第4話  優しい紳士の嫌がらせ

文字数 10,887文字


 コレットは都会に来ていた。
 虚栄心が「お洒落」という皮を被った人間が闊歩している。見栄が服を着て歩いている街だった。
 外見を飾り立てている者は財布に執着していないのかすぐに懐を明け渡してくれる。
「……ち、シケてるな~」
 スラム街で暮らしていた時よりも収穫は簡単になったのに収入は少ない。
 誰も見ていないのを見計らい、金銭を抜き取った財布をゴミ箱に捨てた。
「折角可愛らしい格好しているのに、その顔は服が泣くな」
 隣を歩いているグレコが残念そうな顔をする。コレット達と暫く暮らしている所為なのか、それとも魔王の力を徐々に取り戻し、記憶が戻ってきたのか、たまに感情を表に出したりする。
「悪かったな、ブスで」
 見つめられてまで露骨に言われると機嫌がますます悪くなる。
「ごめん、言い方が悪かった。そんな表情は似合わないと言ったんだ」
「ふうん、あっそ」
 グレコの弁解も聞かず、歩を進めるコレット。今日の格好はピンクのスカジャンにレースの付いたキャミソール、ブルーのティアードスカートを併せている。靴は以前と変わらず、キャンバス地のスニーカーだが、だいぶ見た目が女の子らしくなってきている。
「今日はデートお断りだからな」
「今日も、の間違いじゃないの?」
 早歩きをする彼女に健気にくっついて歩くグレコ。
「最近働きすぎてないか?そんなにがつがつしてたら、警察に捕まってしまうよ」
 心配して彼女の後を付けているのだ。
「大丈夫、あんたが作ってくれたこの服でだいぶカムフラージュされて仕事しやすくなってるんだからさ」
 生活水準は以前より上がってないが、グレコが趣味で作る洋裁でコレットに服のバリエーションが増え、変装ができるようになったのだ。
「そんなに今の家が嫌いなの?」
 グレコの問いかけにコレットはそっぽを向き、次のターゲットを探し始める。
「僕はわりと居心地がいいと思ってるよ。広くて静かだし、この街だったらどこからでも家に帰れるからね」
 ぴく。コレットの眉毛が引きつる。
「まあ、至る所に入り口があるのは多少問題があるかも知れないけどね」
「当たり前だ!」
 コレットは立ち止まって道路を指差した。
 厳密には道路の真ん中にある円形の蓋を。
「あれの何処が住居なんだよ?マンホールじゃねえか!」
 家を焼失した現在、都会のマンホールの内部で生活をしている。
「ちょっと細長い気がするけどね」
「ミュータントじゃねーよ!」
「地下鉄は無料で乗り放題だし、いざ、まとまったお金が必要になったら地下から銀行の金庫を襲えば簡単だし、生活環境は向上したとしか思えないけどなあ」真顔で答える。
「あたしを本物の悪党にするつもりか?」
 グレコの襟首を掴むコレットの拳に力が入る。
「僕は魔王だからどうせ悪党なんだけどね」
 遠い目のグレコがコレットの肩を叩いた。
「この前、コレットの所為で街が一個壊滅したじゃないか」
 蘇る過去の記憶。
 確かに、自分が生まれ育った街を住民もろとも消し去ったのはコレットの責任も含まれている。が、結局実行犯は結界も張らずに魔力を開放したガープだ。
「僕らは立派な大悪党だと思うよ」
 ぽん、ぽん、とコレットの肩を軽くなだめるように叩いた。
「…………………………」
 悪党の烙印を押されたコレットは沈むしかなかった。


