第14話 引っ越しはくたびれる

文字数 3,113文字

 このところ、お屋敷は慌ただしい。なにしろ、お引っ越しをしたばかりなのだ。
 ミステリオーザ婦人は瀟洒な白壁のお屋敷内をくるくると動き回って、お部屋を整えることに余念がない。
 ウエストは、まだある。
 アブラダモッチは婦人を観察している。ダーリンさん不在の今、ウエストに目を光らせるのはあたしの役目。
 おかあさまときたらスタミナ対策と称して、好物のトンカツを勢い良く食しているのだが、なお、ある。
 
「テラス席の屋根は赤でお願いね」婦人の強いこだわりはお庭の緑と、白壁と、赤。
 おかあさまはイタリアかぶれ、と歌いながらみんなで手分けして働く。カラスのコッコーラが、自らが作成した噴霧装置を背負って屋根を赤く染め上げている。アブラダモッチは、コッコーラの機械のように正確な飛び様に感嘆する。
「薬草園は、このあたりに作りたいの」婦人の薬草の効き目ときたら、医者も真っ青な程だ。
 アブラダモッチは、ホニョーラと一緒にお庭を担当している。ホニョーラが(すき)を引いて歩くと、土がほぐれていく香りが冷たい空気の中にうっすらとただよう。来るべき春のもとが仕込まれているような、ふうわりとした匂い。
 アブラダモッチは白い大きな背に乗っている。サボっているわけではなくて、そこからホースで水を撒いているのだ。
「土なんて、ほっといてもコッコーラが穴を掘り散らかしてふわふわにしてくれるじゃないの」
「うふふ、そうですわね」ホニョーラが口元を緩ませる。
 するとまわりの空気があったかくなる。それでこのお屋敷では植物が良く育つのかな、とアブラダモッチは思う。
「しばらくの間、コッコーラはカラスでいてくれた方が、何かとはかどると思いましてよ」ホニョーラはなおもクスクス笑い、そのリズムに合わせてふさふさの尻尾が揺れる。ホニョーラが一番の古株で、アブラダモッチは新参者だが、背中に乗られようがタメ口を叩かれようが、気にならないようだ。
「それもそうね」つられて、アブラダモッチの真っ白な尻尾も揺れる。
 ほぼ耕し終えた頃。
「来た」
 小さな黒い犬が鉄砲玉のように駆けてくる。
「お手伝いに来たのよ」
 得意気に言うと、黒犬は猛然と穴を掘り始めた。冷静で賢いカラスとは対称的に、無邪気で甘えん坊な穴掘り屋さん。
「コッコーラ、もう屋根は出来たの」アブラダモッチが尋ねると、
「そうよ、とっても綺麗に塗れたんだから。おかあさまもすごいわって褒めてくれたのよ」前脚で土をかき出し、後脚で蹴り上げ、鼻先を突っ込んで躍動しながら、犬型コッコーラは止まらない。
 以前は見境なく変身するばかりで、犬型の時にはカラスの記憶がまるきり消滅していた。かなり成長しているようだ、とアブラダモッチは考察する。
 おや、いい匂いがしてくる。
「おかあさまったら、また揚げているみたい」
 みんなで期待に満ちた眼を合わせ、頷きあう。
「待って、コッコーラ。そのままじゃお部屋に入れませんことよ」ホニョーラが合図する。
 アブラダモッチはホースの栓を開け、黒犬は最後にぶるぶるっとして綺麗になった。

 婦人のトンカツは、ヒレ、というこだわりがある。脂身は好まないようだ。サクサクと音をたてて切り分けられた揚げたてのカツが、ふかふかの千切りキャベツの上にのっているのは、どれだけトンカツを愛しているか良くわかる図だ、とアブラダモッチは思う。
 犬たちの肉は、先にソテーして冷まされてある。ホニョーラは大きい塊のままで貰うと、いそいそと自分の椅子の下へ持ってゆく。以前喜び勇んで上へ持ってあがり、お気に入りの真っ白な椅子を台無しにしてしまった。そんなわけで、椅子の下に寝そべると、両の前脚で塊を抱えて、ちびちびと齧る。きっと、好物は最後にゆっくり味わうタイプ。
 一方、犬型コッコーラはというと。体の大きさに合わせて、一かけ一かけ五センチ大に刻んである。一センチ角では、食べ応えの点で不満らしい。かといって二センチ角にするとのどに詰めそうになる。長細い肉片を二つに食いちぎっては豪快に呑み込む。好物は真っ先にいただくタイプ。
 アブラダモッチの分は、挽肉になっている。自分で言うのもなんだけど、あたしの食べ方はとても上品。それでいて、あっという間に食べ終わったコッコーラが、チラチラと自分の皿に小刻みなロックオンをかけてくるのを巧みに牽制するのだ。
 食べ終わるとアブラダモッチはあくびをする。ホニョーラがキャベツの芯を齧かじるポリポリという音を子守唄のように聞きながら、極上の眠りに入る。

