第36話

文字数 2,319文字

「どうしたの柳地? 顔色悪いよ?」

 母が声をかける。こうなってしまったら母に言ってもいいだろうか。一人で抱えきれる問題ではない。

「母さん。城島栞って覚えてる?」
「ああ栞ちゃんね。どうかした?」
「今、どこで何やってるかわかる?」
「さあ? 栞ちゃんは頭が良かったからきっといい大学に行ったんだろうね。就職も心配いらないぐらい立派な。柳地も就活頑張りなさいよ」

 やはり母に聞いてもわからない。


 罪悪感を感じる。別に悪いことをしたから感じるわけではない。寧ろ相手のためを思って、相手を喜ばせようと思ってしたことに感じる。

(ムラサキカガミを栞に教えたのは、俺。だから栞の死の原因を作ったのは、俺…)

 もう頭がおかしくなりそうだった。自分のせいで人が死ぬなんて。しかも自分は生き残るなんて…。

 これではまるで、本来自分が死ぬはずだった呪いを、栞に押し付けることで自分は回避したみたいだ。そう考えるとますます罪悪感が増してくる。


 ベッドの上で横になって少し寝る。目を閉じると栞と過ごした日々が走馬灯のように蘇る。


 小学三年の最初の席替えで出会ったこと。

 スイミングスクールから一緒に帰ったこと。

 幽霊について教えたこと。

 一度だけだけど一緒に昆虫採集をしたこと。

 絵を描いた時に少し喧嘩してしまったこと。

 こっくりさんを教え、一緒にやったこと。そう言えばあの時どうして栞は柳地の好きな人の名前に自身を選んだのだろう。その答えは聞いていない。


 まだ思い出す。

 中学生になって頻繁にムラサキカガミと言われたこと。

 中総体の結果を言って、祝ったり慰めたりしたこと。

 その後もよく会って、話をしたこと。


 それ以上は思い出せない。何故なら自分は栞を選ばなかったから。高校受験で完全に勝ち組と負け犬に分かれてしまったので自ら身を引いた。卒業式以降、栞と会ったことも連絡を取ったこともなかった。

 そんなことを考えていると、ある疑問が頭に浮かんだ。


「選ばなかった? 選ぶべきだった?」


 そう言えば達也が選ぶべきだとか言っていた。
 達也に電話をする。

「もしもし柳地か。どうしたんだ?」
「前の夏休みに、おまえ、俺に言ったよな?」
「何だよ急に?」
「俺は栞を選ぶべきだったって。あれはどういう意味なんだ? 教えてくれ!」
「自分で考えろって言わなかったか?」

 確かにそう言われた。でもこれ以上今の自分に考えることはできない。

「頼む! 教えてくれ! 今すぐに!」
「まず事情を話せよ。いきなり言えって言われても…」
「わかった。バカバカしいかもしれないけれど聞いてくれ…」

 柳地は全てを達也に話した。ムラサキカガミのことも、栞がもう死んでいるかもしれないということも。

「…そんなことが…。でもお前のことだ、間違っているとは思ってないんだろう?」
「そうだ。だから教えてくれ…。頼む、もうお前しか頼めないんだ」
「わかった。じゃあ言うぞ?」

 達也はあの言葉の意味を教えてくれた。


 今更知ってももう遅かった。取り返しのつかないことをした気分だ。
 あの時、自分のことを考えていれば。釣り合うとか勝ち負けとか気にしないで自分の気持ちに正直に従っていれば…。
 栞との未来が、あったかもしれない。凜子の時のように2人の関係には終わりが来る時があるかもしれないが、自分と栞に限っては来ない気もする。

「くそ! どうして、どうして…」

(どうしてあの時凜子を選んだんだ? 凜子の想いに応えたかったから?)
 いや違う。凜子が自分と同じ負け犬だったからだ。

 自分はいつも他人のためを思って、そう行動して生きていたと思ったが、結局自分が良い方向に進むことを身勝手に選んでいるだけだったのだ。今の山岸とだってそうだ。山岸の想いを無駄にしたくなかったから付き合ったわけじゃない。彼女がいた方が世間受けするからだ。自分にとってマイナスにならないからだ。

 栞からすれば凜子も山岸も自分以下の価値しかない女性に見えるだろう。自分はそんな人たちを選んで栞を選ばなかった。釣り合わないからと、自分ではもったいないからと、ふさわしくないからと栞のためを思って行動したつもりがそれで栞のプライドをへし折ったんだ。そのことでさらに罪悪感を感じる。

 そして栞は死んだ。それに対して自分は生きている。呪いの言葉、ムラサキカガミを教えたのは自分なのに。本来呪われ死ぬべきなのは自分の方なのに。

「そう後悔しても遅い。今は彼女がいるんだろ? 大切にしろよ」

 電話で達也がそう言う。そうするべきだ。言われなくてもわかる。

(でも、出来ない…)
 栞を大切にできなかった自分にそんなことできるはずがない。できるのなら凜子と別れていない。涼子とも長続き、するだろうか…。

「元気出せよ。声が聞こえないぞ?」

 達也は言う。

「ああ。出すよ…」

 声は出たが元気は全くでない。

「それとあと今調べてみてわかったんだが。このムラサキカガミって言葉? 必ずしも死ぬわけではないらしいぞ? 不幸になるとか、色々パターンがあるみたいだ。お前は死んでないんだ、良かったじゃないか」

「そう…なのか。話聞いてくれてありがとう」

 そう言って電話を切る。

「全然良くないよ達也。俺はムラサキカガミのせいで死ななかったけどもう不幸になっている……」

 柳地は家を出た。目的地は、きっと地球上には存在しない。
 本来自分が受けるべき呪いを、受ける時が来たのだ。
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