第四話 ミュスティリオン(1)

文字数 12,548文字

 フローター内の休憩室で、ハンスとルシエラは共に食事を取っていた。フェイジョアーダとライスが一つの皿に乗っており、スプーンでライスと混ぜて口に運んでいる。隣には水のパックが置いてあり、机の上に映る地図はフォルタジアスに近い位置を示している。ウィンドウが切り替わり、許可証のデータが映った。予め許可を取っているため、問題なく入れる。
 ルシエラは料理を食べ終え、立ち上がった。ハンスも粗方食べ終えていた。「下げるわよ」ハンスの皿を取り、重ねて流し台に向かった。
 ウィンドウが地図とフローター周辺の光景に切り替わった。曇天で、超高層ビル群が街の中央にそびえ立つ。
「滞在期間は」
「鑑定とフローターの調達、新型の調整に加えて家探しの手続きと課題がたまってる。10日はかかるな」
 ルシエラは流し台の蛇口をひねり、水を流した。「早く出たいわね。まずい食事は嫌よ」
 ハンスは机を軽く突いた。ウィンドウが、周辺の時事とメールの一覧に切り替わった。仕事の依頼も入っているが、マイスとフローターがないので受注出来ない。机に映るキーボードで断りの返信を打ち始めた。
 ルシエラはハンスを見ながら、食器を洗い始めた。
 フローターはフォルタジアスに近づいた。市の周辺は100メートルにもなる壁が立っている。飛び越えて入れば、砲撃とマイスによる破壊の制裁を受ける。
 壁に埋め込んであるゲートが開いた。フローターが中に入った。トンネルを抜け、地下200メートルにある格納庫に出た。無数のフローターが停泊し、係員達が作業をしている。
 フローターは、空いている場所に着地した。
 ハンスとルシエラは休憩室で着地をウィンドウ越しに確認した。二人共席を立ち、休憩室を後にして外に出た。油とオゾン、エタノールの排気が混じった匂いが鼻につく。ルシエラは部品の注文や補充で度々訪れているので慣れているが、ハンスにとっては不快な匂いでしかない。二人共タラップを降り、金属板の床に足を付けた。
 係員達が自分達の仕事を求めて集まってきた。うち、一人の係員がハンスの元に近付いてきた。「ようこそ、フォルタジアスへ」
 ハンスはカードと端末、紙幣を取り出した。カードを端末に合わせた。書き込み完了の表示が映った。係員に紙幣とカードを渡した。
 係員はカードと紙幣を受け取り、端末と重ねて読み取った。
「預けているインゴットの換金を頼む。量は書いた通りだ」
「通貨は」
「バルだ」
「分かりました。手数料を引いた分を振り込みます」係員は去って行った。
 ハンスは係員を見て渋い表情をした。換金は正規ルートでは額に応じて上がる上、手続きに数日かかる。終わるまで一文なしでは辛いので、クァンターの間では行儀のいい裏の換金屋を捕まえて即交渉するのが常識となっている。最近は取り締まりが厳しく表に出てこないのでたまり場に行く必要があるが、今は用件が詰まっているので行く時間がない。
 ルシエラがハンスの前に出て来た。「フローターの中にあるマイスの腕を解析して欲しいの」
「腕をですか」
 ハンスは端末を操作した。マイスの腕部が立体映像で映った。「目視で分かるか」
 係員は眉をひそめた。記憶にない部品だ。「所属は分かりますか」
「ニウテラで交戦したマイスよ。フローターの格納庫にあるから鑑定してくれる」ルシエラはハンスの方を向いた。
 ハンスは端末を操作した。フローターの上部が展開した。「フローター内の荷物も出す。買ってきたフローターに入れて整理するから、適当に入れて構わない」
「空いたフローターと出したマイスは」
「フローターはレンタルだから、元に戻して返却してくれ。手数料は言い値で払う。マイスは荷物と同じガレージに入れるんだ」ハンスはズボンのポケットから財布を取り出し、紙幣を出して係員に渡した。
