【チーム・スパチオ】 1988~89年

文字数 4,261文字

チームの名前は「スパチオ」、
パパミケーレのお店の名前と一緒です。
チーム命名も揉めるに違いないとちょっと意地悪で楽しみにしていたのですが、あっさりと決まりました。
「海老名ショッピングアーケード」では長いし古臭いということで一番に却下されました、そりゃそうでしょ。
同様に加頭文字の「ESA」も、短かければいいものでもないということで。
そこで商店街にゆかりのある名前ということで皆さんの屋号を検討しました。
「ホカ弁」、「スター」、「金物」、「サイナラ」
・・を俎上に載せては捨て去ります。
加山さんが「ウチはいいです、降ります」と言ったとき残っていたのがパパミケーレの「スパチオ」だったのでした。
それだけのことですが、イタリア語で空間という意味のスパチオは皆さんの理想とする空間こそがショッピング・アーケードを意味するという強引な意味づけをして、自己満足していました、皆さん全員で。

加山さんが組み上げてくれた自転車は、台湾製GIANTSのカーボンフレームタイプです。
スチール、アルミに次ぐ最新素材を選んだのです、トライアスロンが常に最新の科学実績を躊躇なく取り入れるスポーツであるから、チームの方針もすべからく、そうでありたいという加山さんの熱い想いでもあります。
スポーツ自転車なんてどれも同じでしょ?
と私も思ってましたけど違うんですね。
フレームという本体からして少しゆったり目になっていて200㎞ものロングライドに耐えられるよう工夫されてます。 
効率と同じように安全にも気配りされ、「ヘルメット」の着用も義務になっています。
パワーロスの少ないペダリングのためにはビンディングタイプのシューズ、接地面の少ない高速タイプのチューブラタイヤ、
自転車には結構お金が必要なことが少しづつ分かってきたやさしい仲間たちですが、住宅開発当初の好景気(他にお店がなかっただけのことですが)時代の貯えが十分にあるので財政面の心配はないようです。
オリジナルのバイクウェアはイタリア・アズールブルーに「SPZIO」の金文字、むろんパパミケーレの発案デザインです。
バイクシューズは革新的ビンディングタイプのLOOK、ヘルメットはGIRO、全部おんなじマークがついたお揃いです。
トライアスロンは三種類の異なる競技を如何にストレスを感じることなく続けるかにある…という点には全員一致しました。
でも、各パート、スイム・バイク・ランの練習方法については予想通りみんなの意見が噴出してまとまりません。
結局パート担当者に任せることになりました、パパミケーレが設定した安全ネットに落ち着いたわけです。

バイクトレーニングは、まず転倒する練習から始まります。
すぐ近くを流れる相模川河川敷、そのなかでも人通りのない場所で全員が急ブレーキをかけて倒れ込みます、
見ていてもハラハラ。
「ハンドルから手を離さない!」
加山さんの叱責が飛びます。
お茶のペットボトルを並べその間をバイクで超スロースピードで通り抜ける練習、
そのボトルをバイクから身体を折りたたんですくい取る練習、
止まりたいとき素早くシューズのビンディングを外すタイミングの練習、すべては安全のため、万が一事故に逢ったときの怪我を最小限にするためです。
期待していたものとは違う地道なドリルです。
「ねぇ こなっちゃん、俺こんなことしてて200㎞もバイクに乗れるようになるかねぇ?」
皮肉屋の渡さん、さすがに心配そうです。
「そうですよねぇ」しか答えられない私。

スイムトレーニングは、なんと高倉さん指導で古式泳法を学びます? 水中で浮く、水を捕まえて推力に変えるコツを徹底して覚えさせられます。
「少なくとも溺れないようにしてあげます」高倉さんの言葉にはいつもの冗談のかけらもありません、泳げないメンバー三人(三船、ミケーレ、渡)も高倉さんの真剣な指導に逆らうことができません。
私は生まれつきの犬かき泳法が身についているので三人へ冷ややかな目線を放ちます。
「ねぇ、こなっちゃん こんなことしてて4㎞も泳げるようになるのかね?」
渡さんの心配は2倍になります。
私は頷くだけです。

ラントレーニングは加山、高倉メソッドと違って単純です。
「毎日5㎞走ってみてください、タイムは気にせずとりあえず一か月」
人はそれぞれ自分に合った走り方ができる・・というのが三船さんの信念なのです。
「でも、どこかが痛くなったらすぐにやめてワタクシに相談して」
と、幾分クールに突き放す三船さん。
秋のマラソン大会に出るのがランパートのノルマになりました。
犬も歩けば棒に当たるっていうから、人も走ればどこかに到達するのでしょうか?
「ねぇ、こなっちゃん 5㎞走っていても42㎞に届かないと思うけど?」
渡さんのご心配もごもっとも。
私は黙って小夏スマイル。

筋力トレーニング兼故障予防ストレッチ担当の小林さんのソリューションは合理的です。
チーム六人まとめて駅前のプール付きスポーツジムに入会します、ジム専属のトレーナーと一緒に「トライアスリート養成筋力メニュー」を新規開発し、
「メニューの版権はジムに差し上げますし、六名まとめて団体扱いで、会費は半額ね!」
と押し切ってしまったそうです、私はジムに入館できないので、現場を見ていたわけではありませんから、このエピソードは少し怪しいかもしれません。