 ヒューゴの創作活動にも力がこもり、妙なオブジェが通路に並ぶが、生活は前よりも安定している。ほの暗いマンホールの中はわりと快適らしい
 アイシャが熱々のシチューを立派なテーブルに運んできた。このテーブルはマンホールの近くのゴミ捨て場から引きずり込んだ物だ。四つ並ぶ椅子も同じ。
「言われた通り、材料は八百屋の売れ残りと高級レストランの残飯で作ってあるぞ」
 彼女の仕入れた材料は全てマンホールを経由して調達できる。
「残飯といっても誰も食してないひれ肉を拾っただけだ。文句はあるまい」
 料理を食卓に並べたアイシャが偉そうにふんぞり返っている。
「はい……ないです」
 シチューを頬張るヒューゴの瞳が輝く。
「食費をあれだけ切り詰めたのに、味は落ちていないなんて、腕を上げたねアイシャ」
「それほどでも……」
 主人に褒められたアイシャの頬が赤らむ。
 この三人は地下生活が気に入っている。
 居住スペースは広がったし、マンホールは下水道ではなく上水道だから水は汲み放題だし、電気だって地下点検用のコンセントがあるから心配ないし、出口を選べば好きな所に出られる。最低限、いや、それ以上の生活が苦も無く可能だ。
 生活水準が向上してもおかしくないはずなのに、なぜかコレットは生活の為にスリを繰り返している。
 以前のようにアイシャのお陰で生活費が嵩む事はなくなったが、今度は何か他のもので圧迫されている気がしてならない。
 ザアアアアアアアアアアアアア……
 食卓の脇で水が流れている。
 時折遥か上の地上で車が蓋を踏む音が聞こえてくるのが耳障りで仕方が無い。
 何より窓が一切無く、太陽が差し込まないのがコレットの癪に障る。外の天気がわからないのも不便な項目の一つに入る。
 ……こんな暗い所さっさと引っ越したい。
 コレットのささやかな願いは食卓を囲む三人には届いていないようだった。
「……………………」
 密かにへそくりを貯めているのに、なぜかちっとも増えないのはなぜかとも考え始める。
 理由は二つ思い当たった。
 ヒューゴがへそくりの隠し場所を探し当て、オブジェの制作費に当てているか、
 もしくはグレコが衝動買いした布の数々がへそくりで賄われたかだ。
 居住空間の壁には一面、オブジェと大量の服が並べられている。
「この家に来た途端どんどんアイディアが湧いてきて素晴らしい作品が出来上がるんだよなー」
 夢見心地でヒューゴが言う。
「コレット、新作の靴の事なんだけど……」
 食事の最中でもお構いなしにグレコが服や靴のデザインの話をする。
 彼らの所得は今週もゼロに等しい。
 つまり彼らは隠したへそくりと、アイシャに渡した食費を拝借して使い込んでいるという事が推測できた。
「アイシャ、節約料理は認めるけど、食費削ってまで、あいつらにお小遣い与えないでくれる?」
 主食のパンを運んできたアイシャに頼んだ。
「? 与えてなどいないが」
 不信感を煽ったアイシャが逆にコレットに耳打ちしてきた。
「…………」
「………………」
「……」
「…………」
 小声でやり取りが交わされる。
 けしからんが、コレットの稼いできた金でアイシャもへそくりを貯めていたらしい。この家の女性達は堅実だった。
 何食わぬ顔で食事するこの家の男達は彼女達のへそくりを横領して作品作りに励んでいたのだ。
 生活費に支障をきたすパラサイトが二匹いるお陰で、コレットの財布は一向に潤わないのだ。グレコは衣服を製作しているので少しは役に立つが、ファッションショーでもやるみたいに奇抜なデザインも目立つ。ヒューゴに至っては変な彫刻や理解不可能な絵を生み出すだけで役に立たない。
 考えるだけで、我ながらどう仕様も無い兄を持ったものだと、コレットは落胆した。