 係員は紙幣を受け取った。「お前ら、行くぞ」周囲にいる係員を連れて、フローターに向かった。
 大型クレーンやコンテナを積んだトラックが、ハンスのフローターの元に駆けつけてきた。
 ハンスは係員達と共にフローターに入った。マイスを搬送するには操縦が必要になる。
 大型クレーンが動き出し、足元にあるコンテナをつかんでフローターの上部に突っ込んだ。
 ハンスは、フローター内の通路を通って格納庫に来た。
 格納庫では、係員達が流れ作業で荷物をコンテナに積み込んでいる。ナルゲムは格納庫の中央に、台座に座り込んだ状態で保管していた。
 ハンスは端末を操作した。ナルゲムの操縦席が展開し、搭乗すると格納した。
 台座を接続しているフックが外れ、ナルゲムが起き上がった。
 ナルゲムはフローターをまたぎ、隣にあるトレーラーがけん引している専用の台座に乗った。台座から固定具が突き出し、ふくろはぎを挟み込む。ナルゲムは座り込んだ状態となり、フックが飛び出して足元を固定する。腕と足の補助腕が台座の各所にある突起をつかんだ。
 腰背部の操縦席が開き、ハンスが降りた。操縦席は自動で格納した。
「コンテナと一緒でいいんだな」
「大丈夫だ」
「はいよ」
 係員はトレーラーに乗り込んだ。
 トレーラーは台座をけん引して去って行った。
 ハンスはルシエラの元に向かった。マイスの腕を乗せた別のトレーラーの前で、係員と話していた。「何を話してるんだ」
「解析に許可がいるって言うのよ」
 係員は困り果てた表情でハンスに目を向けた。「また文句か」
「文句じゃなくて理由を聞きたいんだ。納得出来れば引く」
「解析の部門が違うんだ。検品ならまだしも解析となれば、専門のスタッフが必要になるし日数もかかる。一通りの書類か、許可証が要るんだ」
 ハンスは台に乗ったマイスの腕部を眺めた。
「預かるだけなら大丈夫か」
「格納なら、中身を問わず問題ない」
「ならガレージに置いてくれ。書類は後で出す」
「分かった」係員はトレーラーに乗った。まもなくトレーラーが動き出し、格納庫から去って行った。
 ルシエラは不安になった。「大丈夫なの」
「役人に適当に説明すればいい。多忙だから内容も見ずに印を押してくれる」ハンスは出口に向かって歩き出した。
 ルシエラは後をついて行った。「役人って言っても、製造部門は厳しいわ。まして詳細不明なマイスの腕となれば、怪しんで押してくれないわよ」
「他に方法があるか」
 ハンスの言葉にルシエラは黙った。設備は他の場所にない。
「今は一旦置いておいて、出来る範囲を進める。まずラギメトルの受領だ」
 ルシエラはうなづいた。出来る作業を終わりにするのが先だ。
 二人は搭乗口にあるエレベーターに乗った。
 エレベーターは格納庫から上に上がっていく。地上から100メートル程の階で止まった。二人は降りた。
 道路は立体の2段になっていて、2人がいる上段はプロムナードになっている。透明なアクリルガラスが40メートル程の高さの天井に張り付き、上空から降る雨を遮っていた。ガラスの下は空洞なオフィスビルとなっていて、立体構成の道路が隣のビルへ伸びている。ビルは橋の柱の役割をしている。
 ルシエラとハンスはプロムナードから降りて、車の通る道路に出た。道路脇を歩いてステーションに向かった。ステーションには時刻表とバスの現在の状況が浮かんでいた。
 ハンスは端末を取り出して操作した。ラギメトルを格納してある場所が立体映像で浮かび上がった。工業地帯内部で、最寄りのステーションは地下通路にある。
 時刻表の表示が変わった。
 バスが遠くから来て、ステーションの前で止まった。搭乗口と降口のドアが開いた。人々が次々と降りてくる。ハンスは人々に紛れてバスに乗った。搭乗口にはセンサーがついている。体型と顔を読み取り、乗った場所や人を特定して自動で精算するシステムになっている。
