第2話

文字数 9,157文字

「ねえ、アトちゃんってどこから来たの?」
「どうしてここに来たの?」
「彼女いんの?」
「何か特技あるの?」
 イオンとレオンは、皿洗いをするアトラスに矢継ぎ早に質問を投げかけていた。アトラスがこの屋敷にやってきてから二日目、屋敷の主であるアンノウンズ氏は早くも今朝出発し、現在屋敷にはアトラス、イオン、レオンの三人しかいない。昨日アンノウンズ氏と対面してから仕事内容を聞き、その後に屋敷の中を案内してもらった。その間、ふたりの少女は父の後ろに大人しく付いていくばかりで、あれから一言も話しかけてこなかった。それにも関わらず、アンノウンズ氏がいなくなった途端、イオンとレオンが馴れ馴れしく接してきている。皿を水ですすぐ姿をじっと見ながら、少女たちは質問を投げ続けていた。アトラスはちらっと彼女らを見つめた。
「もしかして、暇ですか?」
「「うん!」」
 うんって君たち……。アトラスはシンクの隣にあった水切り籠に最後の一枚を入れて、ふきんで手を拭いた。
「だったら何か手伝ってもらえませんか? この家広いから大変で……」
 アトラスからのお願いに、イオンとレオンは笑顔で答えた。
「「嫌だ!」」
「なんで!?」
「えーだって、これあんたの仕事でしょ?」
「そのために呼ばれたんでしょ?」
「そうですけどぉ……!」
 アトラスの顔が少しずつ歪んでいく。朝から朝ごはんの準備と片づけ、洗濯物といった作業を彼女らは見ているはずなのに、何も感じないのだろうか。アトラスの気持ちを知ってか知らずか、彼の表情を見てイオンとレオンはお互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「家族ってそういうもんだよね?」
「うん、そうだと思ったんだけど」
「ん? き、貴女方にとって家族とは?」
 イオンとレオンは顔を同時にアトラスに向けて、さも当たり前かのように答えた。
「「なんでもしてくれる人」」
「それ召使じゃねえかぁぁぁ!」
 アトラスが叫んだ。彼は叫んだ事実に自分でも驚きすぐに手を口で押えた。その間にイオンとレオンはキャー! と笑顔で叫びながらキッチンから飛び出していった。彼女らが去った後にアトラスは脱力して肩を落とした。
 つい怒鳴ってしまった……。けど、こいつら家族という言葉の意味間違ってる! しかも、自分のことを召使かのように思っているじゃないか。今後何かしらこき使われるかもしれないな。何言われても戸惑わないようにしないと。しかし、ここまで相手との接し方がわかってないとは、アトラスは昨夜アンノウンズ氏に言われた言葉を思い出した。

『あの子たちはまだあまり他の人に慣れていないんだ。外の世界もね。だからあの子たちにいろいろ教えてあげてほしい。その上で守ってあげてほしい。これが君の仕事だ』
『は、はい』
『あと私のことはオーナーって呼んでね!』
『なぜです?』
『前から憧れてたから!』

「オーナーに任されたからには、頑張って仕事しないと!」
 アトラスは頬を叩いて無理やり自身を奮い立たせ、次の場所に向かった。

 屋敷は広い。部屋数だけでも十近くあるのではないかと思えるほど、広い。故に、アトラスに試練が早くも訪れた。
「ここどこだっけ……」
 屋敷の中はまるで迷路だった。オーナーに案内されたときに書き記したメモを開く。そのメモも正直役に立つか微妙だった。

『ここが風呂ね』
『はい』
『で、少し行ったところに客室があって』
『はい』
『ここを階段で下ると洗濯場があって』
『……はい』
『ここをぐるって回ると倉庫が』
『え、ちょ』
『ここの隠し扉を開けると図書室があるんだ。ね、簡単でしょ?』

