すぐ隣にいる子

文字数 916文字

まただ。

「今日の報告は、以上です」
 一瞬の沈黙ののち。
 ため息のように密やかにイスを引いて立ち上がる。
 
 どうして。

 ここにいる皆が思っているだろう。
 そして、胸を占めるのは「やるせなさ」。

「次回の予定ですが」
 スケジュール帳を手に、互いにポーカーフェイスで事務手続きを進める。
 
 私たちには「次回」がある。
 けれど、手放してしまった者には訪れることのない「約束」。

 どうして伝えなかったのだろう。
 手の、声の届くところにいたときに。
 「どうか諦めないで」と。
 「道はひとつじゃない」と。

 胸に降り積もるのは後悔。
 頭をかきむしりたくなるような虚無。
 何もできないくせにと自分を嘲笑い、それでも、伸ばさなければ取ってもらえないんだと鼓舞して(こぶし)を握る。

「あなたのせいじゃないですよ」
 目が合って、慰めの言葉をもらった。
 相当ひどい顔をしているのかもしれない。
「わかってます。私のせいになるほど、関係を深めることができなかった。ただの通りすがり程度の存在にしかなれなかった。それでも」
 浮かびそうになる涙を、眉間に力を入れて(こら)える。
「なかったことにはならない。この想いを伝えていくことが、私の役目なんでしょう」
 目の前には、自分などとは比べ物にならないほどの、悔しさと向き合ってきただろう人の、静謐なまなざしがあった。
 この凪には覚えがある。

「僕は児童福祉に関わって長いのですが、例えば、関わった100人の子供たちのうちの、ひとりでも」
 児童相談所の所長さんの口調は、穏やかで揺るぎないものだった。
「本当に立ち直って、ここを出ていく背中を見ることができたのなら、幸せだと思っています」
 
 憤るわけでもなく、嘆くわけでもなく。
 現実からそらされることのない、静かな瞳。
 1/100の幸せのために。
 それすら得られないかもしれないとわかっていても、手を伸ばすことを諦めない。
 振り払われて、理不尽を浴びる可能性のほうが大きくても。
 だって、それ以上の痛みにさらされている子供が、いるのだから。
 それを「当たり前」だと、傷ついていることすら気づいていない子供たちが、いるのだから。
 
 それは特別なことではなくて。
 今、道ですれ違った子の日常。
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