手探りで始めた最初の一年が過ぎ1989年になりました。

レース情報・遠征担当の渡さんが推薦してきた大会が9月の「天草国際トライアスロン」、チーム・スパチオが目指しているのは、世界選手権のハワイアイアンマンレースですが、まずは短いタイプで情報収集するという計画です。
スイム1.5㎞、バイク40㎞、ラン10㎞のショートタイプだから少なくとも最初のスイムに不安のない加山、高倉の二人なら出場できると言い張るのです。
どうやら、厳しいバイク・スイムトレーニングに対する意趣返しのようにも思えます。

「わかりました、トライアスロンがどんなものか体験してみんなに報告します、ただしこれは例外です、本来私たちは全員でスタートすることを目指すものですよ」
加山さんもあとにひけないようです。

こうして加山・高倉両選手がショートタイプ実戦練習に入る一方で、残りの4人は黙々と与えれれたメニューをこなすのでした。

バイクトレーニングは初心者コースを終え、ロード練習になります。
週に一度の商店街定休日、宮ケ瀬渓谷までの山道の上り下りが練習コース、上り坂で心肺と脚力を鍛え、下りでは慎重なハンドル操作とブレーキングを学ぶのですが、どうしても6人の力の差が出てしまいます。加山さんは3人単位の2グループに分けて、各メンバーの身丈に合ったライディングが覚えられるようにします。
別の言葉でいうと、速い組と遅い組に分けたのです。
二つのグループ内で助け合い励まし合いしながら違ったメニューをこなすのです、ちなみに加山・渡・三船組が早い方、私の予想通りです。
バイク練習には、サポートカーが出動します、飲物、食糧、メンテナンス機材、交換パーツ、万が一のファーストエイドキットを積んで先行したり後ろからフォローしたりします。
二つのグループを均等にサポートするのは最初大変難しくて、片方のグループに最後まで巡り逢えなかったりしましたが、そのうちノウハウが蓄積され、2チームをフォローしながら決められた地点でランチを出すところまで進化しました、移動式エイドステーションの誕生でした。
この役目はメンバーの家族です。
ハイキング気分で参加する奥様や彼氏様、お子様たちと一緒に私はいつも後部シートで大きな笑顔を張り付けておとなしく見守ります、
何せ私はチーム・スパチオのマスコット犬なのですから。 
 
食料はお弁当かパスタ、またその両方、そうです小林さんとミケーレの商売物、というか賄い物、というか残り物でもあります。
メンバーのお気に入りは、お塩たっぷりのおにぎりに鶏唐揚げ付き、トライアスロンを始める前だったら命を縮める悪魔の食い合わせと言われるはずですが、大量の汗を補う塩分、良質の筋肉のために鶏肉のたんぱく質をとることはミケーレも公認のトレーニング中食だそうです(本当なの?)
ミケーレの一押しは、有機ペンネとソーセージ入りトマトソース、お店の正式なメニューには入っていません、有機パスタは貴重品で少しお値段が張るものだからです。
さすがにワインは用意されないのですが工夫された栄養価の高いランチを皆で地べたに座って食べます。それだけでチームスパチオが一丸になったような気がするのです。

練習後のバイク清掃も加山さんからのきついお達しです。
「道具を大切に、特に命を預ける道具を疎かに扱ってはいけません、修理やメンテナンスは私に任せください、でもバイクはいつもピカピカにしておいてください、そうすれば異常にすぐ気がつくものです」
ちょっと怖いくらいのお言葉です。

スイムは溺れない訓練(命を守る訓練)を終了してクロール実習に移ります、高倉さんもこれを機会にきちんとクロールを覚えたいということで、東海大学トライアスロンクラブのキャプテンに先生になってもらい駅前商業施設にあるピープルのプールで教えてもらうことにしました。やっと4㎞スイムへの道、アイアンマンの景色が見えてきました。
週に二回、ドリルを中心として反復練習を2時間。
その他に時間があれば各自で長い距離も泳ぐようにとの高倉師範からの要請です。
優しき仲間たちが競い合うように3㎞泳ぐのを私は知っています。そのあと、パスタを食べにいらっしゃるみなさんの体から塩素が漂ってきます、こっそり泳いだのね。
「鼻が命」の小夏ですから。

ランニングコーチの三船さんから新しい指令が出ます。
「10㎞,20㎞のコースを設定しました、ショッピングアーケードをスタート・フィニッシュするコースです。地図の赤い線が10㎞青い線が20㎞、組み合わせれば30㎞、40㎞の練習ができるようになっています。残念ながらランの力は皆さんバラバラですので集合練習はまだ当分お預けです。10月の河口湖マラソンで42㎞を体験しましょう、 加山さんと高倉さんの天草組はレースが近いのでマラソンは次回にしましょう」

1年半でトライアスリートらしい生活になるなんて、想像もしていなかったのは私だけではなく、チームスパチオのやさしい仲間たち全員の思いだったようです。
1989年の夏、
毎日の熱いトレーニングで、
暑さも感じることなく、
暑い夏は過ぎ去っていきます。
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