と、時子が危機感を持ったのだと思います。

時子は、覚えていなくても、自分の周りが今どうなっているのか、感じ取る事は出来ます。

彼女がいつもやっているように、信頼出来る人物の前でだけ選んで表に出たり、一人きりの時には引っ込んでいたりというのは、周りがどうなっているのかを知らなければ出来ません。


その後カウンセリングでは、「こんなに頻繁に統合と分裂を繰り返す事があるのか」とカウンセラーに聞きました。

「ええ…緊張とか、恐怖を感じ続けていると、戻ってしまって、大丈夫になるとまたくっつく人は、居ますかね…?」

カウンセラーはなぜか自信が無さそうにそう言っていました。


その後数日は統合が保てていましたが、統合後の時子が連載小説の執筆を始めてから不安定になり、僕は今日の朝、分裂して目が覚めました。

統合がほどけてしまうと、「主人格である時子」には、統合していた間の記憶は何も残りません。不思議と、僕や桔梗は覚えているのですが。

時子は、夫に「どうして何も覚えてないんだろう。怖いよ」とこぼしていました。それから、今日の夕方頃に眠る薬を飲んで、眠りに逃げました。


カウンセリングルームで時子が喋っていた事を思い出しています。

「五樹と統合をすると、世界が褪せてしまうんです。それはちょっとつまらないかな」

そこが、統合が上手くいかない理由かもしれません。多分本来なら、統合をしても、彼女の世界は輝いたままでいられるはずです。

統合をすると僕のようになるというのは、もしかしたら時子は傷つきたくなくて、外界からの情報をなんとも思わない、僕のように生きるしかないからかもしれません。これはあくまで推測ですが。


ここから何日統合がほどけたままかは分かりませんが、じきに直るでしょう。


今回は長々とお読み下さり有難うございました。なんだかしっちゃかめっちゃかになっておりますが、お付き合い頂き有難いです。またお読み頂けると、嬉しいです。それでは、また。




つづく
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