第8話 閨のお相手

文字数 2,161文字

 家光公が大奥へ立ち寄られた日の午後。

あたしたちは、中庭が見渡せる部屋にいた。

「いったい、これから、何をはじめようと言うんだろうね? 」

 玉が、あたしの耳元でささやいた。

いつもは、鼻っぱしが強い玉も

今日ばかりは、朝から不安ばかり口にする。

あたしはどこか冷めていた。

それと言うのも、藤吉郎のせいだ。

なぜだか、気になって仕方がない。

あたしが今、目を向けるべき人は、

家光公のはずなのに、あろうことか、

たとえ、お目に止まらなくても、かまわないと思っている自分がいる。

「向かいの部屋には、公方様がおられる」

 お茶を飲んでいると、春日局が姿を現した。

「どちらに、いらっしゃいますか? 」

 まさが、春日局に訊ねた。

「あちらじゃ」

 春日局が、向かいの部屋の奥を指し示した。

向かいの部屋の奥に、御所にあるような御簾が見えた。

(御簾の中にこもるというのは、

公家出身の御台所だけでなかったのか? )

「どうして、御簾の中にお入りに? 」

 蘭が、春日局に質問した。

「そうですよ。あれでは、お姿が見えないではありませんか」

 玉が不満気に言った。

「その方が、おまえたちも気兼ねなく、

普段通りに振舞えるだろうと考えて、

そうしていただいたわけじゃ」

 春日局が咳払いすると言った。

 その後、春日局は、

あたしたちに、ひとりずつ、順番に、

自由に、庭を散策するよう命じた。

おそらく、向こうの部屋におられるという

家光公へのアピールタイムを設けたのだと思う。

まさ、琴、蘭、玉、あたしの順に、

それぞれ、思い思いに庭を散策した。

「ご苦労。では最後に、そなたらに褒美を与えよう」

 あたしが部屋に戻ると、春日局が告げた。

褒美と聞いて、何かもらえるのかと

期待したが、何も出て来ない。

「あれは、もしや! 」

 琴の一声に、あたしたちは一斉に、向かい側に目を向けた。

向かいの部屋から出て来たその人は、家光公に違いなかった。

噂では、背が低くて、神経質そうな

線の細いお方だと聞いていたけど、

目の前に現れた家光公は、背が高くて浅黒い。

おまけに、肩幅があってがたいが良い。

噂とは真逆の姿をしていた。

「すてき! 」

 蘭が黄色い声を上げた。

「何だか、噂と違うわね」

 一方で、まさが、がっかりしたように言った。

「噂はあくまでも、噂だと言うことよ」

 玉が冷静に告げた。

部屋を出る際、春日局が、蘭のそばに来て、

「蘭。今宵、そなたが、閨の御相手を務めよ」

 と告げた。

「え? どうして、蘭なんですか? 」

 玉が驚いた顔で言った。

「おめでとう」

 あたしがそう言うと、蘭が顔を赤らめた。

(蘭は可憐でおしとやか。

まさに、世の殿方が好む娘そのものという感じだもんね)

「あの。春日様。

あたしたちが、公方様のお目に止まる機会は、

これきりというわけですか? 」

 玉が、春日局に訊ねた。

「さようなことはない。機会はまだある。

蘭以外の者にはそれぞれ、将軍付の御中臈として、

公方様の身の周りの世話を命じる」

 春日局が宣言した。

 翌朝。あたしたちは、めでたくお手つきになった

蘭の元にみんなで押しかけることにした。

蘭は、側室として新たな部屋を与えられていた。

「何だか、一皮むけた感じね」

 玉は開口一番で言った。

「そう? 」

 蘭が穏やかに微笑んだ。

「うらやましいわ」

 琴が、蘭の手を取ると言った。

「それより、公方様って、どんなお方だったの?

 まさが身を乗り出すと訊ねた。

「それがよく覚えていないの。

気がついたら、終わっていたという感じ」

 蘭が決まり悪そうに答えた。

「何よそれ! そんなはずないじゃない! 」

 玉が文句を言った。

「痛くなかった? 血はどのくらい出た? 」

 あたしが好奇心で訊ねた。

「終わった途端、添い寝していた方々が、

私の体を調べて、着替えを手伝ってくれた故、

下着に血がついていたのかは確かめられなかった。

なれど、一瞬だけ、痛かったような気もする」

 蘭がうつむき加減で答えた。

(ロマンチックな雰囲気は皆無だったわけね)

あたしは心底がっかりした。

その直後、玉がとんでもないことを言った。

「そもそも、御世継ぎをもうけることが目的なんだから、

ふつうの夫婦みたいな感じではないのは当たり前。

どちらかと言うと、義務的な感じでしょうよ」

 その言葉に、あたしたちは言葉を失った。

「問題は、次があるかということ。

下手をしたら、2度と御指名がないと言うこともあるわけさ」

 まさがさらりと嫌なことを言った。

「次と聞いて複雑ね。蘭ばかりが御寵愛を受けていたら、

いつまでたっても、あたしたちの番がまわって来ないんじゃない? 」

 琴が不安そうな表情で訴えた。

蘭の元を訪れた直後の冷やかし半分の浮ついた感じが

ものの数分で、重苦しい雰囲気になった。

蘭の部屋を出た後、あたしは、

春日局の命で、新たな職場に向かった。

新たな職場とはなんと、「御湯殿」

家光公が入浴する際の世話役を命じられたというわけ。

「中の丸」御殿にいたころ、あたしはよく、御湯殿役を担った。

御台所の肌は、色白で絹のようになめらか。

ぬか袋で、背中を洗って差し上げた後、

御台所の豊満な胸に取りかかる。

「ああ、気持ち良い‥‥ 」

 ある時、あたしがぬか袋を

その豊満な胸にすべらせると、御台所が吐息をもらした。

その声が妙に、艶めかしくて、家光公との初夜を失敗に終えた

生娘だとはとても思えなかった。





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