おまけ

文字数 5,117文字

 妹はいま、カイザーと戯れている。
 その隙を狙って、オレは謙治をいつものファミレスに呼び出した。
 あいつにはなんどか助けてもらった。このまま、なにも教えずに黙っていたら、長年の友人を裏切ることになってしまう。
 話せることだけでも、話してやろうと思ったのだ。

「ユイちゃんが……深夜アニメのヒロインになってる?」
「そうだ。そういう病気なんだ。キャラクター性人格障害って言ってな、アニメやマンガのキャラクターを、新しい人格として取り込んでしまうんだ。ユイだけじゃない。他にも、同じ病気に苦しんでいる子がたくさんいる」
「……つまり涼くんは、そういう子たちの治療を手伝ってるってこと?」
「まあ、そんなもんだな。それがオレの、新しい仕事だ」
「だけど、信じられないよ。ユイちゃんて、物静かで大人びたタイプだったよね? 木下ゆららちゃんとは正反対だ」
「信じられない気持ちはわかるが、納得してくれ。見た目はユイでも、中身は完全にゆららになってる。その証拠にほら、覚えてるか? ファミレスでオレたち、一つのパフェを二人で食べさせ合ってただろ?」
「たしかに、アーンってしてたね……じゃあ、アレも?」
「そうだ。妹がゆららの人格になってから、食事はいつもあんなふうに食べてる」
「毎食!? 毎食あの距離感で食べてるの?」
「そうだ。ほぼ毎食だ。お前は知らないかもしれないが、キャラクターっていうのは、人との距離が異様に近いんだ。ゆららだけじゃないぞ。ナターシャやカイザーも近かった。夕凪飛鳥ですら近かったからな」
「ちょっと待ってよ……いま涼くんが挙げた名前、ぜんぶ聞き覚えがあるんだけど……」
「本当か? 詳しく教えてくれ。同僚なのに謎が多くて困ってるんだ」
「ううん、その前にさ、もっとユイちゃんの話を聞かせてよ。彼女がいま、ゆららちゃんになってるってことは……アニメみたいに、朝起きたら隣で妹が寝てた……なんてハプニングが、あったりするわけ?」
「ああ、やっぱりあれはアニメの影響なのか。そうなんだよ。自分の布団があるくせに、なぜか一緒に寝ようとするんだ。もう受け入れたけどな」
「受け入れた!? なにをどう受け入れたの」
「だから、オレの布団に入りたいという、その気持ちを――」
「それは受け入れちゃダメなヤツだよ! なにやってんの! 原作のダメ兄貴だってそこだけは拒んでるんだよ?」
「それはアニメの話だろ? 実際に潜りこまれるところを想像してみろよ。寝る前だぞ? 歯を磨いて電気消してこれから寝ようってときに、『一緒に寝てもいいよね?』とかアニメのテンションで聞いてくるんだぞ? もう好きにしろよって気分になっちゃうだろ。こっちは眠いんだよ!」
「眠くてもそこは抵抗しようよ……」
「そりゃ、オレだって最初は抵抗したよ。証拠のビデオだって残ってる。だけどな、毎晩だぞ? 仕事で疲れてんだ。寝る前くらい穏やかな気分にさせてくれよ!」
「そんなふうに怒られても困るけど……まあでも、そういう感じなら心配ないかもね。一緒の布団で寝てるって言っても、アニメみたいに体を密着させてるわけではないだろうし」
「いや、密着はしてるな。最近は抱き合って寝てるから」
「なんでそうなるの……お互いに求め合わなきゃそういう形にはならないでしょ……」
「違うんだよ。怖いマンガのせいなんだ。それでちょっと甘いところを見せてやったら、癖になったみたいでな。いまじゃもう、当たり前のようにせがんでくるんだ。なにもかも、夕凪飛鳥が悪い。あいつが諸悪の根源なんだ」
「……でもさ、それで涼くんは、大丈夫なの?」
「大丈夫なわけないだろ。鬱陶しくてたまらないよ」
「いや、そうじゃなくて、その……涼くんの理性は、大丈夫なの?」
「なんだお前? もしかして、オレが妹と淫行をしてると思ってんのか?」
「なんでそんな速球を返してくるの……投球テンポがおかしいよ……」
「あいつはまだ子供だ。そうでなくたって、実の妹相手に変な気を起こすわけがないだろ」
「そっか……涼くんはすごいね。ぼくもいつか生まれ変わったら、そんなセリフが言えるようになるのかな……」