 ルシエラはハンスを目で追ってバスに乗った。内部は人が触れない程度に空いていた。互いに窓が見える位置に立った。
 ドアが閉まり、バスが動き出した。
 フォルタジアスは建物の間を橋状につなげた道路が通る構造になっている。強固な地盤の割に地べたが緩く、海が近いので雨が降ると塩混じりの泥が地面を覆ってしまう。泥と潮の問題で農地にも住居地にも出来ない。複合体は塩漬けの土地をスプレアから買い上げて開発した。地盤調査で希少金属が見つかったのもあって急激な発展を遂げ、現在は複合体が支配する都市の中で最大の規模となっている。
 ハンスはバスから見える都市群を眺めていた。道路を通るビルは動物の毛穴並の密度を誇る。橋の柱代わりになっているからだ。
 バスは工業地帯に入った。平らな工場と共に、不要物を空気に溶かす煙突が立ち並んでいる。道路の高さは下がっていく。灰色の泥を塗った地面が見えた。
 地下に入った。周辺がLEDの光と闇が交互に入れ替わる光景に変わった。
 バスの運転席の前に、現在地と周辺の地図が映った。ステーションは近い。
 暫くして、ステーションでバスが止まった。昇降口が開いた。
 ハンスとルシエラは降り口から降りた。二人以外に誰も降りなかった。バスの昇降口が閉まり、去って行った。ハンスは端末を出して地図を出した。ラギメトルを格納している試験場は地下道を上がり、ビルから入った工業団地の奥にある。ステーションの近くにある階段を登り、プロムナードに来た。先には白いLEDの光が天井から照りつけている。幅が40メートルもある飾り気のない歩道があり、脇にはビルが並んでいる。案内の通り歩道を進み、指定したビルの前に来た。アクリルガラス張りになっているロビーが見える。中に入った。
 ロビーは空っぽな筒の中となっていた。地上100メートル程の屋上から光が差し込んでいる。人々がエレベーターからエレベーターへと移動している。
 ハンスとルシエラは入口の脇にある案内カウンターに来た。
 受付員は二人に気づいた。「御用ですか」
「試験場に格納しているマイスを引き取りに来た」
「身分を」
 ハンスはカードを取り出し、端末と重ねてデータをコピーした。受付員にカードを渡した。
 受付員は、カードを机の上にある読み取り機の上に置いた。ウィンドウが浮かび上がり、ハンスのデータが現れた。
「本来の受取人はアラン・グレイザルって人よ。ラギメトルを移譲してもらったの。今はハンス・アリアントになっているわ」
 受付員は机に浮かび上がるキーボードをたたいた。試験場の空きや使用状況が浮かび上がった。一つ一つを確認していく。使用している格納庫のリストの中に、ラギメトルとアランの名前があった。アランの欄の隣に、受領者としてハンスの名前がある。「確かにありますが、署名が必要です」
「アランから了承は取っている」
 受付員はアランのサインに触れた。サインが切り替わり、ハンスのデータが映った。隣に空白の欄があり、アリスの名前が書いてある。
「アリス議員の署名です。なければ解除出来ません」
 ハンスは警備員の言葉に眉をひそめた。「議員の」
「はい。アリス議員の署名です」
 ルシエラは力が抜けた。議員のコネがない以上、解析も受領も達成出来ない。
「何で議員の署名がいるんだ」
「アリス議員がマイスを搬出したからです」受付員は署名にファイルが添付してるのに気づいた。ファイルを開くと書類のデータだった。内容を確認した。
「連絡を取りますか」
「議員と連絡が取れるの」
「受領するクァンターが来たら連絡をしろと、記述があります」受付員は、ハンスとルシエラにデータを見せた。訪ねてきたら連絡する旨の内容が書いてある。
「取って」ルシエラは即答した。議員と連絡が取れれば、解析の了承がもらえるかも知れない。
