第2話

文字数 3,187文字

「毎度あり!」
 百円を受け取った老人は、それをポケットにしまいながら、薄ら笑いを浮かべている。
 老人が言った助っ人とは何の事なのか気になったが、今さら訊くのも馬鹿らしい。ビノ太はタイ・マシーンという名の弁当箱を抱えながら『松極堂』と書かれたガラス戸を開けて、勢いの収まらない雨の中を駆けだした。
 まさか本当にド〇えもんが出てくるとは思えないが、もしかするとそれに準ずる何かが現れないとも限らない。期待に胸を躍らせるも、百円である事を考えれば、仮にネズミが出てこようとも驚きはしないだろう。ド〇えもんだけに。
 結局、家に着くまで雨は降り止まず、母親の顔を見るなり、買い物袋を店の前に忘れたことを思い出した。慌てて傘を差しながら、今来たばかりの道を逆にたどり、買い物袋を取りに戻った。
 三十分後。
 帰宅した途端に雨が上がったのは言うまでもなく、ビノ太にとっては毎度の事であった。

 家に帰ったビノ太は弁当箱を机の上に放り出し、ベッドにもぐりこんでいると、いつの間にか眠り込んでしまう。

 やがて夕食の声が掛かり、一階まで降りると、居間に入り両親と共に食事をとる。父親はビノ太の事を心配して味噌汁を飲みながら、おもむろに口を開いた。
「ビノ太! 今日も大学を休んだそうじゃないか。それで単位は取れそうなのか? いくらバイトをしているからといっても、二浪までさせておいて、その上留年なんて許さないからな」
 ふてくされたビノ太は怒りに任せて箸を投げつけるように音を立てながらテーブルに置いた。
「それくらい判ってるよ! いつまでも子供扱いするなよな!!」
「こら! 親に向かってなんて口の利き方をするんだ。そういう台詞はキチンと大学を卒業して社会人になってから初めて言えるんだ!!」
 そこで母親が二人を止めに入る。
「まあまあ二人とも、いい加減にしてください。これでもビノ太は一所懸命にやっているんですから。それにビノ太さんも、もう少しお父さんの気持ちを理解してあげてね」
 ビノ太は言葉に詰まり、息苦しさを感じた。黙ってご馳走様をすると、目を伏せたまま居間を後にした。