「簡単って何ですかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 廊下の真ん中で不満を叫んだ。朝はイオンとレオンに待ち伏せされ、引っ張られながらキッチンダイニングに辿り着いたものだから場所を意識していなかった。おかげで、掃除をしようと思ったのに、あまりに広大で迷路じみた間取りのせいでどこから手を付ければいいのかわからない。アトラスは深いため息をこぼし、うなだれた。仕方ない、今いるところから掃除を始めるしかない。廊下の左側を見ると、先ほどまでいたキッチンのある部屋が見えた。右側を見ると、しばらく廊下は続いているがその先は曲がっていて奥に何があるかわからない。メモと照らし合わせて、鉛筆で現在地の特徴を記していく。何が何でも早めに覚えないと自力で迷子から脱出できなくて、あの子らに笑われるだろう。
「それだけは嫌だ……」
 アトラスはキッチンになぜか置いてあったモップをバケツに入った水に浸して手で絞る。そのモップを持って廊下に出た。さぁ、やるぞ。とりあえず、向こうの角までやろう。アトラスはモップを床につけ、勢いよく走り出した。角に行ったら折り返す。何度かすればここの廊下は終わるから、次の廊下に行ける。少しずつやっていければ、アトラスはここまで考えて角に辿り着いた。
 何か気配がする。曲がり角に何かいる。アトラスがそちらを見ると、黒くて長い髪を垂らした白い服を着た女が、こちらを睨んでいた。
「ばぁ」
「あああああああああああああああああ!?!?!?!?」
 横を見て走っていたアトラスは叫びながら壁にぶつかった。そのまま後ろに倒れると、キャハハと少女の笑い声がする。起き上がりながら横を見ると、髪の長い女と黄緑色の長い髪をした十代くらいの少女がハイタッチしていた。
「え……レオン様……? ということは」
 黒い髪の女がくるりと回った。すると、髪の毛は水色の髪色に、服装もレオンと色違いのワンピースになった。
「イオンちゃんでぇす!」
「びっくりしてもらえて光栄です」
 レオンがイオンに向けて手をひらひらして称え、イオンは恥ずかしそうに微笑んでいた。
「いやいやいや、何してんですか」
「何って」
「おばけのマネ」
「おばけそのものでしたけど!?」
「そんなに貞子再現出来てた? やったぁ!」
「褒めてませんから!」
 飛びあがって喜ぶイオンに、アトラスはモップを支えにして立ち上がりながら突っ込んだ。そのままじとーっと睨みつけた。
「というか、さっきの本当に危ないんでやめてください! 僕だったからよかったけど、他に人がいたら怪我しちゃうでしょ!」
「えーでもー」
「ひまだしー」
「なら手伝ってください!」
「「やだ!」」
 イオンとレオンはアトラスに向けてあっかんべーをすると、廊下の奥に駆け出した。なんなんだ、あの子らは。もうちゃっちゃと終わらせて次に行こう。そう思いアトラスはモップを持ち直して、反対側までモップを走らせた。また気配がするので、横を見ると。
「ばあ」
 反対側にまたおばけがいた。今度は真っ白い肌をしたおかっぱの少年と髪の毛がぼさぼさの女がいた。
「うわあああああああああ!」
 アトラスはまた壁に激突した。今度はすぐに起き上がった。
「お嬢様方! 遊ぶなら別の場所で遊んでください!」
 すると、ふたり揃ってどこから出ているのかわからない音を出した。アトラスは首を傾げて凝視した。
「それなんです?」
「「呪怨の音」」
「聞いた僕がバカでした。仕事滞っちゃうんで、大人しくてしていてくださいね」
「「はーい!」」
 その言葉を合図にアトラスはモップをかけだした。もちろん、イオンとレオンは大人しくするわけがなかった。それからずっとアトラスはイオンとレオンに驚かせられた。包丁を持った人形に襲われたり、不気味な少女の人形がいたと思ったらポルターガイスト(という名のレオンの高速移動)に悩まされ、更にはチェンソーを振り回したマスクを被った男に追いかけられ、挙句の果てには迷子になった。
「ここどこぉ!! お嬢様方もその変身やめてください!」
「なによー」
「面白かったでしょ?」
「面白くないわ! おかげで場所わからないし、メモも残せない……」
 アトラスはメモ帳を取り出しため息をついた。イオンとレオンはティーンエイジャーほどの少女に成長し、アトラスのメモ帳を覗き込む。
「「それなに?」」
「うわっ! びっくりさせないでくださいよ。これはメモ帳です。ここでの仕事を全て頭に叩き込むまではメモして忘れないようにしてるんです。オーナーに屋敷を案内してもらったけど、まだイマイチ感覚がつかめなくて……」
 アトラスは眉を下げて肩をすくめた。イオンとレオンはそれを見て、お互いに顔を見合わせた。
 何か、胸の中がムズムズする。
 そういえば、図書館の本に書いてあった。
『困っている人を助けることはいいことだ』
 なぜ思い出したのかはわからないけど、それを今実行しないといけない気がした。
 ふたりのティーンエイジャーは元の少女に戻ると、アトラスの方に頭を上げ、彼の服の裾を握った。
「……どうしました?」
「案内するよ」
「どこがわかんない?」
「え、手伝わないんじゃ」
「さっきは邪魔するなって言ったのに?」
 レオンはにやりと笑う。イオンも笑顔でアトラスに言った。
「私たちはやりたくてやるだけよ。さぁ、こっち!」
 イオンとレオンはアトラスの手を握り、駆け出した。アトラスはずっこけそうになったが、彼女らに合わせて走り出した。
「待って! これじゃメモ出来ない!」
 イオンとレオンは急停止した。アトラスが前に倒れるのを、手で引き戻した。
「え? どこまでメモできたの?」
 アトラスは辺りを見渡して、彼女らに向き合った。苦笑いで。
「ここどこです?」
 それを聞いてイオンとレオンは項垂れた。
 