 受付員はアリス議員の名前を検索し、出てきた欄を手で突いた。コードの認証画面が浮かび上がった。正確にすばやくコードを打ち込んでいく。コードの認証が終わり、回線がつながった。
 暫く経った。呼出中の表示が切り替わった。
『こんにちは、アリス議員の秘書のテレスです。ご用件を簡潔にお願いします』女性の声が響いた。
「私はE=115の担当の者です。アラン・グレイザルとアリス議員の名で登録しているラギメトルを、知り合いのクァンターが受領したいとの話です。アリス議員の署名が必要ですので、連絡出来ますか」警備員は端末からハンスのデータを送信した。
『お待ち下さい』回線が切れ、接続中の画面に切り替わった。
 ハンスは苦笑いをした。「即却下かな」
 間もなく回線がつながった。
『アリスだ。用件は聞いたよ』アリスの声が響いた。『受領するクァンターは何者だ』
「ハンス・アリアントだ」
 しばらく沈黙が走った。データを調べていると見える。
『クァンターか。ではハンス、アランとの関係とラギメトルの受領に至る経緯を話してくれ』
「アランとは友人だ。ニウテラで所属不明のマイスから襲撃を受けた。撤退した際、アランが切り落としたマイスの腕を鑑定してくれと依頼を受けてフォルタジアスまで来た。ラギメトルは報酬として受け取る話になっている」
 ハンスを払い除けてルシエラが端末の前に出た。「鑑定にも議員の署名が必要って聞いてるわ。許可を出してくれないかしら」
『二人、一方は女か』
「私はルシエラと言いまして、ハンスの付きでマイスの整備を担当しています。腕の鑑定は襲撃したマイスの正体を突き止めるに必要です」
『突き止めて何をする。一介のクァンター如きが知っても意味はない』
 ルシエラの顔が強張った。「複合体が極秘に襲撃依頼を出していると、バレるから嫌なのですか」
 ハンスは驚いた。複合体が襲撃を依頼しているとは聞いていない。仮に事実だとしても、自分達が管轄する土地と人材を潰す理由はない。
「複合体が密かにマッチポンプをやっていたと分かれば、クァンターとの信頼は落ちますよね。依頼を拒否して立ち行かなくなりますよ」
 しばらく沈黙が降りた。
『偽造防止のため、私が直に渡す。今いる工業団地の敷地内に工員が使うダイナーがあるので、落ち合おう』
「時間は」
『宿舎から30分以内だ。テレス、切っていいぞ』
『場所は宿舎でいいのでは』テレスの声が響いた。
『私からすれば、いかなる場所でも部屋を歩くのと同じだ。むしろ普通の施設の方が一般人が紛れている分、安心出来る。分かったら、即切れ』
『はい』
 回線が切れた。
 ハンスは眉をひそめた。議員が一人のクァンターのために足を運ぶとは聞いた試しがない。
 受付員は苦笑いをしてハンスとルシエラの方を向いた。「以上です」
 ハンスは渋い表情をした。「ダイナーの場所を教えてくれ」
 受付員はウィンドウからビルと工業団地の立体地図を映した。地表を越えて伸びるビルから降り、伸びた通路に広がる工業エリアの一区画にダイナーがある。カードホルダーからカードを取り、読み取り機の上に置いた。空である旨のダイアログが現れ、書き込み状況のダイアログが映った。書き込みを終えると地図ごとダイアログが消えた。カードを手に取り、ハンスに差し出した。
 ハンスはカードを受け取り、カードを端末と重ねた。データを読み取り、ビルと周辺施設の立体映像が映った。案内に従い、エレベーターの前に向かった。ルシエラは後をついて行った。エレベーターの前では人が並んでいる。暫くしてドアが開いた。人々がなだれ込む。30人程が入れるスペースなので問題はない。エレベーターの中に入ると、入った人々の前に階数の映像が映った。人々がボタンを押すと、映像が消えた。ハンスも人々に習い、降りる階のボタンを押した。映像が消えた。
