第1話 二十代清五郎

文字数 767文字

 昨秋、兄の十三回法要があった。
「『25○年回忌と3○○年回忌』のご先祖さんがあったので
一緒に供養してもらいました」と墓守りの姪は言う。
「それはよくできたね。その仏さんきっと喜んでいるわ」
卒塔婆が小さかったのは意外だった。
 この家はいつの頃からか家号を「「門」と言った。

 「門」のルーツを知ろうと、除籍謄本を取り寄せる。
清五郎の先代は、役太郎となっていて、それ以前は何の
生きた証もない。100墓もあったあの墓の先祖は、いつの
時代に生きたのであろうか。

寺を訪ねる。菩提寺に証はあったが、戒名と俗名と没年と
数え年だけである。住職はお寺の歴史が始まった時から「門」
の記載はあったが、過去はわからない。と言う。
「ヤス没年不詳」とか「トヨ童女不詳」
うやむやではあるが、戒名と合わせつつ系図を作成した。

 「清五郎は安政元年(1854)神山村から「キソ」を娶る。
 「安政三年(1856)長男庄吉が生誕。
「でかした。跡取りが産まれた」
「清五郎」は気勢をあげる。地主といっても、小さい貧しい
村では、年貢米だけでは生計は立たず自分も田畑を耕していた。
「清五郎」の商魂は逞しく、荷車で米や麦、炭などを町まで運んい
でいた。また貧しい村なので村外の地主もおり、年貢の取り立て
や米の運搬も引き受けていたようだ。地主は有名な豪商だったが、
敗戦を機に消えてゆく様を私はこの目で見た。
敗戦を期に消えてゆく様子を、私はこの目で見た。
 またいち早く蚕糸に着眼した「清五郎」は、余すところなく畑に
桑を植え蚕を飼い始め、養蚕の先生を招き離れを提供した。

 三反蔵といって、三反あれば蔵持になれるという。ほど、作づけ
面積の少ない農民は、米や麦を売って粟、ひえ、きび芋を、常食の
くらし向きだった。そんな中、繭が売れて現金を手中にする「清五郎」
は「門の清五郎はん」と時の人となった。





 
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