存在への自尊心②

文字数 3,029文字

 放課後を告げるチャイムというのは学生にとって特別な意味を持つ。一般学生にとっては肩の力をやっと抜ける音であり、部活動に所属していれば気力を入れ直す激励にも聞こえるだろう。靴箱に恋文を入れた女子にとっては鼓動の加速装置になるだろうし、普段の俺にとっては自分の中のスイッチをオフにする合図であった。
 部活動に所属していない俺は基本的には家に直行するのだが、今日は宇賀野に勉強を教える約束がある。俺の肩の力が抜けるのはもう少し後になるだろう。
 この学校の図書室は閉門までは解放されていて、勉学に励んだり何かしらの趣味を行うような集いの場となっているのだが、そこが約束の場所だった。
 
「しっかし……疲れたな……」

 昼から転校してきた彼女は次の休み時間には当然のようにクラスメイトの興味を一身に受けていた 。そりゃあ銀髪で初日から化粧までしている美少女を放っておけという方が難しい。
 教師が何も言わなかったということは髪色は地毛もしくは何らかの事情があり、更には化粧や服装すら咎められない――何故だかアイデンティティを喪失したかのような、否実際喪失してしまったのだろう。
 俺のこの反社会的とも言える装いが許されているのは、成績と裏で積み重ねた教師からの信頼の賜物であったのだが、彼女はそんな実績なんて何のそので教室に咲き誇って見せたのだ、嫉妬するなという方が無理がある。俺でなくても、一部の女子は『何で化粧してんの?』なんて殺意すら感じる言葉を投げ掛けていたが――『それが大人というものよ』なんて冷ややかに返されれば、ここが正真正銘若者の集う学び舎であっても二の句を次ぐことも出来ずにいるようだった。
 ところで俺は直感的な悪寒から早々に転校生からの興味を断ち切ろうとしていたのだが、『彩衣』という苗字はそれを許しはしなかった。
 席順が出席番号を参照するこの学校では『宇賀野』より前――つまりは出席番号一番の俺の後ろの席。挨拶早々に『カラスだけは許せない』なんて言っていたのに、だ。
 転校してきたばかりの彼女が俺の渾名を知っている訳はないのだが、黒板を見ているだけはずの彼女の視線は、どうも冷ややかに背中に突き刺さる様に感じる。
 とにかく己はどうやら生理的に彩衣詠華のことが苦手であるらしいと結論づけて、早々に席を立つのであった。
 かのつむじ風娘は掃除当番であり、時間迄にはまだ余裕がある。先に図書室で小説の続きを読んでいれば直ぐだろう。
 廊下は帰路の学徒が忙しなく行き交い、各々が青春やら未来やらと語らいながら流れていく。その流れに逆らうようにして進んだその先が図書室だ。フィクションの様に蔵書数がある訳でもない、何か神秘に侵されている訳でもない平凡な内装だが、学徒の憩いの場、或いは勉学に勤しむ場として斯くあれかしとそこに存在している。ただ、ここの管理教員は潔癖に過ぎ、本の香りと誤魔化した埃の鼻をくすぐる匂いすらしないのが少し残念だ。
 つまりはほぼ無臭な訳なのだが、扉を開けた直後だけは別だ。錯覚と言われようが、そろそろ三桁年に達するかという学舎の、その図書室の歴史は重々しい歴史のかほり(・・・)を持って来室者を歓迎するのだ。
 例えそれが金髪を逆立てたヤンキーファッションであっても、その扉は平等に開かれる。
 だが今は、重厚というよりは細い糸が張り詰めたような静寂がこの場を支配していた。扉を開いた俺は体をそのままに動きを止めることを余儀なくされた。

「――彩衣、詠華」

 この図書室には今、俺と彼女の二人しかいない。だというのにこの緊迫した空気は、この身が少しでも動けば切り裂くぞと言わんばかりに静かに過ぎた。
 ゆったりと、開いていた本から此方に向けられた視線は明確な敵意を(はら)み、目の動きだけで『出ていけ』と語る。
 お互いに今日が初対面であるというのに、亀裂と言うには生ぬるい関係性の破綻(はなん)が僅か五メートル程の距離を満たしていた。

「カラス、小賢しいカラス――早々に立ち去りなさい、貴方と私は相容れない」

「ハッ――ご挨拶だな。そりゃあ俺も同意見だが、ああ悔しくも同意見だがッ! 本日は学友との勉強会があるんでね、去るのはテメェだ転校生」

 既に渾名を知っていたらしい彼女は、やけに高圧的に。故に俺もそれ以上に皮肉ったらしく。同じ空間に共に存在することを否定した。
 先程は生理的になどという"不適切な表現"をしてしまったが、対面して一言雑言を投げつけあった瞬間により適した言葉が脳に焼き付けられるのを感じた。

「テメェは――」「貴方は――」


「「――不倶戴天、この天の下に共に生きるなど有り得るものか」」


 男と女、金と銀。不良に美少女――それは傍から見れば対極に在るように見えただろう。
 しかし決してそういう意味で相容れないという訳ではない。俺とコイツは同じ席に無理矢理二人で腰掛けているかのような、あまりに近しすぎる存在なのだと直感が告げる。
 彼女がブレザーを気崩すように、俺が学ランを羽織るように。ワックスで固めた髪の様な、歳不相応の化粧の様な。
 思春期の病――自らの存在意義(レゾンデートル)を喘ぐように求めている者同士であると、不快ながら理解し合って(わかりあって)しまったのだ。
 
「初めて会った奴にんなこと言われる筋合いはねェッ!」

「初対面の人間にそんなことを言えてしまうなんて人間性を疑うわ」

「アァあッ!?」「はぁ?」
 
 使う言葉は違えども、共に携える意味は同じで。この瞬間俺達は"共鳴する不協和音"と化した。
どこまでも耳障りなのに、波長があってしまう。それが酷く気持ち悪くて、胸焼けがした。
 
「テメェが何を言おうと、俺はこれからクラスメイトに、ク・ラ・ス・メ・イ・トにここで勉強を教えることになってんだよ、分かったら失せろ」

「あら、ここは生徒皆の憩いの場所のはずだけれども、それを分かって言ってるのなら貴方こそ失せるべきじゃない? それに勉強って、如何にも出来なさそうな見た目しておいて何を言っているのかしら」

「人を見た目で判断するとは時代遅れの価値観だなオイ。そもブレザー着崩して紅塗ってるやつに言われたかねぇんだよ、学生らしい格好しやがれ背伸びしやがりやがって」

「女性のそれはお洒落よ。男の貴方のそれは――見栄でしかないわね、何そのギットギトの金髪、アウトロー映画の見過ぎなんじゃない?」

「男女差別とか時代錯誤を重ねんなよ、お家が知れるぞっていうかキラギラ主張激しい銀髪に言われたかねぇなぁ!?」

「これは地毛よ、貴方のブリーチして染色したくすんだ金と一緒にしないでくれる?」

「こ・れ・も地毛だっつのッ! 地毛が銀ってアルビノかなんかかよ日差し浴びたら灰になるのか今すぐ表出ろやァ!」

――はぁ、はぁ……。

 息切れすらも同調して、最早決して分かり合えないことを分かりあって、以来俺達は不干渉を貫くことを決めた。停戦協定を結んだという訳ではなく、水面下での成績争いやなんかはあったが、直接関わることを禁忌として、卒業までやり過ごすはずだったのだ。
 それがこんな、いとも容易く壊れるなんて俺も彼女も、予想出来る訳がなかった。
 侮っていたのだ、このクラスに吹く全てを纏めあげてしまう風のことを――。
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