 お引越しはくたびれる。やっと、お屋敷の中も外も整って、人心地がついてきた。
 お花を飾り終えた婦人が、カレンダーの傾きを正しながら言う。「あら、うっかりしていたわ。今日は節分じゃない」
「せっぷん?」
 コッコーラがわざととぼけている!
 アブラダモッチはすかさず突っ込む。「あんたついこの間まで、真面目にそんなこと言ってたわよね、そう、蘊蓄(うんちく)のことを」
「うんちくん」
 四人は声を揃えて笑い出す。声の高さが違うので、合唱しているかのようだ。ジョークを言うなんて、やっぱり、かなり成長しているようだ、とアブラダモッチは思う。
 婦人が立ち上がると、缶の蓋を開けて中身を一つかみし、威勢よく撒きはじめる。ぱらぱらぱぱーん。
「鬼は外!」
「福は内!」
 ウズウズするアブラダモッチ。拾いに行こうとしたのに、動けない。
「ちょっとお待ちになって」ホニョーラにさりげなく尻尾を踏まれているのだった。
 撒かれているのは、煮干しの頭。炒り豆は犬猫には消化がよろしくないので、これがお屋敷の恒例なのであった。
 いざ、拾う段になるとコッコーラとアブラダモッチのすばしこさに、大きなホニョーラはちょっと分ぶが悪そうだ。婦人がこっそり、煮干しの胴体を渡してやったのも、自分の口には大豆を放り込んでポリポリしていたのも、アブラダモッチには全部お見通しなのである。

 如月(きさらぎ)も半ばになると冷気の緩む日がある。四人で連れ立って散策に出かけた。お屋敷の敷地は広大、五三八〇坪。サッカーコート二面より少し広いくらい。ちょっとした森のようになっていて、一画にはログハウスが立っている。これら全て、引っ越しするときには、譲れない条件である。
 ここの腐葉土はとってもいい匂い、花壇に良さそうねとアブラダモッチが言いかけたときであった。
 ホニョーラが、唸るようなそうでないような、奇妙な表情で立ち止まる。
「どうしたの」
「何か、居たような気がするのですわ」
 アブラダモッチは首を傾げる。「あたしには匂わないけど」
「あたくしも匂いはわかりませんの。でも、白い帽子を被って白い靴を履いた男が見えたような気が」
 おかあさまが目を細め、会話に耳をそば立てているのがわかる。
「あたし何も感じないけど」アブラダモッチは強調しておく。
 ホニョーラは(かぶり)を振って、気のせいかしら、と言った。その後も二回ほど、同じ顔をして立ち止まっては、コッコーラとアブラダモッチが何も反応していないのを確かめると、また歩き続けた。
 ホニョーラのセンサーは鋭いところがあるから。気をつけていよう、とアブラダモッチは思う。
 屋敷へ戻ると、婦人がお茶を淹れている間に、ホニョーラは眠ってしまった。
「珍しいこともあるものね、いつもビスケットを心待ちにしているのに」と、婦人。
 アブラダモッチにはビスケットを小さく砕いてくれる。
「ホニョーラの分、取っておいてあげてね」そう言う黒犬コッコーラのヒゲにビスケットのカケラがついている。
 そう、この頃ホニョーラは良く眠る。引っ越しで疲れているのかしら。
 気をつけていよう、とアブラダモッチは思った。

<続く>
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登場人物紹介

ガルデーニア・ミステリオーザ・・・瀟洒な白壁の屋敷の女主人
ホニョーラ・マニョーリア・・・大きな白い犬
コッコーラ・ネロ・・・小さな黒い犬/カラス
アブラダモッチ・ティグレ・・・尻尾の白いアメショ猫
オルテンシア・ヴェルナーレ・・・ミステリオーザ婦人のダーリン
若竹翠・・・新進気鋭の遺伝生物学者。稲木大学准教授
高梨洸一・・・善々珈琲副社長。化学者。善造の娘婿
高梨善造・・・善々珈琲創始者。現職大統領。洸一の舅

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