 エレベーターのドアが閉まり、上昇した。人々が指定した階に到着する度、ドアが開いて人々が入れ替わっていく。ハンスとルシエラが指定した階で止まった。二人は人々をかき分け、エレベーターを降りた。人気のないロビーに来た。ロビーの状況を観察する間もなく抜けた。
 工場の敷地は簡素にまとまっていた。通路の先には工場が続く。二人が立っている場所から200メートルの高さにある、ドーム状のアクリルガラスの天井が外気を遮っている。
 ハンスは案内通り、先へ進んだ所にあるダイナーに入った。
 ダイナーは小奇麗な空間で奥に空席がある。工員がカウンター席に座って雑談をしている。広報の映像がカウンターの上部に映っていて、奥にはテーブルが並んでいる。古臭い印象があるが、かえって新しく見える。
 ハンスはカウンターに向かった。「コーヒーとパン・ジ・ケージョを1つずつ二人分」ハンスはカードとを出し、読み取り機の上に置いた。電子音が鳴った。
 店員は作り置きしてあるコーヒーをカップに入れた。同じく皿に乗った丸いパンを皿に5、6個乗せてカウンターの上に置いた。二人分を出した。
 ハンスとルシエラは皿とカップを手に取り、空いているテーブルについた。
 ルシエラは置いてあるシュガーポッドから砂糖をすくい、コーヒーに大量に入れて飲んだ。見た目と違って余りに薄く、お湯に溶かした砂糖の味しかしない。
 ハンスはパン・ジ・ケージョを一個つまんで口に入れた。チーズ味のガムだ。
 時間と共に食べ物が減っていき、皿とカップの中身が消えた。
 人が入る音がした。ハンスは入口を見た。二人の女性が入ってきた。一人は白い髪に白い肌をしている。もう一人は50代で、赤く肩まである髪でサングラスをしている。二人共スーツを着ている。議員と秘書だと分かった。
 ハンスは席を立ち、二人の元に向かった。ルシエラも二人の元に向かった。
「あなたがアリス議員ですか」ハンスは赤い髪の女に尋ねた」
 赤い髪の女は、ハンスの方を向いた。「私がアリス・マルゲラだ」
「ハンス・アリアントだ」ハンスは手を差し出した。
 アリスはハンスを無視し、顔を左右に振った。
 ハンスは自分を無視しているのに苛立った。「人を無視するな」
 白い髪の女性がアリスの代わりに握手をした。「テレス・シルヴァです。アリス議員の秘書をしています」
 テレスはハンスの手を離した。
 ハンスはアリスを見た。平然とした表情をしている。次第に怒りを覚えてきた。相手が握手を求めているのに、無視するとは明らかにクァンターを侮辱している。「手を出してるのに握手しねえってよ。なめた態度してんな、議員さんよ」
「やめなさい」ルシエラはハンスの前に出た。
 アリスは涼しい表情をしている。
 ハンスはアリスの態度に怒りを覚えた。ルシエラを払い、アリスを殴ろうと拳を引いた。
 テレスは事態を察し、素早くアリスの前に出た。即座にハンスの首をつかみ、脈ごと締め付けた。
 ハンスは苦痛の表情を見せた。脈を締め付ければ、頭に酸素が行かなくなる。徐々に視界が薄れていく。女の力ではない。
「やめて」ルシエラが声を上げた。
 テレスは首をつかんだまま、ハンスを地面にたたきつけた。ハンスは痛みで声を上げた。
 ルシエラはアリスを見た。平然とした表情をしている。目の前の人間が襲ってくれば、テレスが動くのが分かっていても反射で避ける。何故避けないのか、状況を察した。「目が見えないのですね」
 ハンスは、ルシエラの言葉に驚いた。
 アリスはうなづいた。「私は差し出した手が刃物でも区別がつかんのだ。身を守る為に断るしかなかろう」
 ハンスは立ち上がると同時に頭が冷えた。事情を知らないまま、つかみかかろうとした自分を恥じた。「すまない」
「気にするな。好意を拒めば苛立つ。人として当然の反応だ」
「席は」テレスは二人に尋ねた。
「案内します」ルシエラは自分が座っていた席に向かった。ハンスは後をついて行った。
