05 検証する

文字数 4,633文字

「……もしかして」
 青ざめた穂波さんが口走る。
「一昨年、投票用紙を強奪しようとした集団の仕業(しわざ)じゃないでしょうか」
「でも、不審者なんていなかったぞ」

 枡条が眉間の皺を深くする。
「綿密に計画を立てて、私たちに気付かれないように盗んだのかも」
 いや、と会話を遮ったのはオレ。
「金庫はずっと給湯室に置かれていましたよね。
 誰にも気付かれないよう盗んだとしたら、給湯室へ直に侵入したとしか考えられないけど、見てください」
 暖簾を開いて中を見渡す。

「ここに唯一ある窓は、フィックス(はめ殺し)窓で開かない」
 採光用だろう。ミニキッチンのコンロ上に、不似合いに立派な換気扇があって、換気はそれで賄われているらしい。
 会場にも窓がいくつかあるが、透明人間じゃあるまいし、ここにいる全員の目を(あざむ)いて侵入したとはおよそ考えづらい。

「待てよ、投票者は?」
 二重顎を撫でて葦月が唸るが、すぐに自ら否定する。
「妙な動きをしたヤツはおらんかったな。皆、床の矢印に従って動いていた。給湯室に近寄ること自体無理や」
 仮にルートから大きく外れた人物がいたら、ひどく目立っていただろう。
「つまり『犯人はこの中にいる』ってヤツか? 厄介なこっちゃ」
「少し黙ってくれないか」
 枡条が推理研の面々を睨む。茶化したつもりはなかったのだが。

「こんなこと考えたくないけど――。
 もし、何か理由があって投票用紙を盗んだ、という人がいたら名乗り出てくれないか。すぐに返してくれたら全部無かったことにするから」
 選管委員長が一人ずつ順に見つめる。
 名乗り出る者はいなかった。長く深い溜息を枡条が吐く。

「選挙は中止だ」
「……中止? そこまでする必要あるんですか」
 終了時間まであと僅かだというのに。
「投票用紙の予備とかないんですか。無ければ、黒志山大の選挙会場から分けてもらうとか」
「そういうことじゃない」
 枡条はゆるりと頭を振る。

「ここにいる全員が投票後、開票事務に関わることになってる。もし、この中に犯人がいるとしたら、盗んだ用紙を混入させるのは簡単なことだ。不正な票が混じる可能性があるんだよ」
「不正な票……」

 盗まれた500枚が混入する。
 一人500票。想像して、ぞっとした。今日足を運んだ有権者の意思が捻じ曲げられかねない票数だ。

「ふん。俺らはすでに信用ならん人間ちゅうわけやな。開票事務だけ、他の人間にやらせるわけにいかんのか」
「今から手配するのは無理だよ葦月。それに、投票用紙が盗まれたことを隠すことは出来ない。選挙に勝った陣営はいいが、負けた陣営から必ず追及されることになる」
「じゃあ、どうするんや」
「……こんなの前代未聞だ。後日、選挙をやり直すしかない」

 穂波さんが、ああ、とやり切れない嗚咽(おえつ)を漏らした。
 オレも納得がいかなかった。アルバイトとはいえ、今日やったことが無駄になるなんて。どうにも出来ないのか――

「No way!」

 場違いな英語のスラングが響いた。
 勘弁してくれという風に手を仰ぐ祈が、眠たげな二重の目を細めて言う。
「やり直しだなんて冗談じゃない。犯人が名乗り出ないなら突き止めてやるまでだ」
 威勢の良いことを言いながら、めんどくせえな、と小さく呟いたのをオレは聞き逃さなかった。
 リテイク(やり直し)は、祈がもっとも忌避(きひ)することのひとつだ。クオーターの幼馴染は、皮肉っぽく口の端を上げる。

