第1話

文字数 1,473文字

しゅんしゅんと架線が鳴ると列車は間もなく来る。

他線の列車のお古なのだろうか、見当違いの経路図が剥がれかかり、なかば残って無残だ。

向かいのガラスを通して見る空は歪んでいて、その歪みの中央はなんだか、とても希薄に見える。

あの歪みの真ん中の穴から世界がつるりとひっくり返る。

その世界では人も内と外がひっくり返って外骨格を持ち、その中に内臓をぶら下げ皮膚を張る。

目は常に自分の内部に包容された世界を見続けるのだろう。

やがて、列車は緩やかな曲線を走る。

窓からは、この列車の前方の車両を外から見ることが出来る。

少し首をかしげると連結部の扉を全て開けているこの列車は、一番前の車両まで内部を見通す事が出来る。

そのものの中にいて外から眺めていると言うのは奇妙な感じがする。

T市駅に着き列車を降りる。

何時ものように駅から少し離れたビルの地下にある喫茶店に入る。

店は大昔にはやったコンクリートの打ちっぱなし風で営業中の看板だけが店だと言うことを記している。

天井には白熱球風のLEDが吊るされている。

スチールの折り畳みの椅子をガラガラとひいて小さなスチールのテーブルにつく。

今日はメニューの紙が新しくプリントアウトされている。

何も装飾を施していない壁というのも変な迫力がある。

辛うじてそれらしく流されている音楽もどんなジャンルの何の曲なんだかよくわからない。

「いつもより少し早いね。直に閉めるから待ってて。」

と言って彼女はまだ注文もしていないジンジャエールをテーブルの上に残していく。

マガジンラックから美術雑誌を取り出してページを繰る。

近くに美術館や絵画専門学校があるのでこんな雑誌を置いているんだろう。

美術誌だというのに絵などは僅かしか掲載されていない。

絵で表現されたものを言葉で解説する意味がわからない。

言葉で解説できるのなら絵にする必要などないのではないか。

実は作家は受け手がどんな受け取りかたをしても一向に構わない。

好きな絵が書き続けられるために絵が描きあがったら、後は売れてくれればいいのだ。

「おまたせ。」

と言って彼女は僕の肩に手をかける。

3つの店を切回すというのは大変なことなのだろうか。

彼女は少し疲れているようにみえる。

「今日も学校に行かなかったでしょう。鵜川君が来て、あなたが最近よく休むようになったって言ってたわ。」

鵜川は同じT美術専門学校の友人で作品らしきものは一つも描かずに石膏デッサンばかりを毎日何枚も書き続けている。

彼に言わせると光の動きや、石膏の質感だけでも結構描いてて楽しめるものだという。

何かを作るのではなく、描くことが目的と言うのは何だかすごくはっきりしていて、うらやましい感じがする。

どうしても新しいシチュエーションやアイデアにとらわれてしまう。

何がしたくて絵を描いているのか忘れてしまいがちな自分とはかなりの隔たりを感じる。

「ああ、ちょっと行く気がしないんだ。」

彼女は僕の顔を見てふーんと鼻で笑うと

「食事をして帰りましょう。」

と言ってさっさと前を歩いていく。

ホテルの地下にあるイタリア料理のレストランで食事をしている。

オーダーする以外に一言も口をきかない。

童顔だが整った顔立ちに大きな少し勝ち気さを感じさせる目で不満気に押し黙ったままだ。

僕がラザニアをフォークでつついているのを見ている。

どうせ今何を聞いても、何も言いはしない。

いつも何か不満がある時はこうして何も言わずに何時間も黙っている。

そして忘れたころに急に火がついたようにわめき出すのだ。

喫茶店でアルバイトをしていた頃、絵を見せたのがきっかけで今は彼女の部屋に住んでいる。
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