 テレスはアリスの手を取り、誘導して席に向かった。
 席の前に来た。
 アリスは椅子に座り、テレスは隣に座った。
 店員がアリス達の席に来た。「ご注文は」
「コーヒーを私を除き人数分頼む」
「大丈夫です、私達は飲んでましたから」
「飲めなければ置いておけばいい」
 店員は対応に困った。
「人数分だ、私はいらんぞ」
「はい」店員はテーブルの上にある皿を取り、去って行った。
 テレスは端末を操作し、机に置いた。
「私から話をする。ハンスか、君はアランを友人と言っていたな」
「はい」
「君が今フォルタジアスにいるというのは、ガルキアがニウテラを保護する前に撤退したからと捉えていいかな」
「はい」
「状況と経緯を話してくれ」
 ハンスは一息ついた。「ルシエラとターミナルにいた時に突然、識別不明のマイスから襲撃を受けた。逃げるにも限界があってな。駄目だと腹くくった時にアランの援護を受けた。マイスの腕を切り落として回収したんだ。で、鑑定のためにフォルタジアスに向かってくれと金とラギメトルを報酬に依頼を受けた」
 店員が盆を持ってハンス達の席に来た。コーヒーの入ったカップとカードをテーブルに置いて去って行った。コーヒーの苦々しさと酸味が混じった匂いが席に充満する。
 カードは即座にテレスが回収した。
「腕の鑑定には、貴方の署名が必要です」ルシエラはアリスに訴えた。鑑定が進まねば、何のために4億バルもの大金を受け取ったか分からなくなる。
 ハンスは砂糖を入れず、コーヒーを手に取って飲んだ。熱さで味を感じる余裕はなかった。
「解析しても何もないが、構わんか」
「誰が襲撃を指示したかは分かります」
「妄想を膨らませている段階ですまないが、私達は襲撃に関与していないよ」
 ハンスはコーヒーカップを置いた。「証拠は」
「ない」アリスは言い切った。
 ハンスは身を乗り出した。「証拠が無いくせに関与してないだと、よく白々しく言えるな」
 他の客は一斉にハンス達の方を向いた。視線がハンス達に刺さる。
 ルシエラは恥ずかしさを覚えた。「やめなさい」ハンスを引っ張った。
「では質問をする。我々が関与している証拠はあるのか」アリスは声色一つ変えず、ハンスに訪ねた。
「鑑定した腕が」
「別の人間が依頼を出したのかも知れないぞ」
 ハンスは引き下がり、座り込んだ。
「我々が関与しているなら、鑑定を認めない。違うか」
 ハンスはうなった。自分が不利になる行為をを自ら了承するのは不自然だ。
「ないのを証明するのは不可能だ。だからないとしか言えない。冷静になれば分かる話だ」
 テレスは冷静な表情でコーヒーを口にした。飲めるだけ泥水よりマシだ。
「襲撃したマイスは、複合体をしても不明だと」
「言った通りだ、何もないよ。受領に関して署名はするが条件がある。いや、頼みと言っていい」
「頼みですか」
「今いる場所では説明に困る。宿舎に来てくれ」
「今は無理だけど、明日なら」
「明日か。構わんよ」アリスはテレスの体に触れた。
 テレスは浮いている映像に予定を書き込み、カードを出して机に置いた。青いカードで、フォルタジアスの市章が付いている。
「署名だ。書類と共に照合すればサインが入る」
「鑑定は」
 アリスは手を組んだ。「来れば許可を出す。頼みと引き換えだ」アリスは席を立った。「では明日に会おう。楽しみにしているよ」
 テレスは端末を手に取り、立ち上がった。「話にお付き合いしていただき、ありがとうございました」
「議員が直に来るとは予想外でした。ワザワザありがとうございます」
 テレスはアリスの手を取り、引っ張ってカウンターに向かって行った。
 ルシエラは二人を見ていた。テレスがカードを出して精算した。終えるとアリスを連れて外に出た。
「変わった人ね、宿舎に呼びつけもせずに自分達から来るなんて」