「おい、どうした? なんで急に輪廻に思いを馳せたんだ」
「いや、なんでもないよ。涼くんがそういう生活を受け入れているなら、ぼくが口出しできることなんてないからね――それより、他にもキャラクターについて、聞きたいことがあるんでしょ?」
「そうだ。ぜひ教えてくれ。まずは、ナターシャから。オレの命の恩人なんだ」
「だけど、ナターシャっていう名前も多いからね。なにか、そのキャラクターを特定できるような設定はない?」
「シベリアの女だ」
「ナターリヤ・スルツカヤのことだね……」
「やっぱりか、それだけで通じるんだな」
「まあ、ファンの間では常識だね。一話ごとに毎回そのセリフが入るから」
「だよな。なんでもかんでもシベリアのせいにしたがるところがあるよな」
「ナターシャは、かなり過酷な環境で育った女性なんだ。生まれてすぐ、両親が雪崩に巻きこまれてね、そのあとは、熊に育てられたんだ」
「熊!? 子熊を飼ってたんじゃないのか? 飼われてたのか?」
「それはたぶん、弟のイワンのことだね。いちばん仲のいい子熊だったんだ」
「だけど、話しててもぜんぜんそんな感じはしなかったぞ」
「うん。クマに育てられたって言っても、五歳までの話だから」
「いや、大事な時期だろ……」
「そのせいでナターシャは、ひどく自己肯定感の低い人間になってしまったんだ。十八歳の立派な女性に育ったいまでも、自分に自信が持てないんだよ」
「そりゃ、振り切りづらい過去ではあるよな……」
「ちょっと、メンヘラっぽいところもあるから、男にも逃げられてばっかりで、いまは仕事が生き甲斐って感じだね」
「ナターシャの仕事って、なんなんだ?」
「なんて言えばいいんだろう……裏社会の、便利屋かな? 殺しでもボディーガードでも、金さえもらえばなんでもこなすっていう、暗黒街のエキスパートだね」
「やっぱり、そういうダークな感じの仕事なのか」
「うん。シベリアには、ダークな人間しか住んでないからね」
「なんでそんなこと言うんだよ……失礼だろ……」
「違うよ、ぼくが言ってるのは、あっちの世界のシベリアのこと。そりゃ、こっちの世界のシベリアには、いい人だっていっぱいいると思うけど、あのマンガのシベリアには、腹黒い人間と灰色熊しか住んでいないんだ」
「どうしてそんな設定にしたんだよ……」
「マンガの作者が、シベリアで取材中にカメラを盗まれたんだって」
「純粋な私怨じゃないか……」
「ナターシャはね、そんな地獄のようなシベリアの中でも、一、二を争う暗殺技術の持ち主なんだ。性格は面倒だけど、彼女と戦って勝てる相手は滅多にいないよ」
「だよな。あんな身のこなしの女、オレも初めて見た。タイトスカート履いてるのに、蹴りが頭まで届いたからな」
「彼女の履いてるスカートは、伸びるからね」
「たしかにそうだ。すげぇ伸びる素材だった」
「不思議と中も見えないしね」
「そうそう! 見えないんだ! 速すぎて黒い残像に紛れてしまうんだな」
「だけど、そんな最強の彼女にも、たった一つだけ弱点があってね――」
「お、それはいい情報だ。ぜひとも押さえておきたい。ナターシャの弱点って、なんなんだ?」
「冬眠するんだ」
「冬眠!?」
「クマだけにね」
「いやクマではないはずだろ……」
「でも、冬眠はするんだよ。冬になると鬱気味になって、とにかくやる気が起きなくなる。もう、部屋でごろごろすることしか考えられなくなるんだ」
「それは弱点じゃ済まないだろ……裏社会の人間として致命的じゃないか……」
「うん。だから毎年、冬場になるとマンガのジャンルも変わるんだ。クライムサスペンスから、お色気満載の日常コメディに様変わりするんだよ」
「なんで読者はついていけるんだよ……」
「――とりあえず、ぼくが知ってることはこのくらいかな。どう、参考になったかな?」
「ああ。ナターシャのことはよくわかった。知ってはいけないことまで知ってしまった気がする。それじゃ次は、カイザーについて教えてくれ。こいつは、凄腕のハッカーだ」
「え……カイザーって、電脳の神のことなの?」
「なんだ、べつのカイザーだと思ってたのか?」