 説明するのも大変だな。
 そうだね。


 先ほどの廊下に戻ってから一か所ずつ回っては、アトラスはメモをしていった。それにしても、この屋敷は本当に奇妙だった。廊下を出るとまた廊下が出てくるが、先ほどと壁紙や窓のデザイン、広さなどまるで別の家に来たかのようにコロコロ姿を変えるのだ。更には、扉はあるけど開けても壁だけがあったり、開けるとその先は外になっていて落っこちそうになったりもした。アトラスが落っこちそうになったときはイオンが鳥になって助けてくれたが、屋敷の中に入った後すぐに『危険! 立ち入り禁止!』とメモをした。そして、一時間ほど歩いたところで玄関ホールに辿り着いた。
「つ」
「つかれた~」
 アトラスは大階段に座り、イオンとレオンは床に寝そべった。
「あ! ダメですよ! お召し物が汚れます! まだ掃除出来てないし!」
「いいもーん」
「洗うのアトちゃんだしー」
「もういいや……でも、ありがとうございます。助かりました」
 アトラスは床に寝そべるイオンとレオンに笑顔を向け、ふたりは目を逸らしつつ頬を染めた。その様子に照れ臭そうにまた微笑んだアトラスは目線を上に上げてみた。そこには高い天井と、大きなシャンデリア。元々ここはパーティをする場所なのかもしれない。でも、ここには女の子ふたりだけ。あと、不在中のオーナー。
「あの、お嬢様方はこの家に誰か呼んだことありますか?」
 すると、イオンとレオンはお互いに顔を見合わせては天井を見上げた。
「来たことないよ」
「お客さんなんて呼ばないもん」
「そもそも家から出たことないし」
「外は危ないから出るなってパパから言われてるの。ここに来たのはあなたが初めてよ」
 それきり、少女たちは黙った。アトラスはふたりに顔を向け何か話そうと思ったが、声が出なかった。まさかここで一歩も外に出ずに暮らしていたとは。ずっと、ふたりきりで。
 長い沈黙の後、アトラスは切り出した。
「誰か、僕以外と話をしたいとか思ったりしなかったんですか?」
「ないねぇ」
「ないなぁ」
 イオンとレオンは当然のごとく言い放った。
「「イオン(レオン)がいるから寂しくないもん」」
 その時、屋敷の中にゴーン、ゴーンと時計の鐘が鳴り響いた。その音を聞いてアトラスはしゅっと立ち上がった。
「今何時だっけ!?」
「ん? 三時?」
「四時?」
「夜ごはんの支度してきます!!」
 アトラスは細い廊下に向けてダッシュし、イオンとレオンはいってらっさいと手を振った。が、アトラスは巻き戻るように戻ってきた。
「キッチンどこでしたっけ?」
「ズコー!」

 その日の夜、アトラスはオーナーに与えられた部屋になんとか辿り着き、ベッドに身を投げた。ふたりに呆れられながらキッチンに到着し、夕飯を作っている最中も邪魔され続け、完成したご飯には文句を言われ、ふたりを風呂に入れたときは思いっきりお湯をかけられ濡れねずみになった。結果、ベッドに寝そべった時点で動くことが出来ず、瞼はもう寝ろと告げるように重しをかけてきていた。意識が飛ぶか飛ばないかの狭間で、アトラスはずっとイオンとレオンのことを考えた。ふたりはずっとこの家にいて、自分たち以外の他人に会ったことがない。家族以外の人間と遊んだり、勉強したり、競争をしたり、好きになったり、そんな経験もさせてもらえず、ずっとここでふたりきり。ふたりなら寂しくない。ないが、もっと多い方が楽しい。どうにか出来ないものか。そう考えつつ寝落ちた。最後に脳裏に映ったのは、玄関ホールのシャンデリアだった。