どう仕様もない兄、ヒューゴが甲斐性無しの汚名を拭い去る瞬間に、ちゃんと妹のコレットは立ち会っていた。
「よし、気に入った」
 金持ちの道楽なのか、フリーマーケットに来ていた白いスーツを着た黒髪の貴族は現金でヒューゴの書いた落書きを購入する事にしたのだ。
「三百でどうだ?」
 ヒューゴとそこそこ変わらない年齢だと思われる男は指を三本立てた。
「いいっすよ、三百イエンね」
 ヒューゴは「まいど」とか言いながら右手のひらを軽く差し出した。
「やったね、兄ちゃん」
 隣で座っていたコレットが手を叩いた。わずかだが、兄の商売が成立した事にちょっとだけ感動していた。
「はい、三百」
 金持ちは曇りの無い笑顔で札束を三つヒューゴの手のひらに乗せた。
「えーーーーーーーーっ?」
 兄妹は初めて見る三百万に驚愕しながら、札束の中身が本物かどうかも確認した。
「言い値で買っていいと、さっき言ってたじゃないか」
 金持ちの感覚は理解できない。札束を硬貨一つの感覚でよこしてきたのだ。
「うおお……本当すか? 大将!」
 感動の涙を流し、金持ちに抱きつかんばかり勢いのヒューゴは札束を握り締めたまま、熱い視線を同世代(?)の彼に送った。
「俺が嘘をついてもしょうがないだろう」
「大将!これもおまけで付けましょう!」
 興奮気味のヒューゴが奇妙な地蔵の彫刻を金持ちに押し付ける。
「はっはっはっは、こいつも素晴らしいな」
 さわやかに笑う彼の美的感覚を疑いながら、コレットも兄と同じ視線を向けた。
 これで貧乏から少しの間、開放される!
 コレットは暫く金持ちを観察した。
 人の良さそうな東洋系の顔立ち、高級な整髪料で固めた艶やかな黒髪、匂い立つ上品な香木の香り、柔らかな物腰が金持ち男の金持ちである魅力を最大限に引き出していた。
「お包みしますから、ちょっと待ってて下さいね!」
 上機嫌のヒューゴが包み紙を引っ張り出して売れた絵を包み始める。
「……お嬢ちゃん、その服は」
「どれも手作りだよ。全部女物だけど」
 金持ちに売りつけるものが無くて肩をすくめるコレットが答える。
「ちょっと、見せてくれ」
「え? あ、うん、いいですよ」
 真剣な表情で金持ちがコレットの売っている服を手に取って眺めた。
「もし良かったら知り合いの女の子にでも買ってあげてよ」
 コレットが飛び切りの笑顔で微笑むが、
「ふむ……? この縫い取り、はぎ方……」
 金持ちの視界は全て売られている服に注がれていた。
「これは、お嬢ちゃんが作ったの?」
 鬼気迫る表情の男はコレットに切迫した。
「違うよ」
「……やっぱりそうか」
 納得して答えられたのがコレットの癪に障ったが、真の意味はコレットのお手製ではない事に落胆する以外の意味が込められているのは確かだ。
「何処で仕入れたのか解らないが、これも貰おうか」
 すみれ色のワンピースを包むようコレットに差し出した。
「ありがとう! ……あ、これは」
「そいつもおまけしますよ、大将!」
 嬉しそうに答えるコレットの言葉を上機嫌なヒューゴが遮ってしまった。
 ワンピースは結局、おまけという形で金持ちに引き渡された。


「ちょっくら山にスケッチに行ってくるわ」
 金持ちに絵が売れて以来、やる気を出したヒューゴがイーゼルを抱えて外に出て行く。
「じゃあ僕達は布地を探してくるから、留守番よろしく頼んだよ」
 今日は布の卸問屋がバーゲンをやると聞いて朝から落ち着きの無いグレコがいそいそとはしごを登っていく。
「コレット、洗剤とキッチンタオルの他に買うものはあるか?」
「あー、歯磨き粉とシャンプーもお願い」
 コレットは珍しく留守番を買って出ている。
「承知した。しばし、留守を任せたぞ」
「はいはい」
「洗い物はそこのタライに付けておくのだぞ。それから昼はテーブルの上にサンドイッチが置いてあるから……」
 口うるさく母親のようにアイシャは言う。
「はいはい」
「飲み水は沸かしたものが冷蔵庫に」
「アイシャ、早くおいでよ」
 地上で待っているグレコが痺れを切らせてアイシャを呼んだ。
「ただいま参ります」
 上に向かって声を掛けると、
「くれぐれも川に落ちたりするな」
 コレットに向き直って忠告した。
「はいはい」
 コレットはうんざりした様子でアイシャの忠告を聞いていた。アイシャはこう見えてもコレットの事を大切に思っているのだ。
「洗濯物を三時になったら取り込んでおくのを忘れないようにな」
「はいはい、行ってらっしゃい」
 話を聞き飽きたので、コレットは無理にアイシャを送り出した。