 うなだれながら部屋に戻ると、そこには今まで見たこともない青色の物体が急に目に飛び込んできた。よく見るとそれは体長五十センチほどの雪だるまのようなシルエットの人形に思える。一瞬、のっぺらぼうかとも思ったが、それが背中であることを認識すると、青色の雪だるまはビノ太に気が付いた様子でゆっくりと振り返った。
 ビノ太は一瞬、不審者かと思い声を荒げた。
「君は誰だ!? どうしてここにいる? さっさと出て行かないと……」
 そこでビノ太は弁当箱に視線を合わせた。蓋は開け放たれていて、ほのかな光を放っている。
「……まさか、……君はドラえもん?」
 雪だるまに目を戻すと、彼(彼女?)は大きな目をぱちくりしながら、しわがれたドラ声で言い放った。
「こんにちは。ボク、ドえもんです」
「ゴエモン?」
「ドえもんだよ。もちろんアレとも違うからな。」
 聞き間違えじゃないのかと思ったが、じっくりと観察してみると、ビノ太の知っているド〇えもんとはどこか違っていた。
 体長は半分くらいだし、ロボットにしては産毛が生えている。目は垂れているし、鼻も真っ黒だ。鈴もないし、手は球体でなくてリアルな五本指で、お腹のポケットも四角い。これなら中国のパクリ商品の方がまだ似ていると思えるほどだ。百円なのだからしょうがないが、それでも心のどこかでつい期待してしまう。彼はネコ型では無くて山猫型ロボットだと胸を張ったが、そんなに自慢する事だろうか?
「君はドえもんというのか。もしかしてひみつ道具を持っていたりする?」
「もちろんだよ。そのためにわざわざタイから君を助けるために来たんじゃないか」
「タイ? 二十二世紀の未来からやって来たんじゃないのか?」
 そう問いただすと、首を振りながらドえもんは甲高い声を放つ。相変わらずのドラ声だったが、何だか親しみがわいてきて、心が落ち着くように感じられた。
「違うよ。このタイ・マシーンを使ってやってきたんだ」そう言って弁当箱を指差した。
 なるほど、だからタイム・マシーンじゃなくてタイ・マシーンなのか。仕組みはよくわからないが、一応納得がいった。
「さっそく助けてくれないか。レポートが溜まっているんだ」
「じゃあ、一回千円頂きます」ドえもんは、さも当然のように要求してきた。
「金をとるのか!?」ビノ太はビックリ仰天、目玉が飛び出るほどに驚いた。
「もちろんだよ。まさか無料で助けてもらえるとでも思ったの? マンガじゃあるまいし、そんな甘い事なんてある訳ないじゃん!」
 仕方なしに財布を取ると、渋々千円札を取り出してドえもんに差し出す。百円なんて安すぎると思ったらそんな仕掛けだったのかと、現実の厳しさを身に染みるビノ太であった。
「じゃあ、ここに入れて。ちなみにレンタルだから十二時間経てば勝手に消えるからね」
 ドえもんは自分の頭を前に倒す。すると頭頂部にはお札が入るくらいの細い隙間があり、どうやらここに入れろということらしい。
 それにしてもレンタルとは。
 本家とのあまりの違いに戸惑わずにはいられない。それでもビノ太は背に腹は代えられないと、そこに千円札を投入した。これでレポートが片付くのであれば安いものだ。
 するとドえもんはポケットをまさぐると、赤色の鉛筆のような物を取り出した。
「コンピューターペン!」ドえもんは元気な声でそう叫ぶ。
「コンピューターペン? コンピューターペンシルじゃないのか?」
「似たようなものだよ。さっそく試してみて」
 今どきパソコンじゃなくて手書きのレポートなんてと思いながら、レポート用紙を開きコンピューターペンを握る。
 するとものすごいスピードで勝手にペンが走り出し、瞬く間にレポートが完成していった。枚数は五十二枚。全てびっしりと埋まっている。
 しかし、出来上がったそれをよく見てみると、ビノ太はまん丸眼鏡の奥の目をさらに丸くしながら驚愕の声を上げた。
「なんだこれは! 全部英語じゃないか。これじゃあ読めないよ」
 するとドえもんは「英語じゃなくてドイツ語だよ。だってこのペンはドイツ製なんだから」と声を上げた。
 それじゃ意味がないとペンを突き返し、日本語版は無いのかと問いただすも、それしかないと言い返された。
「だったら千円返してくれよな! 全く役に立たなかったんだから!」
「言い忘れていたけど返金は効かないんだ。その代わり今回だけは特別に他の道具と交換してあげるから、それで勘弁してくれ」
 仕方がないと諦めて、ビノ太は次の道具に期待する事にした。

「ほんやく今昔(こんじゃく)!」ドえもんの手にはこんにゃくが握られていた。
 これを食べれば、どんな言語でも簡単に翻訳出来るらしい。これでさっきのドイツ語のレポートを翻訳しろというつもりなのだ。多少骨が折れるものの、それでも一からレポートを書くよりはずっとマシに思える。
 物は試しとパソコンを起動させ、こんにゃくを口にすると、先ほどのレポートを手にした。
しかしいくら待ってもまったく指が動かない。
「ごめん。毛筆でないと意味がないんだ。習字セットを用意するから千円入れて」
 呆れるビノ太は当然のようにそれを拒否した。
「それじゃあ意味がないよ。手書きどころか毛筆で書いたレポートなんて聞いたことが無い。だったら自分でやるよ。まったく使えないやつだな!」

 それから徹夜で取り組み、提出の期限までにギリギリ間に合わせることができた。誤字の多いコピペだらけのレポートで、須根川教授は不服そうであったが、何とか単位をもらう事には成功した。
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