 翌朝、朝食の準備をしながら昨日のことを考えていた。彼女らが他の人と関われる第一歩が何かあるはず。
「あのホール、何かに使えないかな……」
「あのホールって?」
「って?」
 支度をしているアトラスの向かい側からイオンとレオンがひょこっと顔を出し、それにアトラスは驚いてうわずった声を出してしまった。
「うおっ!! お、お嬢様方おはようございます……」
「おはようございます!」
「で、ホールが何?」
 イオンが丁寧に挨拶し、レオンが探るように聞いてくる。アトラスは鍋で煮込んでいたオートミールをふたりの皿と自分の皿にそれぞれよそい、テーブルに運んだ。イオンとレオンのふたりは席に座り、テーブルにあった筒形の容器の蓋を開け、スプーンで中に入っている砂糖をごっそり取りオートミールに振りかけていく。それを見てアトラスは顔をしかめた。
「ふたりとも砂糖かけすぎですよ」
「でも、これくらいないと食べれないし……」
「これが全然甘くないのがいけないんだ! で、ホールってどういうこと?」
「まだ聞くの……。いや、ご飯の後ホールを掃除しようと思いまして」
「ホール?」
「なんで? 他のところ終わってないじゃん」
 アトラスが、自分のオートミールに少量の砂糖を振りかけ混ぜながら打ち明けた。
「少し、気になりまして……おふたりも手伝ってもらえませんか?」
「「えっ」」
 アトラスが顔を上げてお願いする。イオンは自分では何も言えず、レオンの方を見た。レオンもちょうどイオンの方を見ていた。
「私たち手伝わないよ。それはあんたの仕事でしょ」
「そうですが……せめて場所だけでもぉ」
 涙目のアトラスにイオンとレオンは脱力するしかなかった。

 朝食後、三人はホールにやってきた。相変わらず広いホールにシャンデリア、なのに薄暗い。イオンとレオンは不安そうにアトラスを横目で見た。当のアトラスは、片手に水を張ったバケツとぞうきん、もう片方の手には長い棒をつぎはぎして極限まで長くなったモップがそびえ立っていた。まるで、どこかの国の武将のようだ。いや、武将でもこんな武器は使わない。それはあまりにも不格好で。
「くそだせえ」
「レオン様、何か言いました?」
「いえ、何も?」
「そうですか。では、これから! 玄関ホール大掃除を開始します! 最初はシャンデリアの掃除から行いますので、お嬢様方は廊下まで下がっててください」
「ひとりで大丈夫なの?」
 イオンが心配そうに廊下から覗き見るが、アトラスはにっこりと答えた。
「これも僕の仕事ですから」
 アトラスはモップ部分に水を濡らしてギュッと絞っていく。横長であるため、片手で左側から束を作って絞る。レオンはそのモップを見て心の中で舌打ちした。
 
 あれでシャンデリア掃除する気か? 装飾が取れんじゃねえの!?
 でも、手伝わないって言ったのはレオンだよ。
 そうだけど、あれは危なっかしすぎるだろ!
 
 テレパシーで会話をするふたりだが、レオンの指摘通り、アトラスは長いモップをしっかり持っているが、シャンデリアに触れるとシャンデリアが揺れた。アトラスの手はすぐに止まり、そしてまた触れるを繰り返す。イオンとレオンは焦っていた。このままではシャンデリアが落下する。パパに怒られるのだけは絶対に避けたい。パパの大きな雷だけは絶対に避けたい!!
「おわっ!」
 アトラスが足を滑らせた反動で手に持っていたモップを前に突き出した。モップに当てられたシャンデリアが前後に大きく揺れる。大きく揺れる。大きく揺れる! モップはアトラスの手から離れ、無情にも一階の床にビタンと倒れた。アトラスと後ろにいたイオンとレオンは、固唾を飲んでシャンデリアを見つめた。三人の頭の中にある願いはただひとつ。

 どうか落っこちないで!!!