 コレットは誰もいなくなった部屋で、水が流れる音をBGMにごろごろしていた。
 ヒューゴの稼いでくれた三百万イエンのお陰で暫くスリに出掛けなくて済むので、心置き無くくつろぐ事ができている。
 キャミソールとホットパンツにカーディガンを引っ掛けた楽な格好で住宅情報誌を読み漁り、金があるうちに新居に引っ越そうとあれこれ考えている。そのうちに、眠くなって座っていたソファーでまどろみ始めた。
 ざああああああああああ……
 脇を流れる上水道の耳障りだった音が今は心地よい子守唄だ。
「あのー……すいませぇん」
 そんな時、聞き慣れない女性の声が無理やり耳に入ってきたのだ。
「……ん?あんた誰?」
 しぶしぶ目を開けて、ソファーの脇に立っている緑髪のショートカットの少女を確認する。アイシャとは違った種類のメイドさんだ。 古風な着物とエプロン、風呂敷包みを抱えた東洋風な出で立ちに、特有のカチューシャを付けている。
「あたくしはエルハルト・アスモデウス公爵様の使い、カイでございます」
 カイという少女はご丁寧にその場に正座し、深々と頭を下げて挨拶した。
「???え……エルなんとか?……とにかくあんた、どうやって入ってきたの?」
 怪訝な表情で着物の少女を見つめる。
「はい、入り口がたくさんございましたので、その中にあるうちの一つから……」
 カイが指を指す先に、天井でマンホールのの蓋がはまっていた。
「よくマンホールの中に住居があるって判ったね」
 感心したようにコレットが頬を掻くと、
「ええ、ヒューゴ様の表札が掛かっていらっしゃいますし」
 とやけにさわやかに答えられた。
「…………………………!!?」
 コレットは天井の入り口を見つめ、しばし固まった。どこまで表札が道路のたくさんある蓋の脇にはまっているか分からないが、あの変な所に几帳面な兄の事だからやりかねない……。
「……で、何の用?」
 我が家に来る客にろくな奴がいないのをあらかじめ弁えているので、コレットの口調に棘がある。
「家主のヒューゴ様は留守のようでございますね」
「ああ、見れば分かるだろ」
「待たせて頂いてもよろしいですか?」
 と、カイは言うと、コレットに是非を言わせず、風呂敷包みを解いた。
「お茶でもいかがです?」
 風呂敷の中から茶道の一式(茶釜など)を取り出し、勝手に水差しの水を拝借してお湯を沸かし、抹茶を点て始めた。
「美味しいお茶菓子もご用意してありますのよ♪」
 茶菓子の折からモナカと練りきりの団子を漆塗りの小さな盆に載せ、嬉しそうにコレットに差し出す。
「はあ、どうも」
 茶菓子を受け取ったコレットは早速モナカを鷲掴み口に運び込んだ。
「駄目です! ちゃんとお座り下さいまし!」
 ビシ、湯を注ぐ柄杓でコレットの手がはたかれた。
「いてっ」
「お行儀が良くありませんわ」
 カイは座布団を引いた場所に正座するようコレットに示した。
(う……、また変な人家に入れちゃったよ)
 コレットは嫌な予感がしながら、カイが用意した座布団にしぶしぶ正座して座り、立てた茶を受け取った。
「作法はお好きになさってよろしいですわ」
 カイが言う間も無く、
「うげ―――――。まずーい」
 緑色の液体がコレットの口から吐かれた。
「きゃーっ! 一気に飲んではいけませんわ」
 さば折りになるコレットの背中をカイがさすった。

