「少年」文庫化は川端文学上の極めて重要な節目である

文字数 5,526文字

『これだけの本があるのに #川端康成 の「少年」と「16歳の日記」はないのだ。「少年」と「伊豆の踊り子」はふたつでひとつの作品ということを発見した。「伊豆の踊子」は表向きの文章だけを読んではいけない。裏には「虚無」がある。』

とは2019年に私がツイッターにて嘆いた一文である。このスレッドに掲載した写真はある大手書店で撮影した、文庫本の書架に並ぶ数多のそれらの背が映っている。

 そういうわけで私は図書館の閉架で全集の「少年」が掲載されている一巻を借りて読まなければならなかった。そして深い感銘と衝撃を覚えた。その衝撃による衝動に駆られて論考を書いたのがその八月である。


 幾人かの読者に励ましのお便りを頂いた。最近、上の文章の中の「虚無」について、『虚無とはどういう事ですか?』という質問を頂き、ツイッター上でその説明を書いた。この掌編はそれをまとめたものだ。

  ツイッターというSNSプログラムは1スレッドごとに字数が制限されているので幾つかのスレッドを費やした。前半を繋ぎ合わせると下のようになる。字数制限は文章表現に微妙な陰を落とす。意に反する感覚を醸し出すこともあるので注意が必要だ。
  下の書き出しはその時に書いたままを記す。


  ++++++++++++++++++

 あくまで私の思いですが、伊豆の踊子の最後に
『世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難い』
と書いてあります。
 これは「孤児根性」で歪んだ性格なのにこの様に言われてほっとしたという意味ですが、「少年」には川端が、『美少年に抱く奇っ怪な欲望』とか、我々が書こうとしても、恥ずかしくて書けないほどの彼の劣情・性癖が書かれています。川端の他の作品を見ても殆ど「無意識的に」彼の性癖が書き込まれていることが分かります。「みずうみ」、「眠れる美女」を読まれればご理解いただけると思います。

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 ここから『虚無』の説明に入らねばならない。
 『虚無』という言葉の定義は簡単にいうと「何もない」ということであろうが、私が安易に使用した「咎」によって何故川端をそう呼んだのか誰にでも納得できるように説明しなくてはならない。そうでなくては私のものかきとしての価値はないだろう。自信はないが何事もやってみるに如(し)くはない。

 『虚無』というあやしい文学的表現に私が飛びついたのはまさに、「少年」の分身であると川端自身が述べている「伊豆の踊子」からの前述の一文からであった。再度書いておく。


『世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難い』


 「少年」と「伊豆の踊子」は彼の日記的作品である「湯ケ島の思ひ出」を分けたものであると川端は書いている。ここまで手の内を明かされれば、両作品のコンテキストは互いに関連していると考えざるを得ない。だが肝心の「湯ケ島の思ひ出」は彼が焼き捨てたと言っている。これは川端が創作上で敢えて仕掛けた罠なのだろうか。私は存在しない証拠を彼の手管に乗って推論しているに過ぎないのかもしれない。

 ともあれ、ここまでを考え合わせて、『いい人に見える』ことが、川端にとって重要であったということは異論がないと思う。『虚無』に行き着く前にその理由を考えたい。


 確かに、「伊豆の踊子」で『いい人』と言われほっとしたのはその文の近辺に「孤児根性で歪んだ性格」という「概念的な理由」が書いてあり、「伊豆の踊子」のみを読んだ人にはああそうか、と思わせるものである。

 私も数10年前に読んだときはそれで「理解」していたと思った。ただ、心では何か違和感を感じていたことを思い出した。これはこれを読む方には自慢に聞こえるだろうが、自称「文士」の直感である。

 なぜ、なにが、そんなに歪んでいるのだろう?
 そう思われた読者は私の同士である。

 その答えが「少年」に書いてあるとしたらどうであろうか?