「論理の網でガチガチに縛って、俺が犯人を釣り上げてやるよ」





 その後、投票者が来たので、各自席に戻り定められたルーティンをこなした。
 再びオレたちだけになった会場で、静かに発言したのは雷宮さんだった。

「身体検査をすべきです。投票用紙がいつの時点で盗られたのか分からないけど、犯人がまだ持ち歩いている可能性もある」
 思わず唸った。
 その通りだ。冷静さを欠いて、やるべきことを見失っていた。思案するように押し黙っていた祈も、そうだなと頷く。

「やってみる価値はあるな」
 すたすたと雷宮さんに近づくと、
「まずは言い出しっぺのお前からだ。脱げ。俺が調べてやる」
 幼馴染の不遜なセクハラ発言に、オレは凍りついた。
 雷宮さんはにこりと綺麗に笑み、アホ探偵を見上げた。
「お前が脱げ」 

 もう嫌だこの人たち!
 なんだとじゃあ俺が脱いだらお前も脱ぐんだな上等だなどと(わめ)く祈を葦月と取り押さえ、男子は枡条が、女子は穂波さんが検査する運びとなった。

 しかしながら――
 持ち物検査も併せ、徹底的に探ったにも関わらず、投票用紙は見つからなかったのである。

 盗まれたのは投票用紙500枚。250枚の束が二つだ。
 一枚は八センチ×五センチの薄い紙片だが、何百枚ともなると厚みが相当になる。
 例えば、すとんとしたワンピース姿の雷宮さんが身体に隠すのは無理があるのではなかろうか。
 だが、上に羽織ったカーディガン(野巻さんと穂波さんもだ)のポケットに収まらないか?――というと完全には否定できないし、スーツ着用の男子はジャケットとズボンのポケットに収まるだろう。膨らみが目立たないように工夫すれば。

「どこか別の場所に隠したんやな」
 ジャケットを着直しながら葦月が断定した。そうとしか考えられない。
 ロビーとトイレは選管委員の二人によって捜索済みだが、外部へ持ち出されている可能性も否定できない。ふらりと外出した大畑の例もあるし、乱暴だが窓から放り投げるという手段もある。
 だとしたら、見つけるのは困難と言わざるを得ない。そもそも選挙事務従事者であるオレたちは、無闇に外出することができないのだ。

「祈」
 腕組みをしている幼馴染にこっそり話しかける。
「投票用紙の行方だけど。こういうのは考えられないかな? 外部の人間に協力してもらうんだ」
「……投票者に渡したってことか?」

 顔をしかめる祈に、違う違う、と手を振って、
「オレが見た限り、投票者と妙なやり取りをしていた人物はいなかった。でも、さっき来た前会長っていう男だったらどうだ?」
 なおも眉根を寄せる祈に囁く。
「長話の途中、枡条さんがこっそりメモを見せるんだ。『これを外に持ち出してくれ』とでも書いたメモと、盗んだ投票用紙を一緒に」

 選管委員長犯人説。
 祈は薄茶色の瞳を大きくした後、意地悪な表情を浮かべる。
「だとしたら、他の人間にも同じことが言えるな。トイレに行った隙に、外部の人間にこっそり連絡して窓を通じて渡すとか。簡単に出来るだろう」
「……まあそうとも言える」 
「何がそうともいえる、だよ」
 祈が呆れたように続ける。

「投票用紙を持ち出すのに〈共犯者〉がいた可能性は否定できないけど、盗んだの(・・・・)()単独犯(・・・)だろうな」
 単独犯? 何故そんなことが言える?
 首をひねったオレに、クオーターの幼馴染が解説をくれる。
金庫の鍵(・・・・)だよ。
 鍵は立会人の大畑が預かっていた。アイツ、鍵を机に置きっぱなしにしてただろ」
「ああ」
 選挙事務要綱の下敷きになっていた鍵束の存在を思い出す。

「さっき本人に確認したんだが、席を外す時も身に付けていたわけでなく、置きっぱだったらしいぜ」
「鍵のアリバイは無しか」
 ふざけて鍵束を指で回していたのは見かけたが、それが何時(いつ)だったかまでは覚えていない。
「犯人も鍵が置きっぱなしだってことに気づいたんだな。そして、大畑に気付かれないよう鍵を盗った」

