第10話 マーケティング近視眼
文字数 2,308文字
「参ったなぁ……」
優介は、頭を抱えた。このところ、音楽にのめり込み過ぎて、大学の単位がヤバいのだ。そもそも優介は、今通っている学部の経済学について興味が無い。言わば嫌々やっているだけなのだが、それでも単位は必要である。特にゼミの授業がヤバいのだ。
「マーケティング、かぁ……」
意味不明のカタカナ用語が飛び交うその世界がどうも優介には馴染めない。
「おい優介、教授が呼んでるぞ」
源太がうつむく優介の頭をゴツいた。
「あぁ、分かってるよ」
優介は、憂鬱な表情で答え、重い足取りで教授の元へと向かった。
優介のゼミの教授は、木下と言い、どうにも優介と合わない。優介がやっている音楽活動の事も学生の本分を外れた余興であり、意味がないとまで見られていた。
案の定、優介は木下にコッテリ絞られた。
「殲滅狂太だかなんだか知らないが、もっと勉強もしたまえ」
そう罵られ命じられたのが、レポートの再提出である。優介は、俯きながら木下にうなずき部屋を後にした。
重い足取りでキャンパスを歩いていると、後ろから背中を叩かれ振り向くと晶が立っていた。
「どうしたの優介、暗い顔をして?」
優介は、溜息混じりに答えた。
「教授にコッテリ絞られたよ。レポートの再提出だってさ」
「ふぅん……どれどれ?、マーケティングかぁ」
晶は、優介のレポートの課題を読むやあっけらかんと言った。
「こんなの簡単だよ。今、優介がやっている事をそのまま書けばいいんだよ」
「え?、どう言う事?」
優介は、思わず聞き返した。
晶が言うには、優介の音楽活動である殲滅狂太をそのままモデルにしろ、それがそのままレポートになる、との話だった。
「で、でもアレは音楽活動で、マーケティングや経済学とは……」
「一緒だよ。別に洗練されてなくたっていい。ありのままの殲滅狂太を書けばいいんだ。まぁいっぺんやってみなよ」
そう強く勧める晶に押し切られる形で優介は、うなずいた。
「とは、言ったもののなぁ……」
その夜、優介は机に向かうもののなかなかレポートが捗らない。不意に優介は、晶から渡された一束の資料を手に取った。
「セオドア・レビット、元ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授……マーケティング近視眼?」
それは、かなり昔に書かれたレポートだった。
「こんな古いレポートが今の時代に役に立つのだろうか」
そう思いながらゆっくり読み進めると、そこには、企業が商品を販売するにあたって、その商品の機能のみに着眼してしまうと自らの使命を狭く定義することになり、競合や環境変化が起これば対応しきれないことが述べられていた。
レビットは言う。顧客は商品を買うのではない。その商品が提供するベネフィットを購入しているのだ、と。
つまりは、顧客は商品そのものを必要としてるのではなく、その商品によってもたらされる期待価値を得るために購入していると説いている。
優介は、それを自身の活動に当てはめた。商品とは、ミュージシャン殲滅狂太だ。
顧客、つまり観客は殲滅狂太そのものではなく、殲滅狂太によってもたらされる期待価値を購入している、となる。
「殲滅狂太、かぁ」
優介は、今更ながら自身の音楽活動について考えてみた。自分は、本当に観客の期待価値を提供出来ているのだろうか。どこか、近視眼的になってはいないか。目的と手段が食い違っている事はないだろうか、と。
確かに以前の優介であれば、そうだったかもしれない。はじめは自分の表現したい音楽しか興味がなかった。
だが、実際、晶に紹介された老人ホームから始まり、あらゆる場所で即興リクエストをやって行くうちに殲滅狂太が提供するのは、音楽ではなく、人の願いに答える気持ちであり、そこから得られる体験であったりした。
「大将も言っていた。偏狭な自分だけは構築するな、と。それは、こう言う意味だったのかもしれない」
そこまで悟った優介は、自然とこれまで全く関心がなかったマーケティングに興味を覚え始めた。
その後、一通り資料を読み終えた優介は、再度、レポートに向かい始めた。
それも専門用語に頼るのではなく自身の言葉で殲滅狂太をモデルにしてレポートを書き始めた。
そして、てこずりながらもようやく書き終えたとき、もう空が明るくなり始めていた。
翌日、優介は木下の元を訪れた。優介のレポートを奪い取る様に受け取った木下は、早速、内容に目を走らせた。
優介は、不安だった。
ーー多分、また再提出だ。
元々ネガティブな性格である。覚悟して木下の反応を待っていると、意外にも木下は優介のレポートをうなずきながら読み込んでいる。
そして、大分、時間が経ったときだった。木下が言った。
「優介君、私はキミを誤解していた様だ」
思わず優介が頭を上げると木下の顔が優しく微笑んでいる。
「マーケティングって言うのは得てして机上の空論になりやすい。だがキミは座学を実学に落とし込む術を知っている。いいだろう。レポートはこれで合格だ。殲滅狂太も大いに続けたまえ」
それを聞いた優介は、目を見開き歓喜に震えた。
「あ、ありがとうございます……」
「ただし……」
木下はクギを指す様に言った。
「常に座学との擦り合わせを忘れない事。いいね」
それからだった。優介、というより殲滅狂太嫌いの木下が優介のライブに足を運ぶ様になったのだ。
「生徒をサンプルに研究に活かせるからね」
そう言う木下だったが、まんざらでもなさそうだ。こうして、優介はまた一人、風変わりなファンを獲得したのだった。
