五月末の庭の話

文字数 792文字

 柱によりかかって本のページを眺めていた。その視野の、黄みどり色した畳の目がにわかに気になりだして、ついと奪いさられた意識が、密に編まれた藺草の今度はへりを見いだし、それをアミダクジめかして辿ったさきに対面のしろい壁をみつける。部屋のなかが急に明るんだようだ。朝はやく、トーストと味噌汁のちぐはぐな食事を摂ったきりで読書に没入しているうち、いつの間にか昼近くなっていたことに気がついて彼はおどろいた。祖父はどこへ行ったろう。庭いじりを始めたのなら声をかけてもよさそうだけれど、と考えて、彼は濡縁をふり返り、まばたきを忘れた。
 この季節、祖父の庭は大部分を緑色が占める。カシ、ビワ、モミジ、まだ花のつかないアジサイやヤブランたちを、高い角度から太陽が照らしだして生まれる目にしみるほどのコントラストから、けれど目を離すことのできない彼自身のうらはらな生理が、瞬間、彼をとらえていた。みる者を抱擁してなかばは強引に、いま、ここにいることを承認してしまう、それはそういう光景だった。そのくせさっきはやはり彼のひたいを不意うちに突ついて目をひらかせた日照が、今ではかえって庇の下に深く入り込んだ室内の暗がりを、いっそう昏く閑かにして、彼を守っているのである。
 彼は畳のうえに膝をくずしたまま、祖父の庭が、彼の視界を通して彼を抱きすくめるのに、しばらく委せておいた。親指の腹がほとんど無意識に藺草の網み目をなぞる。外気に反してひんやりと涼しい闇が彼の肌を撫でる。ようやく、呼吸していたことを思い出す。遠くで硝子戸がからからからと引かれ、隣のおばさんと祖父とが話するのが聞こえる。マゴガキテルンダ。アラ、イイデスネ。ガッコーハ、シバラク、ヤスミラシイ、ガクセーッテナ、キラクナモンダカラ。梅雨の晴れまと同じだけ祖父の声には張りがある。はあ、と音に出して息をつくと、彼は麦茶を煮出しに台所へ立った。
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