第7話 デートに向けて着々と

文字数 3,545文字

 その日の夜は二人からメッセージが来た。

 千石さんからは無事にタクシーで家についたことと、「今度は成功させようね」という文言だった。

 田村さんからは食堂のウェブサイトのURLと、駅の書店で料理本を購入したという知らせが送られてきた。俺が持っているのと同じ本が目立つところに平積みになっていたんだそうだ。

 とりあえず、俺は田村さんが教えてくれたURLを開いて、子ども食堂に寄付したらどう税金が安くなるのかを知ろうとしたが……。うーん、税金のことはよく分からない。

 源泉徴収で税が差し引かれているが、寄付金控除で税金をお得にするには確定申告というものが必要なものらしい。俺は物知らずだなあと己を恥じながら、田村さんに何度か質問を送った。

 学生時代社会科学系だった田村さんは税など社会のしくみに詳しいようで、俺の要領を得ない質問にも的を射た回答を送ってくれる。ついついいろんな質問を思いつくままに送って、やり取りは何往復にもわたってしまった。

 用件以外にも雑談めいた話題も送り合うようになったので、俺は「次に千石さんを誘うのにどんな料理がいいと思いますか?」と相談してみた。

 俺は次も田村さんも交えた三人で自宅で料理をするつもりだったのだが……。ここで田村さんが参加できないと分かった。

 田村さんのメッセージには「あの世界の料理の本、食堂に持って行ったらスタッフの間でも好評でした」とある。

「なので、週末に皆で試作していくつもりです。食堂がお世話になっている児童館の台所を使います。どんなのができたか、SNSや子ども食堂のサイトに投稿しますから、一ノ瀬君も見てくださいね!」

 あ、ああ。それは興味深い。ぜひ知らせて欲しい。だけど、千石さんを自宅に誘うのはどうしたらいい? 俺は千石さん一人を自宅に誘えるほど親密な間柄ではない。田村さんも一緒じゃないと難しいのだが……。

 それを書き送ると、田村さんから「二人でウチ食堂の試作会に来たらどうですか?」というお誘いのメッセージが来た。

 それを千石さんに転送して誘ってみたが……。

 千石さんは「ごめん。その試作会は夜ですよね? その児童館から我が家は距離があるのでちょっと無理です」と断られてしまった。

 俺は慌てる。ここで次に会う約束を取り付けなければ、お付き合いに至る道が閉ざされてしまいそうだ。ど、ど、どうしよう……。

 その気持ちをそのまま田村さんに伝えると、とても有意義な返信が貰えた。

「正攻法でどこかレストランに誘ってみたらどうですか? 料理の勉強って口実があるから不自然じゃないと思います」

 おお、そうか! 田村さんからのアドバイスを見て、俺は思わず手を打った。プロの作った料理を食べて舌を肥やすことも料理上手になるのに大切なことだ。千石さんに「俺の料理修行のためにレストランでの外食につきあってください」と頼めばいい。なんて自然な口説き文句なんだ!

 俺は猛然とインターネットで検索し始めた。エスニック料理で、かつ確実に美味なもの……。どこの料理がいいだろう?

 期限は3週間。千石さんの都合と俺の仕事の兼ね合いで、次に会うのは3週間後となっていた。

 その間、田村さんたち子ども食堂のスタッフは、あの料理本からいくつか選んで試作を重ねている。

 最初は、単に珍しい料理に興味を持った有志が集まるだけのつもりだったそうだが、コストと手間が折り合う料理があれば、食堂で子どもに振る舞うメニューに採用しようということになっているらしい。

 どんな料理を作っているのか気になった俺は、子ども食堂のサイトをブックマークしておいた。ある日、「世界の料理のレシピ本を見てアフリカP国の料理を作りました!」という記事が投稿されていた。

 それを電車の中で読んだ俺は、家に着いてから自分の本で確かめてみる。あれ? これオーブンが必要な料理じゃないか。俺はサイトの記事に「オーブンがあるなんて児童館の台所は本格的なんですね」とコメントしたが、それは俺の早合点だった。