「物言いの酷さもな」
「議員なんて、私達に敬語なんて使わないわ」ルシエラは席を立った。「格納庫に行きましょ」
 ハンスは席を立った。伝票のカードはテレスが取って行ったので、彼女が払ったと見ていい。格納庫に向かい解除してもらえば、ラギメトルが手に入る。目的の一つが達成出来ると分かり、笑みを浮かべた。
 アリスとテレスはダイナーを出て、停めてある車に向かった。ドアは自動で開いた。アリスはてレスの誘導で後部座席に入って座った。ドアが閉まった。
 テレスは運転席に乗り、行き先を選んだ。車が動き出した。「感想は」アリスに話しかけた。
「説教してやると頭の中で文句を組み立てていたら、アランではなく代理が来るとはな。腕を回収して来るとは予想していなかった。解析の結果次第では、ガルキアは方針を変えるやも知れん。結果が出るまで待ちに徹した方がいい」
「待ちの間に成果物を回収したら」
「誰が使おうと、本来の目的なら問わないと決めている」
「別の目的で使う可能性は」
「政治目的なら、すぐに使わん」アリスは笑みを浮かべた。強大な兵器は外交において、持っているだけで抑止力になる。「成果物をプランの一部として組み込んでいる以上、使わねば価値はない。政治屋に渡れば終わりだ、脅してでも我々が奪い取ってやるまでだ」
 テレスは返事をしなかった。成果物の真の目的は適切な使用にある。ナルオンの存亡に関わる問題を解決する手段を、国家間のミニマムな抑止力に落とす気はない。



 ハンスとルシエラは、試験場ロビーに来た。
 薄汚れた空間には試験場の使用状況や模擬戦が映っていて、人々が食い入って見ている。試作中のマイスや武装を購入する際の参考にする為だ。奥には受付がある。工員やクァンター、整備士を始めとするマイスに関連する人々が担当者と会話している。
 ハンスとルシエラは受付に向かい、手が空いている担当者の前に来た。
 ハンスは端末とカードを出し、重ねてデータを移した。「格納庫にあるマイスを出したい」受付の人に自分のカードと、アリスからもらったカードを差し出した。
 担当者はカードを受け取り、重ねて読み取り機の上に置いた。ハンスの個人情報と状況が浮かび上がった。情報を見て、手元にあるキーボードで打ち込みを始めた。周辺にウィンドウが幾重にも現れる。ラギメトルの受領に関する書類が現れた。書類の署名欄にアリスのサインが入った。
「了承しました。格納庫に入っているマイスですが、フローターに運び出しますか」
「フローターは返却した。今は」
 ルシエラが身を乗り出した。「調整場は使えるかしら」
「おい、割り込むなよ」
 ルシエラはハンスの方を向いた。「別にいいでしょ、フローターはないんだから」
 ハンスは黙り込んだ。
「使用許可を今日からでお願い。模擬戦もついでにね。マイスは調整場のガレージに搬入して。ついでにガレージに置いてある荷物も一緒に送って」ルシエラはハンスの腹を突いた。
 ハンスは渋々カードを取り出し、担当者に差し出した。
 担当者はカードを受け取り、読み取り機の上に積んだ。フローターから出した荷物のリストとガレージの番号が映っている。
 担当者はルシエラの注文をキーボードで打ち込んだ。スケジュールや空き状況、模擬戦の登録状態が次々と映る。
 ルシエラは閉じては現れる情報を眺めていた。
「まず調整場ですが、空いているのがR調整場ですね。遠くですが構いませんか」
 ルシエラは現在地とR調整場の場所を交互に見た。重工業区域の中央付近に有り、現在地からバスを経由する程に遠い。他の調整場のスケジュールを見た。空いている時間はあるにはあるが細切れになっている。
「仕方ないわね」
 ハンスの前に別のウィンドウが現れた。調整場の案内だ。
「では登録をします。ガレージの番号は案内の通りでして、搬送はリストの量なら明日に終わります」
