第30話 キャッチボール

文字数 1,405文字

キャッチボールをしていると幼い頃を思い出す。夏の暑い日も冬の寒い日もこっちへ来てはおじいちゃんとキャッチボールをしていた。ふと、あの頃は上へめがけて投げなければならなかったのを思い出した。身長の高いおじいちゃんが構えるグローブはとても高く、友達とキャッチボールをする時には上へ投げる癖が付いており、何度も頭上を超える暴投をしていた。

それなのに、今では下へめがけて投げている。昔は大男に見えていたおじいちゃんの腰は曲がり、俺よりも低くなっていた。

「賢ちゃん、球の勢いがなくなってきとるぞ」

おじいちゃんは本当に元気だ。すでに五十球は投げているのに球の衰えを一向に感じさせない。なんなら、手元で球が伸びてくる。

「おじいちゃん、少し休みましょう」

俺は疲労を感じ休もうと言った。おじいちゃんは少し不満そうに首を縦に振り俺の元へ来た。

おじいちゃんも疲れていたであろうが、疲れた仕草を俺に見せないようにしている。こういう頑固な所は父にそっくりだ。

俺達は地べたに座り、おばあちゃんが入れてくれたお茶を飲んでいた。

「賢ちゃん、まだまだ若いのに情けないのう」

「すみません、でもおじいちゃんが元気過ぎるんですよ。相変わらずさすがですね」

「まだまだ若造には負けるつもりはないからのお。まあ、畑仕事しとるから足腰は毎日鍛えとるみたいなもんじゃけどな」

おじいちゃんの腕はプルプルと震えていたが、それを俺に見せないようにしている。

幼い頃おばあちゃんに聞いた話では、おじいちゃんは有名な野球少年だったらしい。ピッチャー山本の名は他県にまで知られていたほどだ。数年前までは地元で野球チームの監督を務めており、教え子達からは山爺と呼ばれ慕われていた。監督歴六十年の大ベテランだ。

年一回山爺会を家で開いていた。子供から大人まで集まるその会をいつもおじいちゃんは待ち遠しにしていた。

しかし、去年から戦局の悪化により開催することができなくなった。おじいちゃんが指導していた子供達の多くは大人になり、戦地へ向かっていた。

「教え子が亡くなるのは本当に辛いのお。最近は毎日知らせが来るんじゃ」

「そうですか……」

「未来ある若造が死ぬのは本当に耐えられん。本当はワシら老いぼれから死ぬべきなんじゃ。賢ちゃん、絶対死んだらあかんぞ」

おじいちゃんは優しいが鋭い目をして強い口調で言った。

「俺は基地勤務なので前線へ出ることはないんです。ですから安心してください」

「おう、そうかあ。戦争が終わったらキャッチボールしに来るんじゃぞ。首を長くして待っとるからな、約束じゃ」

「はい」

「よしっ、行くぞ」

再びキャッチボールを始めた。一球捕るたびに思い出が湧き、一球投げるたびに悲しさを覚えた。

おじいちゃんとの約束を守ることはできないだろう。必ず俺が先に死ぬ。そんなことお互いわかっていた。しかし、わからないふりをお互いがしていた。

俺は、全力でボールを投げては捕るおじいちゃんの姿を目に焼き付けていた。

すると目頭が熱くなり前が見えなくなった。俺はボールを投げ返さずに言った。

「汗が目に入りました」

わかりきった嘘を付いた俺は袖で目を拭き、おじいちゃんの元へ足を進めた。

「そろそろ部屋に戻りましょう」

疲れたが満足げな背中をした若造と老人の姿がそこにはあった。



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