 「少年」の文章は難解ではない
 。だが、川端一流の文章作法というか、レトリックというか、が読者を惑わすのである。そこには、「歪んだ性格」の叙述が清野少年の話、寮生活の話、読書の話、出版社で他の作家と交わる不安、などを交えて、消えては現れ、前に読んだ先入観を否定し、読者の記憶に一撃を食らわせ突き放すという書きぶりで、言葉が時間的に前後することを考え、注意深く繋ぎ合わせないと「綿密に書かれていること」が分からない。

 ただ疑問なく読み流すと、このトリックを乗り越えられず、とらえどころのない消化不良感をもって読み終わってしまう。この読後感の複雑さが、川端文学がいろいろな面で論じられる所以ではないだろうか。だが、私が「少年」で発見したのは、川端が書く一語は単なる語彙ではなくそれを繋ぎ合わせて紡がれる文章は彼の作品の中で忽(ゆるが)せに出来ないということであった。


 川端康成の恐ろしさはその複雑な文章構成のなかで、「概念的」な表現と「緻密な」虚構あるいは内面の鏡に映った現実を巧みに混合し使い分けることである。

 最初、曖昧な表現や伏線で物語を展開し、後からその詳細を明らかにし「そうだったのか!」という逆転あるいは疑問解消の結末を読者に突きつけることは、どんな作家でもやることである。真実の開陳は伏線にいらついている脳に快楽を与えるものである。そこには本を売らんがための工夫と綿密な段取りが為されているだろう。

 しかし川端康成に関して言うなら、そういう作為は感じられないのである。快楽どころか不快、不条理を覚える人もいるだろう。


 「少年」に見える、リラックスをして書いたと思われる作品は、却って無意識にその方法論が理論立てなく悪夢のように現出し、鬼気迫るものがある。三島がある対談のなかで「理論じゃない」と言った。私も多分、古今の天才のなかでも川端ならではの為せる技であると思う。

 閑話休題

 『言いようもなく有難い』

のは、どういうことであろうか?

 「少年」では、美しい少年少女を見ると暗い情念の欲望を抱き、彼らを内面で凌辱していた「自分」が明らかにされている。そういう極端とも言える内向的な思春期を送っていた読者はどのくらい存在するだろうか。この独白の部分はそういう経験を持った人の琴線にしか、多分、触れないのではないだろうか。

 そういう「自分」が、あどけない踊子に内面を知られることなく「いい人」に見られた。

 これがどんなに川端をほっとさせたことだろう。

 近しい人に真の自分を知られて失望を与えなかったかという恐れ。それはある種の感受性を持った人間にあることだろう。太宰が電車の中で女学生が前に来た時、「わあ」と叫びたくなった。

 いつも言葉を交わしている人たちはある程度自分という「偶像」が確立され、真実ではないがそれが織り込まれて時間を共有している。しかし幼く、無垢である魂を前にして偶像という鎧もなく、真実の自分が暴かれ、その目が軽蔑に開かれるほど恐ろしいことはあろうか。私もそのような感情を持ったことを覚えているが、すぐ忘れてしまった。覚えていたくなかったのである。それをこのような格調高い文学に織り込むことはおいそれとは出来ない。

 下世話な空想だが、踊り子を口説いたり、金を持っていれば一夜の伽を買える時代であったろう。もし踊子と浅い、深いに拘わらず情交を持っていたらとするとこの作品はどうなっていただろうか?
 
 いやいや。

 川端は「少年」で清野少年と最終的な性的快楽を果たせなかったことを悔んでいる。鏡に写った虚弱な肉体をただうつろに眺める精神を記述している。これが私の言う『虚無』である。

 踊子と「そんな関係」になり得ないからこそ、無垢な踊子の心に棲み得た川端は「虚無」から瞬間的にでも救われたのではないだろうか。

 令和4年に駒場公園内にある近代文学(博物)館で催せられた没後50年「川端康成展」に展示せられた丸善のPOPULAR NOTE BOOKに創作メモがあったが、そこに次のような歌を川端自身詠んでいる。これも「少年」における清野少年に対する「後悔」の想いと同じであろうか。

伊豆の秋悲しかりしよ踊り子と共に旅せど恋も語らず


 私が考える「虚無」についてもう一つの論点がある。


 その前に一つおことわりしておくことがある。
 私は私の分析の方法として川端の一文一文を取り出しそれで論考している。確かに、作品の文章をばらばらにしてそれのみを論証の核とすることは愚かだというそしりもあろう。だが、全体を見ても作品の一行一行の「行間」を読まなければ、一般的な理解をしてただ字面を眺めているにすぎない。行間の読み方によって評論家の視点も異なってくることはご周知の通りだ。また川端のような文学者が書く一語一語は、その時の感情が見えない、絡みついた木の根のように背後にあることを忘れてはいけない。

 わたしは「少年」に次の二種類の矛盾した記述があることを強調したい。

一)『私は人にほんたうの悪意を持ったことがない。ほんたうの憎悪も怨恨も抱いたことがない。人と競争しようとしたことがない。人を嫉妬しようとしたことがない。人に反對しようとしたことさへないかもしれない』。

