[12] 二〇〇三 夏休み 4

文字数 3,158文字

 ランチタイムの店内は、半分ほどの席が埋まっており、睦と尚斗が調理場と店内を行ったり来たりしている。
「あら、睦くん内定出てたの?」
コーヒーを淹れる千歳が驚いた声を上げる。島内と睦の世間話が聞こえてきたのだ。
「お祝いしなきゃ、ねえ、尚斗くん」
話を振られた尚斗は、「あ、まあ、そうですね」と返事をするものの、心ここに在らずという様子だ。ホットコーヒーを島内に出す千歳の隣で、睦が冷蔵庫から紙パックのアイスコーヒーを取り出しグラスに注ぐ。夏のランチタイムにホットコーヒーを所望するのは島内くらいのものだった。
「やっぱり工業高校は就職が強いからいいよな」
コーヒーをすすりながら島内が言う。
「まあ、推薦っすからね」
睦は冷蔵庫を閉めると、調理場の中に入っていき、カレー皿にご飯をよそう。さっき入店してきた客にお冷を出して、注文を取った尚斗がカウンターに入るのと交代に、千歳はレジに立って会計をしていた。トレーにカレーを乗せた睦に、尚斗がサラダとスープを渡す。受け取って店内を歩いていた睦が違和感を覚え、トレーを見ると、スープカップにお湯が注がれておらず、乾燥わかめと顆粒スープが丸見えだった。
「あっぶねー」
踵を返した睦はカウンターに戻り、千歳にお湯を注いでもらった。調理場では尚斗が鍋を振っている。
 休憩時間、睦がタバコを吸うため裏口に向かうと、ロッカーの隣に尚斗が座り込んでいた。
「え、どうした? 具合悪いのか?」
「いや、ちょっと寝てた」
「こんなところで?」
二人の声を聞いて、千歳もやってくる。
「尚斗くんどうしたの、顔色悪いわよ」
「あんま寝てなくて、眠いんです」
「そうなの? ……ちょっと待ってね」
千歳は店内にもどると、一番奥の席をついたてで囲み、椅子を四つ並べて、尚斗を連れてくる。
「しばらく寝てなさいね」
そう言うとその席の周りだけブラインドを下ろした。尚斗はお礼を言うと、膝を曲げて横になり、一分もかからずに寝息を立て始める。
 駐車場から客の車がなくなった後、裏口のドアから千歳が出てきた。軒下の日陰ぎりぎりまで移動すると、植え込みに腰かける睦に話しかける。
「尚斗くん、なんだか根詰めてるみたいだけど、何か知ってる?」
たずねられた睦だったが、むしろ自分が聞きたいぐらいだった。
「いや、心当たりないっていうか、わかんないすね……」
タバコを消して、難しそうな顔をする。すると裏口のドアが開いて、尚斗が顔を出した。
「あら、尚斗くん、もっと眠ってていいのよ」
「いや、三十分寝たらすっきりしたんで、大丈夫です」
あくびをしながらそう言う尚斗に、千歳が提案する。
「尚斗くん、差し出がましいかもしれないんだけど、片桐さんの入院のお世話、私に代わらせてくれないかしら?」
尚斗は千歳の方を向いて、少し考える。
「それは、店長に悪いんで……」
「悪くないわよ、私だって片桐さんにはお世話になってきたんだから。尚斗くんも勉強とかいろいろ大変だろうし。ね、私から片桐さんに話させてもらえない?」
尚斗はまた少し考えてから、
「じゃあ、お願いできるとありがたいです」
と頭を下げた。
「やだ、水くさいわよ。気にしないで」
そう言うと、千歳は片桐に電話をかけるため、店内に戻っていった。
「尚斗、俺もできることあったらやるから、遠慮すんなよな」
片桐の日傘をくるくる回しながら、睦が言う。尚斗は一度目を伏せてから
「うん、ありがとな」
と言って笑みをこぼす。その後、何かを思い出したように店内に入って、また出てきた。その手にはなにか握られている。
「これ、ばあちゃんが水族館で俺らに買ったらしいんだけど、いる?」
金属のプレートにイルカが彫られていて、それに革製のストラップが繋がっている。
「おお、片桐さんセンスいいな。サンキュ」
そう言うと早速、睦は自分の携帯にストラップをつけた。