「いや、だってほら、電脳の神は男の子だし。なんか涼くんの話を聞いてたら、女の子ばっかり周りにいるような環境を勝手に想像しちゃってさ――」
「ああ……うん。それはあれだな。うん」
「けどそうだよね。女の子だけに囲まれて、近い距離から密着されるなんて、それじゃまるでハーレムだ。そんな都合のいい話があるわけないよ」
「おう! そうだな! よし、じゃ、話を進めてくれるか」
「電脳の神みたいな悪ガキもいるなら、女の子にうつつを抜かしてる暇はないよね」
「もういいだろ! オレの職場環境より、カイザーの話を聞かせてくれよ!」 
「えー、そんなに気になるの? ぼくはあのキャラ嫌いだけどな。本当に性格の捻くれた悪ガキなんだよ。顔も憎たらしいしね」
「悪ガキ悪ガキって、何歳なんだ?」
「たしか……十歳だったかな」
「思ったよりガキだな。しかし、そう言われてみれば、十歳の少年っぽい反応だったかもな」
「考えてみると、カイザーも可哀想な子供なんだよね。天才的なハッキングスキルを持っているからって、同年代の子供と離されて、なかば強制的に、警察のテロ対策部隊に協力させられちゃうんだから」
「どこの組織も、考えることは一緒だな。便利だもんな」
「そのアニメの主人公が、新人の隊員なんだけどね、カイザーは彼のことを特に気に入ってて、いろいろイタズラを仕掛けてくるんだよ」
「たとえば、どんなイタズラだ?」
「三日間履き続けた自分のパンツを、主人公の顔にくっつけたり」
「ガチでその手のことをするのか……ハッタリじゃなかったんだな……」
「あと、自分が噛んでたガムを主人公の口の中に入れたりね」
「おいおいおいおい……なんて甘酸っぱいことをするんだよ……」
「だよね、オエってなるよね」
「いや、オエっていうか……まあそうだな、オエってなるな……」
「あとイタズラって言うと……そうだ。主人公の上司がね、女刑事なんだけど――」
「女体を辱めるのか?」
「察しがよすぎない? ていうかなにその言い方。普通はセクハラとか言うよね?」
「なんでもいいが、なんとかそれを止めさせたい。口約束だけじゃ不安だからな。カイザーを支配下に置くいい方法はないか? 弱点があれば教えてくれ。怖いものとか」
「うーん。弱点とかの描写は特になかったけど……でもシンプルに、暴力に弱いんじゃないかな?」
「違う。そういうんじゃない」
「まだ子供だし、叩けば大人しくなるよ」
「どうしてそんな気軽に児童虐待を勧められるんだ……」
「そうじゃなくて、アニメにそういうシーンがあったんだよ。調子に乗ったカイザーにぶち切れた主人公が、お尻をペンペンしちゃうんだ」
「お尻ペンペンか……お尻ペンペンはな……いろんな意味でペンペンしちゃうからな……」
「その状態はなに? いいことなの? 悪いことなの?」
「どうしてもお尻じゃなきゃだめか? 太ももならギリギリいけそうな気がするが」
「そんな妥協案を提示されても困るけど……とにかくアニメでは、お尻だったね。主人公が、嫌がるカイザーの体を押さえつけて、それから、パンツをずらしてお尻を出すんだ」
「はい無理だ。くそっ! あいつは無敵なのか! どれだけオレを惑わせれば気が済むんだ!」
「なにを荒ぶってるの……悔しがり方がおかしいよ……」
「……なんでかな。カイザーのことを考えると、いちいち胸がキュンてなるんだ」
「もしかしてそれ……恋なんじゃ……」
「かもな」
「否定しないの!?」
「とにかく、今日は助かった。お前のおかげで、いろんなことがわかったよ」
「そっか。そう言ってもらえると、ぼくも嬉しいよ」
「特に、自分の意外な一面に気づかされた。オレは、人の外見に囚われすぎている。もっと人の内面に目を向けないと、この先、痛い目に合うだろう。肝に銘じておくよ」
「そこまでガチな人生訓を学んだの? そんなタイミングあった?」
「なにか、新しい展開があったら連絡する、またお前の知識を貸してくれ。じゃあな――」

 オレは謙治に約束して、再びみんなの待つバーへと戻った。
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