と書いたその上で、
二)当時の新興神道であった「大本教」への激しい侮蔑と嫌悪の記述がある。また、伊藤初代のことを「四緑丙午(しろくひのえうま)」の娘と書き、これほどの「憎悪」の象徴があるだろうか。四緑丙午の生まれの女性は男を食い尽くすと言われている。

 あきらかに全くの矛盾したことを無意識に書いているのだ。伊藤初代に関しては「篝火」などで恋が破綻したあともその美しい思い出を書き続けた。しかし片や、「眠れる美女」で江口老人に初代と思しき女に妊娠させたという夢を見させる。この二面性はなんとしたことだろうか?

 一)の文章を川端の意識から出たものとすると、自分自身の意見を抑え、全てを「客観的に」見ているという自己分析の宣言であろう。さらに「少年」や他の作品から私が思うのは、自分自身の精神、愛情、性をも客観的に「しか」見ることの出来ない人間ではなかったか。大正3年(1914)5月3日の彼の當用日記に次のような一文がある。

「今日自分は切に小説の傑作が祖父のモデルで出来るをうたがはない」

 極論とは思うが最後の最も親しかった祖父の死にゆく姿を彼の目は冷徹に眺めているのだ。読者は「十六歳の日記」を彼の祖父に対する悲しみと見るだろう。それもいい。しかしあらゆる情景が描きつくされ「小説」となりえている。

 二)では、一とは全く別の自分を無意識に書いている。嫌悪というよりいかに客観主義な自分であってもこれだけは理解が出来ないという「怒り」なのだろうか。

 私はこう結論した。

 川端は自分自身の精神、愛、性をも客観的に『しか』観られない人間であった。全ての人間の事象を客観的に見ていたからこそ、人間の心の機微を再表現、シミュレーション出来た。あるいは全ての登場人物は川端自身が本当はなりたかったものではないだろうか。「雪国」の駒子も葉子も島村という心がうつろな男を通した川端の分身ではないだろうか。

 極言すると一般的な精神病の呼称である「サイコ」の一種であり、「人間になりたくて人間のふりを懸命に努力している」人間ではなかったか。

 こういう(敢えて言うが)「病」の人間は、極めて社会性を発揮することがあると思う。
 人間になりたくて仕方がないので、周りの人達に対して精一杯のことをして尽くすのだ。自分のためだけではなくその人が喜ぶことで自分の存在を評価することが出来る。
 「人間」ではないからイデオロギーや因襲とは無縁だ。戦時中に特攻隊の記事を書かされようとしても、彼が書いたのは戦争というイデオロギーではなく、残された夫人達の声であった。

 それが人に「愛される」所以ではないかと思う。一見、ひょうひょうとして寡黙で一途な性格に見えるのだ。何でも受け入れてくれる物静かな男に見える。
 これに反論する読者は、「少年」において彼が自らの「奇怪な性癖」を書くこと自体の理由を説明しなくてはならないだろう。因襲や体裁に知らず捕らわれて生活している「あなた」はここまで自身の精神を暴露出来るだろうか。

 偏った見方であるという誹りは重々承知だ。しかし、彼の作品に散見する煌めくような一文に「なぜこう書いた?」という疑問を投げかけることが川端文学を愛することに繋がると思う。
 ただ享受して終わることは彼の期待にも反することかもしれない。彼は人をもって彼を愛せしむために自分を表現したのだろうか。

 
 三島由紀夫はこのことを早くから見破っていたと思う。彼の川端への評論に私は「虚無」という言葉を見つけた。彼にしてみればこの世にある全てを吸収してしまうような「虚無」が生きて、話して、ひょこひょこ歩いているのを見る心境だったろうか。
 私は三島の意見に無批判に同調し、「虚無的サイコ」という言葉を造った。
 
 私はこんな失礼な言葉を川端先生に贈ってしまったが、彼の人生、精神、作品、作風を好み尊敬し、「師」と心のなかで想っている。ご迷惑かも知れない。私も似たような者だからか。でも真似することは到底出来ないし、することもない。三島がそうであったように。

 ツイッターで書いた小文はここに転記したので反故にした。


令和4年4月24日 初稿
令和四年4月27日 改稿
令和四年4月28日 改稿
令和四年4月29日 改稿
令和四年5月12日 改稿 近代文学館「川端康成展」を訪れて
令和四年5月14日 改稿
令和四年5月16日 改稿
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