優介は、頭を抱えた。このところ、音楽にのめり込み過ぎて、大学の単位がヤバいのだ。そもそも優介は、今通っている学部の経済学について興味が無い。言わば嫌々やっているだけなのだが、それでも単位は必要である。特にゼミの授業がヤバいのだ。
「マーケティング、かぁ……」
意味不明のカタカナ用語が飛び交うその世界がどうも優介には馴染めない。
「おい優介、教授が呼んでるぞ」
源太がうつむく優介の頭をゴツいた。
「あぁ、分かってるよ」
優介は、憂鬱な表情で答え、重い足取りで教授の元へと向かった。
優介のゼミの教授は、木下と言い、どうにも優介と合わない。優介がやっている音楽活動の事も学生の本分を外れた余興であり、意味がないとまで見られていた。
案の定、優介は木下にコッテリ絞られた。
「殲滅狂太だかなんだか知らないが、もっと勉強もしたまえ」
そう罵られ命じられたのが、レポートの再提出である。優介は、俯きながら木下にうなずき部屋を後にした。
重い足取りでキャンパスを歩いていると、後ろから背中を叩かれ振り向くと晶が立っていた。
「どうしたの優介、暗い顔をして?」
優介は、溜息混じりに答えた。
「教授にコッテリ絞られたよ。レポートの再提出だってさ」
「ふぅん……どれどれ?、マーケティングかぁ」
晶は、優介のレポートの課題を読むやあっけらかんと言った。
「こんなの簡単だよ。今、優介がやっている事をそのまま書けばいいんだよ」
「え?、どう言う事?」
優介は、思わず聞き返した。
晶が言うには、優介の音楽活動である殲滅狂太をそのままモデルにしろ、それがそのままレポートになる、との話だった。
「で、でもアレは音楽活動で、マーケティングや経済学とは……」
「一緒だよ。別に洗練されてなくたっていい。ありのままの殲滅狂太を書けばいいんだ。まぁいっぺんやってみなよ」
そう強く勧める晶に押し切られる形で優介は、うなずいた。
「とは、言ったもののなぁ……」
その夜、優介は机に向かうもののなかなかレポートが捗らない。不意に優介は、晶から渡された一束の資料を手に取った。
「セオドア・レビット、元ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授……マーケティング近視眼?」
それは、かなり昔に書かれたレポートだった。
「こんな古いレポートが今の時代に役に立つのだろうか」
そう思いながらゆっくり読み進めると、そこには、企業が商品を販売するにあたって、その商品の機能のみに着眼してしまうと自らの使命を狭く定義することになり、競合や環境変化が起これば対応しきれないことが述べられていた。
レビットは言う。顧客は商品を買うのではない。その商品が提供するベネフィットを購入しているのだ、と。
つまりは、顧客は商品そのものを必要としてるのではなく、その商品によってもたらされる期待価値を得るために購入していると説いている。
優介は、それを自身の活動に当てはめた。商品とは、ミュージシャン殲滅狂太だ。
顧客、つまり観客は殲滅狂太そのものではなく、殲滅狂太によってもたらされる期待価値を購入している、となる。
「殲滅狂太、かぁ」
優介は、今更ながら自身の音楽活動について考えてみた。自分は、本当に観客の期待価値を提供出来ているのだろうか。どこか、近視眼的になってはいないか。目的と手段が食い違っている事はないだろうか、と。
確かに以前の優介であれば、そうだったかもしれない。はじめは自分の表現したい音楽しか興味がなかった。
だが、実際、晶に紹介された老人ホームから始まり、あらゆる場所で即興リクエストをやって行くうちに殲滅狂太が提供するのは、音楽ではなく、人の願いに答える気持ちであり、そこから得られる体験であったりした。
「大将も言っていた。偏狭な自分だけは構築するな、と。それは、こう言う意味だったのかもしれない」
そこまで悟った優介は、自然とこれまで全く関心がなかったマーケティングに興味を覚え始めた。
その後、一通り資料を読み終えた優介は、再度、レポートに向かい始めた。
それも専門用語に頼るのではなく自身の言葉で殲滅狂太をモデルにしてレポートを書き始めた。
そして、てこずりながらもようやく書き終えたとき、もう空が明るくなり始めていた。
翌日、優介は木下の元を訪れた。優介のレポートを奪い取る様に受け取った木下は、早速、内容に目を走らせた。
優介は、不安だった。
ーー多分、また再提出だ。
元々ネガティブな性格である。覚悟して木下の反応を待っていると、意外にも木下は優介のレポートをうなずきながら読み込んでいる。
そして、大分、時間が経ったときだった。木下が言った。
「優介君、私はキミを誤解していた様だ」
思わず優介が頭を上げると木下の顔が優しく微笑んでいる。
「マーケティングって言うのは得てして机上の空論になりやすい。だがキミは座学を実学に落とし込む術を知っている。いいだろう。レポートはこれで合格だ。殲滅狂太も大いに続けたまえ」
それを聞いた優介は、目を見開き歓喜に震えた。
「あ、ありがとうございます……」
「ただし……」
木下はクギを指す様に言った。
「常に座学との擦り合わせを忘れない事。いいね」
それからだった。優介、というより殲滅狂太嫌いの木下が優介のライブに足を運ぶ様になったのだ。
「生徒をサンプルに研究に活かせるからね」
そう言う木下だったが、まんざらでもなさそうだ。こうして、優介はまた一人、風変わりなファンを獲得したのだった。