 ゆっくりと揺れていたシャンデリアは、少しずつ、少しずつ、揺れを小さくした後、静かに止まった。その間は五分もなかったが、三人にはまるで丸一日揺れ続けていたと感じていた。三人は、安堵して床に崩れを落ち盛大に息を吐いた。
「こ、こわかった……」
「全く何やってんの召使! あんな方法でアレ掃除できるって本気で思ってたの!?」
「ごめんなさいごめんなさい! いけると思ったんですが……」
「あ れ の ど こ が い け る っ て ?」
「すみません……」
 レオンがアトラスに近づき凄んだ。自分のアホさ加減にやっと気づいたアトラスは何も言えず下を向いた。イオンも近づいてアトラスの横にしゃがみ、アトラスはお礼を言い、レオンに少しだけ文句を言った。
「あれが無茶だとわかってるならなんで止めてくれなかったんですかぁ」
「だってお前やる気満々だし……面白いし?」
「あと少しで壊しそうだったんです! イオン様も止めてくれてもよかったんですよ?」
「でもレオンが決めたことだし……」
 イオンはレオンを一瞥した。なんだか居心地が悪くなったレオンはガシャガシャと頭の後ろを掻いてわかったよと吐き捨てた。
「やり方教えるからもうあんなマネしないで」
 アトラスは呆気にとられた。まさか心配されてる? しかも手伝ってくれるというのか。いや、ちょっと待てよ? アトラスは眉をひそめた。
「シャンデリアの磨き方なんで知ってるんです?」
 すると、レオンは当たり前だという顔をした。
「「だって本で読んだし」」
「だったら最初から教えてください!」

 アトラスはレオンに連れられて一階まで降りた。もちろんイオンもレオンの後ろにくっついて行った。ホールの真ん中に到着したが、アトラスは怪訝な表情で上を見上げる。あんな高いところにあるシャンデリアをここからどう掃除すればいいのだろうか。
「なんで一階まで降りたんです? ここじゃ届かな……貴女方が鳥になって掃除をしてくれれば」
「絶対やらない」
「パタパタするならいいけど、安定して飛ぶのは少しきついかな……」
「そうかー」
「そうかー、じゃねえし。いい? 私たちが梯子になるから、そこに乗ってまずはほこりを払う。それから乾いてるぞうきんで軽く拭くだけでいいから」
「それでいいんですか?」
「それでいいの!」
「いや、そうじゃなくて……」
 アトラスは気まずそうな表情を見せた。
「貴女方の上に乗ることになりますが、いいんでしょうか?」
 さまざまなものに変身できるとはいえ、相手は雇用主の娘たちである。雇われた身でそんなことしてもいいのだろうか。そんな考えがアトラスの顔には書いてあった。それを見て、イオンとレオンはくすっと笑った。
「気にしないで。こう見えても私たち力持ちだから」
「そうだよ! 早くやっちまおう」
「……わかりました。よろしくお願いします!」
 三人はお互いに頷いた後、まずはイオンとレオンが協力して二つ折りの梯子に変身した。レオンが上り方を教え、アトラスが上に上って行く。頂上に到着すると、目の前にシャンデリアが広がっていた。元々は立派なものだったのだろう。それがすっかり輝きを失い、電球や飾りもほこりを被っていた。ほこりをレオンに無理やり持たされたはたきで落とし、雑巾で拭いていく。一か所終わったら、梯子を移動させて、またはたきと雑巾。途中、ほこりを吸ってしまったイオンがくしゃみでアトラスを落っことしそうになったが、レオンがなんとか支え、最後までやりきることができた。その後は、アトラスが降りてから変身を解き、一緒に床に落ちたほこりやごみをはき掃除した。
 おかげさまでシャンデリアは本来の美しさに少し戻り、ホールの床も少しピカピカになった。床はモップで綺麗にしたら鏡のように綺麗になるだろう。それでもアトラス、イオン、レオンの三人はやりきった顔になっていた。レオンが口を開いた。
「やりきった……」
「すがすがしいね……」
「でも、これで人をご招待できますよ!」
「できるたって……」
「外まだ吹雪だよ……」
 ふたりの言う通り、窓の外を見ると雪が猛烈に振っていた。今は冬。アトラスも駅からのあの険しさをわかっているのでぐうの音も出なかった。
「で、でも春が! 春が来ればご招待できますから! ね!」
 アトラスは冷や汗をかいた。外の天気のことが完全に抜けていたからだ。イオンとレオンにじーっと見られつつも、彼は彼女たちに向き直って頭を下げた。
「でも、今回は本当にありがとうございました。一人じゃどうすることもできなかった。だから、たいしたお礼ができないのですが……」
 アトラスは頭をあげて指で頬を掻く。
「今日のご飯好きなものを作りましょうか?」
 その言葉を聞いてイオンとレオンは顔を見合わせ、太陽のように笑顔を輝かせた。
「ハンバーグ!」
 ふたりは同時に言い放った。ハンバーグ。それはアトラスも知っていた料理だった。
「いいですよ! 頑張って作りますね!」
「やったー!!」
 すると、イオンとレオンがアトラスの手を引っ張った。
「早く作ろ!」
「早く食べたい! 案内するよ!」
 ふたりの笑顔を見て、アトラスは少しでも彼女らのことを知れた。好物はハンバーグだな。
「えぇ、よろしく頼みます!」

END
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