 オレの発言に祈はニヤリと笑って、
「気付かれないように――といっても、大畑が(・・・)席にいたら(・・・・・)無理(・・)だろう。お前が犯人だとしたら、そんな冒険するか?」
 オレはぶんぶん首を振る。
 いくら大畑がぼーっとした男でも、目の前で鍵を盗むというのは大胆過ぎる。心理的に避けるだろう。そんな危険を冒さずとも――

「大畑は何度か(・・・)席を空けた(・・・・・)その隙に(・・・・)やればいい(・・・・・)んだから」

 祈は大きく頷く。
「実際そうだったんだろう。単独犯説に話を戻すけど――大畑が席を空けるかどうかは誰にも予測出来なかった」
「席を立った用事って、電話とか彼女の車の修理とかだっけ。まあそんなこと予想できるわけないわな」
 知ったこっちゃない。オレは納得しかけて、突拍子もないことを思い付く。

「いや、大畑の彼女と共犯だったらどうだ? この時間に電話してくれと予め指示しておけば出来るぞ」
「大畑が鍵を持ち歩いていたらどうする? 奴がたまたま鍵を置きっぱなしにしていたことは、犯人にとってラッキー以外の何物でもない。不確定要素が多すぎて、誰かと共謀するのは無理なんだよ」
「でもでもっ! 大畑が最初に席を空けた後、犯行を決意して共犯をもちかけたとしたら?」
「ナンセンス」
 一蹴される。

「次に大畑が席を立つのはいつか? そもそも二度目以降のチャンスはあるのか? そのとき鍵はどこに在るのか?
 それさえハッキリしないのに誰かと打ち合わせるなんて無理難題すぎる」
「……うぅ」
 うなだれたオレを置き去りにして話は進む。
「犯人の動作は決して多くない。鍵を盗む、金庫から用紙を盗む、鍵を戻す――これだけだ。単独犯と考えるのが妥当だよ」

「ねえねえちょっと良い?」
 女の声だった。
 ビクっとして横を向くと、机に覆いかぶさるように野巻さんが身を乗り出していた。
「今の聴かせてもらっちゃった。でも、どうなのかなって思って」
 赤フレーム眼鏡の奥の眼が鋭くなる。どうなのか、とは?

「――だって、鍵を盗むには(・・・・・・)大畑さんの(・・・・・)席に(・・)近づかな(・・・・)きゃ(・・)いけない(・・・・)でしょ? そんな不審な動きをしていた人なんていたかしら」
「あ……」
 彼女の言うとおりだ。
 選挙事務に束縛されたオレたちは、みだりに席を外すことを禁止されていた。禁を破っていたのは大畑くらいで、他の人間は用がない限り立ち歩いたりしなかったのだ。監督役の枡条がピリピリしていたし。

「いい勘してるよ」
 祈は野巻さんに微笑みかける。ハーフの親父さんによく似た善人顔だ。
「周りに不審に思われないよう、大畑の席に近づく方法はひとつしかない。給湯室(・・・)()入る(・・)こと(・・)だ」
「……給湯室」
 会場の奥隅にある小部屋へ視線を向ける。立会人席のすぐ(そば)に在る給湯室。さらに――

「あそこには金庫(・・)が在った」

 にわかに鳥肌が立った。
 オレは犯人の行動をトレースする。
 誰もいない立会人席から鍵を取り、給湯室に入って投票用紙を盗む。鍵を戻し、何事も無かったかのように自席に戻る。一連の動作に不自然さはない。

「ええっと、じゃあ――」
 苦手なものを食べたときのような顔をして、野巻さんが唸る。要するに、と祈。

「犯人は、大畑が不在時(・・・・・・)()給湯室に(・・・・)出入りした(・・・・・)人物(・・)、ということになるんだ」
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