「川端康成「少年」の文庫化の節目に彼の『虚無』を考える」の投稿に寄せて

文字数 1,009文字

「川端康成「少年」の文庫化の節目に彼の『虚無』を考える」の一文に関してもう一つ作文したので追加する。
   ++++

数多の川端康成の作品が文庫本に収められているが、全集以外に読み得なかった名品に「少年」があり、昭和26年に関連する2作とともにハードカバー本が刊行されて以来、70年もの間、川端フアン以外の読書家の目に触れることは稀であった。

 私は数年前にNHKの歴史ヒストリアで放映されたLGBTあるいは同性愛の日本の歴史上の逸話を集めた番組を見たのだが、その中で「少年」が紹介されていた。有名な
『お前の指を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
 僕はお前を戀してゐた。お前も僕を戀してゐたと言ってよい。』
という部分がフィーチュアされ、「同性愛文学」として紹介されたのだ。

 私は井原西鶴の「男色大鑑」を研究する茨城キリスト大学の染谷教授を中心に発足した「西鶴研究会」(現在、「若衆文化研究会」と改名)に参加していて、この「ヒストリア」での番組を構成した女性ディレクターが招待され、お話をする機会に恵まれた。
 私は、『この「少年」は同性愛どころの話ではなく、川端の深い精神の中を垣間見せてくれる作品ですよね』と話しかけ、「そうなんです。今回の同性愛のテーマを追求するために読んだんですけど、私も驚いたんですよ」(泊瀬記憶)と彼女は答えた。

 それから「少年」から読み取れる川端康成という人間に興味を持ち、分析の記録を『川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について』(カクヨム)という論考に書いた。

 この頃は清野少年の実在を疑ったが、近年の研究で虚像どころかかなりの実像であることが分かったので、部分的には直さなければならないと考えているが、本筋の『川端の実像』は今のところ揺るぎない自信がある。
 驚くべきことは、「少年」に書かれている川端の精神を読み解けば、他の彼の作品の書き方が理解できるのである。三島由紀夫が「陰陽」とあれば「陰」の文学であると呼んだ「眠れる美女」など、「少年」にその予言が書いてあると言って良い(時間的な逆行はあるが)。

 ということで「少年」のみ一編の単行本化は、その出版姿勢に疑問はあるのだが、今回の出版は川端文学研究上のエポックをなすものと考えている。これを読めば他の研究書は読む必要はない。あなたの川端が手に入るからだ。

泊瀬光延(はつせ こうえん)
令和4年4月27日改稿
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み