存在への自尊心①

文字数 3,030文字

 俺という存在は、この教室においてはどうも異端であった。
 少々のざわめきを侍らせた授業中、居眠りや私語は行き過ぎれば注意されるのは道理で、それらを除けば石灰を固めた棒を黒板に叩きつける音とノートを引っ掻く吐息だけで満たされているべきであり。
 そこは大人達が斯くあるべしと定めたルールを理解する為に設けられた空間である。
 故にこの学び舎《私立双ツ河高等学校》には頭髪の自由を定めた理はない。それはここに通う学徒にとって、近い将来必要のない――無駄な要素であるからだ。
 進学校という訳ではないが、全国水準で言えば上位の平均偏差値を維持し続けているこの学校は、卒業生達の進路も手堅い未来が約束されている。
 そういった末に就職することになるだろう企業達は当然、ユニークな頭髪色など余程の理由がなければ推奨しないし――であれば、この双ツ河高校が推奨する理由はない。
 であるのに、だ。鬼教師のレッテルを貼られている現文教師でさえ、この金の頭髪に注意しようとはしない。
 自分で言うのもなんだが、服装だって学ランを引っ掛けただけの不良のようななりで、ワックスで逆立ててすらいるというのに。
 それが少し、ほんの少しだけ不満に思いながらも、今更やめることも出来ずにいた。
 チョークを何度か叩き付けた後に振り向いた教師は僅かに此方に目をやりはしたが、やがては板書の解説を始める。それはもう、自信なさげにわかる人には情けなく、恐るかのように。
 余談だが、この教師の最初の授業で喜々として指名された俺はこう答えたことがある。

『李徴が情けなさから虎になった訳あるかよ、アイツは何処までも自分のクソつまらねぇ芸術家としての矜恃と戦い続けて、虎に堕ちてもまだ戦い続けてんだよ。勝手に自身のエゴで李徴の、李徴さんの心情をわかった気になんじゃねぇ』

 それから授業では腫れ物扱いである。全く、山月記という素晴らしい文学に対して『自分が情けなくて』なんて独自解釈を垂れやがった奴が教師だなんて片腹が痛い。
 奴こそがやがては本当に虎に至り、自尊心を肥大化、いや虎大化させて未来ある若者を洗脳するような教師未満に成り下がるのだろう。そう考えるのなら、あの時の言葉は無駄ではなかったのだと思う。
 しかしあれから、元からビジュアル的に近寄られ難かった俺は孤立を極めることになった。
 曰く『国語ヤンキー』やらと言われ、他の授業でも軒並みやらかした結果『博士ヤンキー』と進化している――実に不名誉である。
 そもそも俺はヤンキーでは無いし、普通に運動は出来ても喧嘩のひとつもしたこともない。
 金髪は地毛だし――ワックスや着崩した制服は弁明できないが――勉強だって、普通にしているだけである。
 その結果が学年一位というのは、周りの努力が足りていないと言うだけの話であり、疎まれるようなことではないだろう。そうは言っても、テストの度に如何にも優等生ですといったツラからため息を吐かれるのだが、知ったことではない。
 とにかく、俺には理由があってこの格好をしているのであって、 これが俺自身の体現なのだ。この体現の意味も最近では薄れてきてしまっているのだが、この姿で定着している以上――変えるのは、"怖い"。
 終業のチャイムが鳴って、直後に喧騒が膨張する。教師が『今日はここまで』と言って道具を纏めて出て行ければ、日直が黒板を消しにかかった。
 教室入口のその直ぐ傍、一番目が俺の席。昼休みの今は、人の出入りが忙しなく繰り返され、読書の為の雑音には事欠かない。
 今日も今日とて、くたびれた紺の鞄から小説を取り出して栞を挿したページを開いて、しかしそれを邪魔する輩が居た。
 人の往来の風が、鼻先にふわっとした甘い蜜柑の香りを漂わせる。机と小説に影が落ちる。

「ねぇねぇ、"カラス"。放課後勉強教えてよ」
「……まずは文脈ってのを覚えてから出直せ、宇賀野(うかの)

 何の脈絡もなく話しかけてきた影を見あげれば、クラスメイトの一人、出席番号的には"二番で俺の後ろの席"の住人の姿があった。これから購買に行くのだろう、手には小洒落た黒革の財布を持っている。ひよこのストラップが揺れる様は何度見てもミスマッチだ。
 彼女、宇賀野鹿乃(うかのかの)はそのブラウンの前髪を財布を持っていない手で弄りながら、快活に笑む。

「えー、普通の会話でそんなの気にしないってぇ、ね、いいでしょ。お願い!」

 孤立を極めたと言ったが、それは入学して僅か後の話。この見た目で学年一位というアンバランスさと、気に食わない教師を論破して掛かったというのが多感なクラスメイト達にはウケが良かったらしく――二年生の今では普通に誰とでも話すようになっていた。
 このクラスメイトの女子は率先して俺に話しかけて来た一人であり、そのことには感謝している。何より頼られるというのは悪くない。というより、頼られたいぐらいである、というのは誰にも言わないが。
 
「ったく……どうせお前だけじゃねえんだろ、面倒だから全員放課後図書室に連れてこい」

 少しだけ乗り気ではない、やれやれと見せるのは格好つけ。男の性というものだ。実に面倒な性格をしているという自負はあるが、ほっとけ。

「さっすがぁっ、我らが"カラス"、賢い!」
「それ貶してんのか褒めてんのか……なんて慣用句を言えば満足か?」
「なら"褒めてる"って返しておくよ。じゃ、放課後またね!」

 短めのスカートを翻して、教室を飛び出して行った彼女は風のようだった。気まぐれに吹いては、気がつけば煽られているのだ。
 博士ヤンキーだなんて渾名は何処へやら、今では名前の『空鴉庵(あきえいおり)』の一文字とこの羽織った学ランから"カラス"なんて呼ばれることが多かった。
 それを始めに言い出したのは宇賀野で、思えばそう呼ばれるようになってからクラスメイトと普通に会話出来るような仲になっていったのだったか。
 それでも、俺の存在が異端であることには変わりがないのだが。
 
「感謝しねぇとな」

 クラスメイトの間を忙しなく吹いて、皆をまとめあげてしまうつむじ風娘。彼女に報いる為にも、放課後ぐらいは付き合ってもいいだろう。
 読みかけの小説を開きながらも、放課後の勉強会で何をどう教えるかばかりを考えていた。
 結局一ページ捲っただけで始業のチャイムがなって、椅子を一斉に引く音を合図に静寂が訪れる――筈だった。
 それは絹。それは光が紡ぐ銀糸。
 伸ばせば腰まであろうかという髪を後ろで結って、それを靡かせて教師の後ろを歩く存在。
 教壇に立って自己紹介を促されれば頷いて、薄桜色のリップで湿る小さな口を開いた。
 
「本日よりお世話になります、彩衣詠華(いろいえいか)です。好きなものは特にありませんが、嫌いなものは――」

 誰がどう見ても麗しい美少女。
 しかし俺はどうにも形容し難い、それはもう酷く吐き気のするような"嫌悪感"を瞬間的に抱いていて――次いだ一言はこの心に酷く焼き付いた。

「――カラスだけは許せないので、どうぞお見知り置きを」

 この日、クラスは三十一人に成ったのだろう。だが、俺の中では未だにクラスの総数は――三十人のままだった。
 何故か"ブレザーを着崩した"転校生を見て、俺はそんな風に感じたのだった。
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