十三 抜け荷

文字数 1,914文字

 藤五郎二十四歳の夏、葉月(八月)三日。
 廻船問屋黒川屋で抜け荷が発覚した。扱っていたのは禁制品の阿片と珊瑚、そして宝石だ。
 捕縛された黒川屋の主と奉公人に、北町奉行所は打ち首の裁きを言い渡し、即日刑が執行され、黒川屋はとり潰された。

 抜け荷が発覚すれば、こうのなるのはわかっていたはずだ。なぜ抜け荷をするのか、藤五郎はわからなかった。先を読める者なら、こんなヘマをしないだろう・・・。

 藤五郎は店の座敷で大福帳を見ている祖父の亀右衞門と伯父の庄右衛門に訊いた。
「祖父ちゃん。伯父さん。黒川屋はこうなるのを知っていながら、なぜ抜け荷をしたんだ」
「一攫千金の夢を追ったのさ・・・」と祖父の亀右衞門。
「夢は夢のままに終わった・・・」と伯父の庄右衛門。

「抜け荷は儲かるのか。黒川屋が儲かっていたようには見えなかったぞ・・・」
 黒川屋は富沢町の御堀端の廻船問屋だ。亀甲屋がある田所町の東の通りを挟んで新大阪町だ。その南へ二町目に富沢町があるが、黒川屋が羽振りが良かったなどと聞いた覚えは無い。人知れず何処かに寮でも買い入れて贅沢をしていたような話も聞いていない。いったい抜け荷の儲けで何をしていたのだろう・・・。

「実はな。つかぬ話を聞いたんじゃ・・・」
 祖父の亀右衞門は藤五郎が思ってもみない事を口にした。


「黒川屋は大名家の下屋敷の指示で抜け荷をしていたとのことだ」
「その話を誰からを聞いたのか」
 藤五郎は祖父の亀右衞門に聞き返した。

「日頃から北町奉行所に協力している藤五郎の働きに感謝して、藤堂様がそれとなくこの廻船問屋亀甲屋に釘を刺したのだ。くれぐれも大名家の口車に乗るなとな」
 藤堂様とは藤堂八十八のことだ。此度の黒川屋の抜け荷を暴いた、北町奉行所の町与力だ。藤五郎は亡き父の藤吉を通じ、香具師の元締めとして藤堂八十八とは親しい付き合いがある。

「町方は大名家の横暴に手を出せぬ。かといって、大名家は商いの手蔓がないから廻船問屋を利用しているのだ」
 伯父の庄右衛門が抜け荷の販路を説明した。
「では、黒川屋の捕縛で、その抜け荷の手蔓は壊滅したのか」
 藤五郎は抜け荷の販路に興味が湧いた。

「黒川屋は禁制品の阿片と珊瑚、宝石を売りさばいていただけだ。仕入の手蔓は大名家の下屋敷が仕切っていた。町方の探索は、大名家で止まったままだ」
 伯父の庄右衛門はこまったような表情でそう言った。

「事件が解決していないとなれば、いずれ、どこぞの廻船問屋が黒川屋の代わりをするだろうな・・・。
 黒川屋に抜け荷をさせていたのは、どこ大名家か」
 藤五郎は、黒川屋に禁制品の阿片と珊瑚、宝石を運ばせて売らせていた大名家か気になった。

 祖父の亀右衞門が言った。
「藤堂様は、はっきり言わなんだが、越前松平家らしい・・・」
「何てことだ・・・」
 藤五郎は驚いた。

 そんな大物が背後で糸を引いていたのか。となると、黒川屋は単なる運び屋だ。抜け荷の罪をなすり付けられたまま死罪とは不甲斐ない話だ・・・。
 黒川屋は抜け荷が発覚した場合、こうなのはわかっていたはずだ。何も手を打たなかったはずはあるまい・・・。
 濡れ衣とはゆかぬまでも、全ての罪を着せられぬよう何か手を打ったはずだ。それがわかれば、背後の越前松平家の動きが表沙汰になる。そうさせぬため、越前松平家は北町奉行所に圧力をかけて、主と奉公人の全てを打ち首にさせたのだろう・・・。
 町方は上役の指示に従っただけだ。北町奉行所の上の立場に当たるのは評定所か。評定所の関係者は探れぬな・・・。
 黒川屋に奉公していた下女たちはどうなったのだろう・・・。

「黒川屋の奉公人が、皆、打ち首とは、凄まじい裁きだな」
 藤五郎はそう言って、黒川屋の下女たちがどうなったか行方を知りたいと思った。
御上(おかみ)の裁きだ。誰も反論できまい・・・」
 伯父の庄右衛門は、黒川屋に対する裁きがきつすぎると思っている様子だ。

 藤五郎は訊いた。
「下女も打ち首になったのか」
「女たちは何も知らなかったから、所払いになって、皆、国元へ帰ったそうな・・・」
 祖父の亀右衞門はそう言って、独り、安堵の表情を浮かべた。

「では、黒川屋が抜け荷をしていた事を知る者はいないのか・・・」
 藤五郎は、抜け荷の様子を知る術はないかと思った。

「藤堂様によれば、越前松平家下屋敷留守居役が抜け荷の主謀者との事だ。
 下屋敷留守居役は上屋敷留守居役の松平修善の倅、松平善幸じゃよ。
 名前とする事は大違いぞな・・・」
 祖父の亀右衞門はそう言って、名前とは大違いの、抜け荷という行ないに呆れている。

 藤五郎は、今後のために、何としても、黒川屋がどのように抜け荷をしていたか、調べようと思った。
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