 数十分後、
 似たような年頃の二人は意気投合して仲良く談笑していた。
「足,痺れちゃったんだけど、崩していいかなあ……?」
「ええ、構いませんわよ」
 口元を袖で隠してころころと笑うカイ。
 遠慮なく足を崩そうとコレットが腰を上げると、
「あれ?」
 ぴりぴりした痛みが全身を駆け抜けていった。足が痺れたというよりはむしろ、全身が急に麻痺し始めたような感じだ。
「体が熱い……」
 次第に全身がいう事を利かなくなり、コレットの体は変な姿勢で床に転がった。
 ごろん……
「ふっ、ほほほっ!まんまと引っかかりましたわね。お茶に毒を仕込みましたの」
 カイはすっくと立ち上がり、勝利の余韻にしばし浸った。
「てめえ、はめやがったな!」
 冷凍マグロのように横たわったコレットがわめいた。
「ほほほっ! あたくしの初歩的な罠に引っかかるとは、相当なお馬鹿さんですわ」
「…………くそお」
 コレットは嫌な予感がしながらも無視して、お茶菓子に気を許した自分の食い意地の悪さを今更呪った。
 ついでに眠気も襲ってきてコレットの意識は急に失われた。
「さあ、エルハルト様のお屋敷に行きましょう、ルシファー様」
 カイはこの家の住人宛に書置きを残し、荷物を纏めると、左腕で軽々とコレットを担ぎ上げた。



「馬鹿者! 誰が女の子をさらって来いと言った?」
 怒鳴り声が部屋の中央から聞こえてきて、コレットは目を覚ました。
「ごめんなさぁい、エルハルト様ぁ……」
 カイが白いスーツ姿の男に怒鳴られている。
「だって、だって、エルハルト様はマンホールの中でお留守番をしている子供っておっしゃってたじゃございませんかぁ」
「ええい、留守番をしているのはいつも男の子の方だ!」
「今日はあの子でございましたよ」
 べそをかきながらカイが必死で弁解する。
「…………」
 エルハルトは呆れたまま横たわるコレットを見つめた。
 巨大な鳥籠の中に放り込まれている事にコレットは初めて気が付いた。
「何だこりゃ?」
「あ、お嬢ちゃん、目が覚めたか?」
 コレットは彼の顔を見るなり、
「この前の大将!」
 と叫んだ。
「部下が手荒な真似をして屋敷に連れて来てしまった。人違いをしてしまったんだが、無礼を許してくれないか?」
 エルハルトが鳥籠の鍵を開け、無様に横たわっていたコレットを抱え上げた。
「わっ」
「解毒剤が打ってあるからもうすぐ楽になるはずだ。さあ、寝室に連れてってあげよう」
 コレットの頭を撫でながらエルハルトは優しく微笑み続けていた。




 ヒューゴが山から下りてマンホールの自宅に帰ると、既にグレコとアイシャは帰って来ていて、二人して食卓に座っていた。
「ただいま、どうかしたのか?」
 食卓に座って微動だにしない二人を見たヒューゴは、とりあえず椅子に体を投げ出して様子を伺った。
「サンドイッチじゃん! いただきま」
「待て!」
 食卓の上に上がっていたサンドイッチの皿に手を伸ばそうとしたヒューゴの手をアイシャが止めた。
「……す」
「それはコレットの昼食用に置いて行った物なのだ」
 アイシャは表情は変えないが、深刻な口調で言った。
「何(あん)だって?」
「コレットが帰って来ないんだ。もしかしたら朝から出て行ったのかも知れない」
 グレコが憔悴した顔でため息をつく。
「ええっ? 門限はとっくに過ぎてるはずだぜ?」
 コレットの門限は午後七時のはずだ。現在、門限の二時間後の午後九時を過ぎた頃だ。
「ん? 書置きがあるじゃねえか」
 ヒューゴはサンドイッチの皿の下に挿んであったメモを見つけた。
『ちょびっとルシファー様をお借りします。
       地獄帝国公爵アスモデウス』     
 そんな事が可愛らしい、女の子っぽい丸文字で書き込まれていた。
「おい! あいつお前と間違えられて魔族に連れさらわれたんだよ!」
「わかってるよ……僕も手紙見てるんだから……」
 グレコは爪をかじりながらメモに視線を落とした。
 筆跡からしてアスモデウスの使い魔が来た事は分かるが、よりによって本人の留守中に訪問して、コレットを間違えて連れて変えるとはよっぽどの間抜けらしい。
「アスモデウスとはまた厄介な……」
 彼は『七つの大罪(サタン)』の称号を持つ魔王の一人で、「淫欲」の罪を背負っている。
 グレコに不安と焦燥の感情が生まれる。
 アスモデウスは過去にグレコの魔力と悪魔軍を総括する権力を奪い取った臣下の一人でもある。魔力が下級悪魔程度しか残されていない今、グレコに勝算は無い。
 淫欲の罪を背負っているという事は、すなわち彼は物凄く女好きなのである。
 コレットの身が危ない!
 それだけは承知していたがグレコはなかなか椅子から腰を上げる事はできなかった。

