第11話 きっとあの光だ

文字数 1,692文字

 僕たちはこのまま公園で別れることにした。もう少し夜の海を見ていたかったから。

「お前、一人で大丈夫か?あんまり遅うならんうちに帰れよ。」

「うん、大丈夫だよ。もし不良に絡まれたらアキラの名前出すから。」

 兄ちゃんは暗がりの中でちょっと苦笑いの光を発した。

 僕らは別れた。
 固く手をとり合う二つの光は、やがて一つの光となって階下の暗闇の中へ沈んでいった。底に達したとき、赤ともオレンジとも違う不思議な光が、右へ左へと盛んに揺れた。
 きっと手を振ってくれているんだ。
 僕も光に向かって力いっぱい手を振り返した。

 気がつくと町はすっかり墨色に染まっていた。
 町の中心部に向かって整然と続く白い街灯の群れ群れ。その中を二つの光がゆっくりと進み、時折り立ち止まっては閃光花火のように無数の光を辺りに散りばめた。
 そんなことを何度繰り返しただろう。気がつくと、

 ああ、もうあんな先まで進んでしまった。

 僕は思わずそれに手を伸ばそうとした。その瞬間、それは最後の閃光を発した。そして煌々と灯る町明かりの中へ、もはやそれとは見分けがつかぬほど、しっとりと溶け込んでしまった。

 僕は闇に向かって重たい息を吐き出すと、また欄干に戻り、肘つきながら一人海峡を見つめた。

 連絡船や漁船の小さな光が闇の中をモーター音を響かせながら行き交う。対岸の島の家々にすっかり明かりが灯り、車のサーチライトが音もなく流れて行く。島を結ぶ巨大な橋のイルミネーション。その袂に浮かぶ、今にも消え入りそうな赤い漁り火。

 その昔、鹿の背に跨がって、好きな男に会うために遥々島から渡って来た少女がいた。彼女はあの晩も、本土の無数の家々の灯りの中から、明日会う恋人の姿を無心に探し求めていた。
 あっ、きっとあの光だ…
 橙色の灯火のおびただしい群れの中に、たった一つ小さな光の玉が、まるで自分に向かって手を振るように揺れている。少女はそれを男だと思ったに違いない。少女も力の限り手を振り返す。
 明日会いに行くからね…
 すると波が慌てて打ち寄せ、少女にそっと耳打ちする。
 明日は止めろ、命を落とす…
 しかし少女の耳には届かない。
 やがて夜が明ける。

 どこにも悪い人はいないのに、いや、本当にいい人たちばかりなのに、どうしてこうも上手くいかないんだろう。
 僕らは何度も傷つけ合い、許し合って、また散々傷つけ合って恨み合っては、性懲りもなく許し合うのだろう。その繰り返しだ。
 バカみたい。

 でも…
 それでいいのかもしれない。少女だって、結局渡って行くに違いないから。たとえこんな醜悪極まりない橋ができた今の時代に生きたとしても、鹿の背に跨がって、大好きな男に会う、ただそのためだけに渡っていくんだろう。
 クスッ、と笑う。
 馬鹿だなあ…
 でも、僕はそういう人が好きだ。大好きだ。ああ、僕はこんな僕に生まれて良かった。

 夜の海に漁船のエンジン音が十重二十重にこだまする。赤や黄やオレンジ、モスグリーンにエメラルドやトパーズ、琥珀色や水晶色…、色とりどりの哀しいほどに美しい光が海峡を行き交う。
 僕はその光に、さっきまで見つめていたあの二つの優しい光を重ね合わせていた。

 僕はふと、島の向こうから切ない光を発しながら、思い詰めたようにこちらを見つめる誰かの強い視線を感じた。
 間違いない。誰かが本土を見つめている。その人は別の“誰か”を思いながら見つめている。僕は今、その思いの強さに心打たれている。
 若い女性だろうか。それとももっと歳を重ねた女性だろうか。いや、もしかすると、きつく母親の手を握りしめる幼い男の子なのかもしれない。
 誰を思っているのだろう。どうしてこんなに強いのだろう。
 確かなことは、本土の光に、その人ではない“誰か”を重ね合わせて見つめているということだ。

 祈り。
 この祈りが、儚い光を放つ、とるに足らないモノとなって海峡を渡ることを。
 名前すらもたぬ退屈極まりない色を帯びて、ただ意味もなく島へと辿り着くことを。
 そして、無心に“誰か”に思いを馳せる人の頭上から、気付かれもせず、音もなく降り注ぐことを。
 僕は心の底から祈る。
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