「ありがとうございましたー」
店内最後の客が去ったあと、たまきはすかさず、ビルの前に置いてある看板を取りに行く。両手で抱えて階段を上っていると、後ろから声をかけられた。
「重そうだな、持とうか」
振り返ると、睦がいた。
「あれ、睦くん、こんばんは」
たまきは看板を置くと「ありがとう、助かる」と言って店のドアを開けに行く。睦は看板を持ち上げて店内まで運んだ。
「閉店時間十時って書いてあるけど」
睦が看板を見て言う。壁にかかった時計は九時半を指している。
「今樋山さんいないからさー、早めに閉めてんの。危ないからって。ほんとは八時に閉めていいって言われてるんだけど、お客さん全然来るから、なかなか閉めらんなくて」
そう言いながら窓のブラインドを閉じている。
「どうしたの? CD買いに来た? ゆっくり見てっていいよ」
「いや、尚斗のことなんだけど」
「ん? 尚斗くんがどうかした?」
「最近路上ライブやってんのかなって」
「あーやってるっぽいよ。結構夜遅い時間みたいだから、私も勉強があって見に行けてないんだけど」
「夜?」
「うん、夜やってるらしいよ。うちのお客さんが話してるの聞いた」
「お客さんが話してんの? 尚斗のことを?」
「そう、結構ファンが居るみたいだよ」
「そっか、じゃあバイトの後ライブやってんだな」
ブラインドを閉じ終えると、たまきはレジカウンターの中に座った。
「バイトって洋食屋さん?」
「そう、だいたい夜九時まで店入ってるから、最近ライブやってないのかなって思ってた」
「尚斗くんに聞かなかったの?」
「なんて?」
「最近ライブやってんの? って」
睦は自分の後頭部を触りながら少し考えて、口を開いた。
「いや、なんか聞きづらいっていうか、ライブやってたら、俺は無理すんなって言っちゃいそうだし、でもそれって尚斗からすると余計なお世話だよな、とか考えて。でも、もし尚斗がライブやってなかったら、遠回しにやれよって発破かけてるみたいになるかな、とか思って」
たまきはシャーペンを顎に当てながら話を聞いている。
「ふーん、意外といろいろ考える方なんだね、睦くん」
「まあ、意外とな」
照れるように答える睦の目に、壁に貼ってあるポスターが目に入る。
「あ、その夏祭りのポスターって、余ってたりしない?」
たまきも振り返ってそのポスターを見る。
「ああ、あるよ、樋山さんがいっぱい持ってきてたから。ちょっと待って」
奥の部屋に入っていくと
「一個でいいのー?」
と睦に声をかける。睦が
「一個でいい」
と返事をすると、丸まったポスターを持ってきて、細長いポスター用のビニール袋に入れてくれた。
「サンキュ」
「こちらこそ、余ってるからさー」
「そういえば、樋山さんって具合どう?」
「歩くのはゆっくりだけど、基本元気そうだよ。でも店に通ってくんの大変だから、週一くらいで顔出してもらうことになってる」
「大変だな、たまきちゃんも」
「まあ、平気だよ。私もこの店にお世話になったし、大学受かったらここともお別れだからね。恩返しできるときにしとかないと」
そう言って店内を見回す。
「そっか、偉いな……。ていうか、勉強邪魔してごめん」
開かれたままの参考書と、ぎっしり文字が詰まったノートが目に入った。
「ううん、全然」
「ほか、何か重いもん運んだりする仕事ない? 手伝うよ」
「うーん、大丈夫かな。ありがとう」
「……じゃあ、俺帰るわ。またな」
「はーい、尚斗くんによろしくね」
「あ、そうだ」
睦が足を止めて振り返る。
「たまきちゃん、尚斗の歌ってどう思う?」
「どう思うって?」
「俺は〝本物〟のミュージシャンみたいだって思ってるんだけど」
睦の言葉を聞いて、たまきは
「私も、樋山さんもそう思ってるよ」
と答えた。それを聞いた睦は満足そうな笑顔でドアを開ける。ニコニコと手を振るたまきに見送られてバイクに乗ると、念のため市役所前を通ってみる。今夜はさすがに疲れて寝ているのか、尚斗の姿はなかった。
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