第1話 鼻血はだれも止められない

文字数 1,922文字

 これは爪楊枝界の革命枝です、と言われても困るように、私は困惑していた。
 青空の下、鼻血が止め処なく溢れ出すのだ。雲一つないというのに、勢いは留まることを知らない。その勢い滝のごとし。滝に喩えたからといって、滝行の許可は出していないので注意されたし。もし、私の真紅の滝に飛び込んで心身を清めようとする不届き者がいたとしたら、その人はこう言うだろう。
「なんだこの滝、赤いだけで勢いもいまいちだし、滝行に向いてないな。インスタ映えで集客を狙ってるタイプの滝か」
 私は集客を狙ってないし、ビジネスもしていない。完全なる慈善活動である。それなのになんてひどいことを言うのだろう。私は憤りを覚え、烈火の如く鼻血の勢いを加速させた。烈火に喩えたからといって、私の鼻血で手持ち花火を点火しようとしないでもらいたい。もし、私の真紅の炎で花火を楽しもうとする不届き者がいたとしたら、その人はこう言うだろう。
「なんだこれ、火をつけようと思ったのに、逆に湿気ったぞ。この花火は使えないから別ので試してみよう。やっぱり火つかないな。この花火は使えないから別ので試してみよう。(繰り返し)ああ、もう花火一本もなくなっちゃった」
 途中で火ではないと気づいてほしいし、チャッカマンを買ってほしい。あと、滝行をしようとしていた人間と違い、この人間は鼻血(私)に対して文句を言ってこないから、少し申し訳ない気持ちになる。分かりやすい敵がいた頃は良かったな。
 私は複雑な気持ちを抱えたせいか、鏡で見た鼻血も現代アートのように奇妙な軌跡を描き出していた。現代アートに喩えたからといって、「これ私でも描けそう」と言うことだけはやめていただきたい。もし、私の偶然の奇跡とそれを待ち続ける忍耐力が生んだ赤き現代アートを小馬鹿にする信念無き非芸術家がいたとしたら、その人はこう言うだろう。
「これ私でも描けそう」
 ついさっきも同じような台詞を聞いた気がする。そして多分この人は描かない。描けないこともないだろうが描かない。この人の目の前に鼻血(芸術品になる可能性を秘めているもの)を皿の上にのせて差し出しても、すっと私のもとに返してくるだろう。「要らない」という言葉を添えて。
「じゃあいいよ」
 今のは私の発言ではない。鼻血だ。なぜか直感的に理解した。
「じゃあいいよ?」嫌な予感がした。私の嫌な予感はいつも当たらずとも遠からずといったところ。味覚が血で奪われる。おっとオシャレだ。バーにでも迷い込んだのかしら。
 血の味に興味はない。この話を共有できる蚊や吸血鬼の友だちも今のところいない。今いないならこれから作ればいいじゃん、というポジティブ思考は一旦置きざりにしていく。
 投げやりになった鼻血の一部は、私という故郷を離れ、アスファルトに着地していた。噂によるとオリンピックもビックリの華麗な着地を決めたらしい。オリンピックのテーマソングと共に何度もダイジェスト映像がテレビで放送されるくらい。(カタカナ多すぎると思った方はこちらのリンクへ)
 私は鼻血(子ども)の生みの親なのに、その勇姿を見ることができなかった。
 そうやって悲しげに鼻血だったものを見つめていると、また一滴鼻血が着地した。今度は確実に見届けた。初めてではないものを初めてだと思うように。初めて幼児が一人で歩けるようになった時、その場所が保育園で、親が初めての瞬間に立ち会えないことがある。共働きが増え、やむなく子どもとの時間が取れない親のために、保育士さんは子どもが歩いたことを親に報告しない。報告すれば、親は子どもの貴重な初めての瞬間を見逃したことに気づいてしまうから。だから優しい嘘をついて、初めてでないものを初めてだと思わせる。私は偽りの初めてを胸に抱えた。それは優しさじゃないとは言わせない世界の中で。
 私は我に返り、零れ落ちた鼻血をかき集めようとした。そしてゆっくりとやめた。おもむろにというやつだね。今ある鼻血を大切にしたかった。私は落ちた鼻血(もうそれは鼻血かどうかも定かではない。それは私以外の誰かが見たら、口から出た血だと思うかもしれないし、頭から出た血だと思うかもしれない)に別れを告げた。そこにちょうどティッシュ配りをしているお姉さんが駆け寄ってきて、聞いてきた。
「ティッシュ使います?」
 私が頷くと、お姉さんはありったけのティッシュをくれた。力を使い果たしたお姉さんは路地裏へと消えた。だけど、流石にそんな何個もいらなかった。一袋使い切ると鼻血は大分落ち着きを取り戻した。余った数多のティッシュの使い道に困っていると、爪楊枝界の風雲枝のことを思い出した。このティッシュで次は私が誰かを救う番ってことか。
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