 ハンスの名前が、空いているスケジュールの箇所にはまった。
 ウィンドウが切り替わり、模擬戦の相手とランクが映った。ランクは依頼状況や業績から算出したクァンターの実力を評価した数値だ。目安でしか無いが、模擬戦を行う上で参考になる。
「次に模擬戦ですが、新人ばかりです」
 ハンスはランクを見て、渋い表情をした。模擬戦をマイスの調整目的に行う事例は減り、新人の訓練場へと変化している。今はコンピューターシミュレーションで出たデータをターミナルの整備班か付きの整備士に渡せば調整出来る為、模擬戦を行うクァンターの数が少ない。
「単に調整するだけだから。誰でもいい」
「相手は私共で選びます。模擬戦のマッチングまで最短、一週間かかりますが待てますか」
 ハンスはルシエラの方を向いた。「待てるか」
「何で私に聞くのよ」
「俺は調整が終わらないと仕事が出来ないからな、待つしかない」
 ルシエラは怒りの表情を露わにした。「私も待つわよ」
「分かりました。場所と時刻、相手は追って知らせます。保証金は口座から落とします」
 ハンスの目の前に保証金の額が映った。下に了承を示すボタンが映っている。金額を読まずに了承のボタンに触れた。ウィンドウが消えた。
「ありがとうございました。念の為、登録しているメールにも転送しておきます」
 担当者は机の脇にあるカードホルダーからカードを取り出し、読み取り機の上に置いた。データがカードに移った。カードを手に取り、ハンスに差し出した。
 ハンスが手を伸ばすも、ルシエラが手を出してカードを引ったくった。
「ありがとう」ルシエラは受付に背を向け、ベンチのある中央に向かって行った。
 ハンスはルシエラの後をついて行った。「俺が取るカードだぞ」
「金銭感覚のない人が持ってても無意味でしょ」ルシエラはロビーに向かって行った。
 ハンスはカードを取り返すのを諦め、ルシエラの後をついて行った。
 ロビーに出た。
 ルシエラはベンチに座り、ロビーに映る模擬戦を見た。武器とフローラルデバイスにプロテクターが付いたマイスが、1対1で戦闘を繰り広げている。動きや状況を観察し、マイスの動きを頭に刻み込んでいる。
 ハンスはルシエラの隣に来て、ウィンドウに映るマイスの模擬戦を見ていた。ぎこちないながらも互角の戦いだ。一方が倒れた段階で映像が途絶え、結果に切り替わった。
「すみません。ハンス・アリアントさん、ですよね」
 ハンスは声がした方を向いた。工員の格好をした、小太りの男が立っていた。「いかにも」
「保管しているマイスを受領するとの話で来ました。格納庫にご案内致します」
 ハンスは頭を下げた。
「では早速」小太りの男はロビーから通路に向かって行った。
 ハンスとルシエラは、小太りの男の後をついて行った。
 工員が行き交う通路に来た。チューブ状で天井にはケーブルが束ねてあり、床は滑り止めの凹凸が付いている。油とオゾンが混ざった匂いが染み付いていて、工員達がせわしなく駆け回っている。
 分岐していく通路を通り、格納庫のギャラリーに出た。
 屋外スポーツが出来る程のスペースに、複数のマイスが組み立て途中や膝を付いて座った状態で格納してある。周辺を行き交う整備士の怒号と共に、マイスの駆動音と足音が反響している。
 小太りの男は行き交う人々と乱雑に置いてある荷物を避け、下の階に通じる階段に向かった。ハンスとルシエラは後を付いて行った。三人は階段を伝い、下の階に降りた。
 整備士とクァンターが話し合っているのが見える。下っ端の整備士は、作業中の整備し指示に従い、部品を運んでいる。
 小太りの男は人や箱、転がっている部品を避けて奥へと進んでいく。ハンスやルシエラも人を避けて進んで行った。足を止めた。
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