 田村さんが書いたであろう返信には「児童館も子どもの昼食やおやつを準備するための最小限の設備しかないですよ。オーブンなんてありません」とあった。

 だから、「オーブントースターで代用できるものを作りました」とそのメッセージは続く。

 そうか。トースターか。それなら俺の家にもある。毎朝トーストを焼くのに使っているものだ。

 実を言えば、俺の家の電子レンジはオーブンレンジだから、オーブンとして使うことも可能だ。製品としては。

 それは田村さんも訝しく思ったらしい。後日、ダイレクトメッセージで俺に教えてくれた。

「一ノ瀬君の電子レンジはレンジ専用なんですか? オーブンレンジならオーブン料理も作れるはずですよ」

 それはそうだ。俺の実家にあるのもそうだった。だが、いかんせんメシマズ母が活用していたところを見たことがない。人間、慣れないものには抵抗がある。使い慣れたトースターで出来るなら、それで作る方が安心だ。

 他人には不合理なこだわりとも思われそうだが、田村さんは「そうですか」と返しただけで、それ以上オーブンレンジを使えとは言ってこなかった。児童館の電子レンジも安い単機能のものであることと、自分もオーブンレンジを持っているがオーブンとして使ったことはないとのことだった。

「一人暮らしなので、何か高温になってしまいそうなのが怖いんです」という。へえ、千石さんは自宅暮らしだけど、この人は違うのか。

 田村さんは大阪の出身だという。「食い倒れの街の出身です」とあるから、なるほど料理への興味のルーツはそこかと思うが、関西人なのに関西弁を使わないから意外だった。

「大学で大阪弁を使うたびに凛子ちゃんにいちいち驚かれました(笑)」と田村さんはメッセージに書く。それで何となく大学でも使わなくなったらしい。

 千石さんは珍しいものには珍しいとはっきり言うだろう。「あれ、それ大阪弁?」といちいち突っ込んだんだろうな。それで、田村さんは、千石さんの天真爛漫な無邪気さに多少のわずらわしさを覚えながら、だんだん標準語に慣れていったのだろう。

 俺と田村さん。理由は違うが、オーブンをトースターで代用するにはどうするかでノウハウを共有することになった。

 田村さんによれば「具材を一から加熱するのは難しいですが、既に加熱した素材を纏めてから火を通すものなら可能です」とある。

 だが、いい加減、文字の遣り取りをするのはまどろっこしくなってきた。

 俺は田村さんに電話番号を教えてもらい、電話で話すようにした。

 電話で話しながら、互いに手元に同じ料理の本を開いて話す。これなら話がトントン通じる。

「全ての料理でトースターで代用するわけにはいかないよ。ほら、201頁のQ国料理は生の材料を耐熱皿に入れて20分加熱するでしょう? こういうのはさすがにオーブンでないと無理」

「ああ、火力が必要だね」

「だけど、153頁のR国料理だとあらかじめ炒めておいたミンチと玉ねぎ、ゆでたジャガイモを生卵と合わせて耐熱皿に入れるでしょう? 過熱が必要なのは卵だけ」

「でも、こんな分厚い耐熱皿で玉子にも火が通るもの?」

 ああ、と田村さんが笑った。

「それね、陶器の分厚い耐熱皿じゃなくて、アルミ皿を使った」

 アルミホイルをお皿の方に成型したんだろうか。強度は大丈夫?

「バーベキューグッズで、アルミで出来たグラタン皿みたいのが売ってるでしょ? それを利用したのよ」

「ああ!」

 それはいいぞ!……ってかよく思いついたなあ!

「食堂のスタッフみんなでわいわい本を見てたら、メンバーの一人が思いついてね。卵にもちゃんと火が通ったよ。なんかヨーロッパのキッシュみたいなお洒落な料理ができてみんな喜んでた」

「へえ。これアフリカの料理だろ? なんかもっと素朴な感じの料理になるのかと思ってた」

「北アフリカは地中海を挟んでお向かいがヨーロッパだもの。大陸の内陸よりも、海運で地中海を囲むようにして文化が共有されていたと思う」

「あー。世界史で習ったローマ帝国の勢力図が確かに地中海を取り巻く感じだったよな」

「ハンニバルとかね」

 おおお。料理を通じて話が膨らむ。そうだ、俺は千石さんとこういう会話をしたかったんだ。

 そう言うと田村さんはここでもナイスなアイデアを出してくれた。

「地中海で思い出したんだけど、凛子ちゃんを誘うのにトルコ料理はどうかな。一ノ瀬君の家で作ってもいいけど、都内に何店かトルコレストランあるよ」

「トルコ料理……」

「トルコ料理店って屋台のケバブに近いような庶民派もあるけど、宮廷料理の系統の高級レストランもある」

 それだ! 千石さんをデートに誘うならそういうお店だ!



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