第14話 タイムリミットの今日

文字数 2,683文字

 ギルおじさんが帰ってくると分かった日から生まれたこの影の男の人格は森の小屋で秘密裏に計画を練ったり、炭鉱から勝手にダイナマイトを取ってきたりしている。

 影の男の人格は好き勝手やっているが、それは俺とユーリができないことを担当しているからだ。ユーリはメアリおばさんに反抗できないし俺はメアリおばさんの虐待を耐える役目、影の男はそこから一歩先に進める唯一の存在だ。

 つまり、俺とユーリが決してできない他者への攻撃をこの男ならできる。

 しかしタイムリミットの今日、ダイナマイトでメアリおばさんを吹き飛ばすにしても町中でやるなんてことは、やっぱりどう考えてもおかしい。くよくよ悩んでいるように見えるのか、影の男は苛々とした調子で促した。

《俺は弱虫が嫌いなんだ。いい加減目を覚ませ。アーソーンの町の人間はお前の惨状を知ってるぞ。でも何もしてくれないだろ。市場の人間はお前が毎日買いものに出されるのも黙って見てるだけだ》

 俺は抗議の意味を込めて今買ったばかりの干しブドウをメアリおばさんに届けるべく走った。その瞬間町の人々が俺を嘲笑っているように見えた。

《見たか今の! お前がやらないと俺たちは死ぬしかない。お前の大事なユーリもお前も、俺もその細っそい身体じゃ骨も砕けて、片足引きずろうが買い物だ掃除だ洗濯だってあいつら手を抜かないぞ。できないなら折檻、遅かったら折檻、お前の目が気に入らないときて、お前みたいなのが血縁だなんて信じられないってんで拷問だ》

 俺は必死に歯を食いしばった。足は真っ直ぐに家に向かっている。このまま帰るんだ。

《吹き飛ばしたいと願ったのはお前だ。悪いが俺じゃない。痛みを担当しないもんで痛くもかゆくもないからな。助けてくれって懇願してみろ。俺が叶えてやる。それかお前がやるか? お前がやれよ。さあやれよ。お前がやれ、お前がやれ》

 声が木霊する。耳を塞いだら干しブドウをどこかに全部落としてきていることに気づいた。

《どやされるために帰るのも滑稽だなぁ》

 他人事だと思っているのか。肉体は一つなんだぞ。しかし影の声の言う通り確かにこれではメアリおばさんに踊らせれる道化だ。俺はいつかは抵抗が必要だと感じていた。やるならば今日しかない。

「主導権はやらないからな」

《いいのか? 俺なら踊りながらでも町を火の海にできるぞ》

「メアリおばさんだけでいい」

 森の小屋に行ってダイナマイトを一本だけ取ると影の男はまた文句を言ったり怒鳴ったりとうるさいので三本にする。ユーリ、俺、影の男の一人一本だ。メアリおばさんは一人しかいないというのに俺たち三人から怒りのダイナマイトを投げつけられるわけだ。

 家に着いたのはもう日が陰りだした頃だ。ギルおじさんの夜の到着を祝うため、おかわりができるほどのカボチャスープが並べてある。

「遅かったじゃないか。まあ、ぎりぎりまで座らなくていいよ。汚いお前が座るとせっかくの椅子も汚れますからね。買い物は? お前に料理をさせなかったのは、甘やかしたんじゃない。ギルおじさんにみっともないお前の料理を見せられたもんじゃないからだよ」

 今日は箒が片づけられていて助かった。と思ったらフォークで肩を刺された。ポケットに入れているダイナマイトのことが脳裏に浮かぶ。

《お前がやれ、お前がやれ、お前がやらないなら、俺がやるしかない》せかすような声だ。

 メアリおばさんは俺が刺されても何も言わないのに気を悪くして俺の頭をつかんで壁に何度もぶつけてきた。痛いけれど、ユーリが泣き出しそうで心配だ。だけど、俺だって痛くないわけじゃない。ぐっと堪えると歯ぐきから血が滲んだ。

《このままじゃ、殺される! もう耐えられないって言ってみろ。そうしないなら俺がアーソーンを焼く。焼き払う》

 どっちにしろ、影の男はメアリおばさんを吹き飛ばしたいに決まっている。

 壁に穴が空くのが先か、俺の頭が陥没するのが先か。こめかみから生暖かいものが流れてくる。ユーリの血だ。

《昨日は一人で喧嘩したって言って精神病院に送られるところだったろ。お前はもうギルおじさんが帰ってきたら終わりなんだ。メアリおばさんだけでなくギルおじさんにも虐待されて死ぬしかないんだ》

 今度は急に反対側の壁に叩きつけられて、首をひねった。何で俺だけこんな目に。すぐに答えを自分で導き出す。ユーリの為だ。ユーリの為ならなんだってする。怒りに任せてこのメアリおばさんを吹き飛ばしたって構わないだろう。

 俺はメアリおばさんを突き飛ばした。初めて突き飛ばした。それだけでなく素早くポケットからマッチとダイナマイトを取り出す。

 おばさんが驚いて硬直する。俺はまだ手をあぐねいている。ユーリは絶対に投げない。でも俺が生まれた意味はユーリを守りユーリが行動に移せないのならばそれを成し遂げること。そして、俺が生まれたように生まれた影の男もまた、俺のできないことをやるために生まれた。

 一瞬の判断ミス。いや、俺は許可したのか。影の男に意識を譲った。

 メアリおばさんを吹き飛ばす役目の男。最も残忍な行動のできる男にダイナマイトは点火された。俺は目を瞑って閃光や、飛び散る肉片、おばさんの悲鳴といった惨劇をユーリに刻まない努力をした。



 だけど、火薬の臭いはいつまでも鼻腔に残った。



 その後のことは、あまりにも考えが甘すぎて、取り返しがつかなくなった。ダイナマイト三本を一人一本なんて馬鹿馬鹿しい。影の男は、俺たちの分だと代弁してメアリおばさんに三本投げてしまっていた。

 家は傾き、俺たちは返り血と衝撃で吹き飛び、肩がはずれ、ガラスが頭部にいくつも突き刺さったまま森の小屋に引き返した。

「まだ足りないぞ。まだ足りないぞ」

 激しい息づかいでありったけのダイナマイトを箱詰めで運ぶ。町の一軒一軒に点火しては窓を割って投げ込む。ペルセウス座流星群が降りはじめた。誰も星になんか興味がないので寝静まっている寝室に光と輝きをお見舞いする。つんざく悲鳴とかき消す爆発音。閃光と火薬の臭い。

 最後の一本はこのアーソーンの町をよく見渡すことができる草原で自分用に取っておいた。静かに流れ星が次々と落ちてくるが、実際には轟音で焼け落ちていくのだろう。燃えつきた流れ星は灰になれるのだろうか。

 ユーリは既に真っ黒に煤けて、半身を引きずって罪の意識と絶望に打ちひしがれている。自殺することは救いではないと誰が決めた。

 火をつけた最後のダイナマイトを抱いてペルセウス座流星群を見送る。そのうちの一つが今から落ちてくると思えば、全ての痛みが消えると思えた。
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