 コレットはエルハルトの天蓋付のベッドに寝転がってしばしお姫様気分を満喫していた。
 ぼすっ
 何回か起き上がっては布団に倒れこむしぐさを繰り返してみる。我が家にある煎餅布団とは違い、上質の羽根でできた布団はコレットの体を優しく包み込んでくれる。
「おや、体はもういいのか?」
 ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外したエルハルトは、コレットの為にグラスに水を注いで持って来た。
「カイみたいに毒は盛っていないから安心したまえ」
 エルハルトはコレットの目の前で少し水を口に含み、グラスの縁を絹のハンカチで拭ってから彼女に差し出した。
「ありがとう、大将」
 コレットは両手でグラスを受け取った。
「ははは、大将はやめてくれないかな?これでもエルハルトという名前があるのだから」
 柔和な微笑を浮かべてベッドに腰を掛ける。
「エルハルトさん、でいい?」
 長い名前にちょっとだけしっくり行かない。
「お嬢ちゃんにならエルトと呼んで貰ってもいいかな」
 エルハルトは右腕を伸ばし、コレットの頬に触れた。
「エルト、あたしもお嬢ちゃんはやめてほしいな」
 頬を膨らませたコレット。自分を一人の女性として扱ってくれる彼にはこんな可愛らしい仕草をとって見せた。
「なんて呼べばいい?そう言えば名前聞いてなかったね」
 じっと見つめる視線に大人の男性の魅力を感じる。
「……コレット・リリスだよ」
 少しはにかんだ表情で答えた。
 エルハルトの表情が一瞬だけ変化する。
「まさか!コレットのお祖母さんは伝説のトップモデル、リリス・リリス?」
 驚愕の色を浮かべたエルハルトはコレットに向き直り、彼女の両肩を掴んだ。
 グラスの水が両者の胸にかかった。
「きゃっ」
「あ、すまない」
 エルハルトは握力を弱め、視線をコレットのキャミソールに移した。薄いピンク色の生地が彼女の胸に張り付き、二つの小さな隆起を浮き出させている。少女の怪しい魅力を、この男は堪能した。
「……着替え持ってきてあげるね」
 ここで思い留まっておいたエルハルトは自然な振る舞いで立ち上がった。
「うん……」
 コレットは自分のキャミソールを見て顔を真っ赤にして答える。
「ねえ、あたし祖母の名前知らないから、モデルだったかどうか分からないんだ」
 照れ隠しにさっきの答えも言った。
「あたし達兄妹は母親の姓を受け継いだだけだから」
 コレットとヒューゴはなぜか父ではなく、母の姓を名乗っているが、普段は名前しか名乗らなかったりする。父は愛する妻の面影を求めてそうしたのかも知れないが、災いを呼ぶ名前だと、今は遠くなった親戚から恐れられていた。だから兄は自分の名前だけを表札にしているのだ。
 エルハルトにフルネームで名乗ってしまったのは、彼にどこか惹かれてしまっていたからかも知れなかった。



 生まれて初めてレディになれた。
 赤いミニスカートのドレスとヘッドドレスが子供っぽいが、お揃いの色のレースアップシューズが可愛らしく、複雑ながらの編みこまれたニーソックスもまた可愛い。コレットは男の子っぽい性格をしているが、少女趣味なので照れながらも喜んで着ていた。
「お人形さんみたいだ。可愛い」
 エルハルトはコレットの手を取りながら彼女を見つめた。彼の左手に金と銀、ダイヤで構成された腕時計が光っている。
「やはりロリータは少女に限るな」
「………………」
 彼もこの調子でどこぞの無感情の誰かさんと似た様な事を言っている。
 彼は王侯貴族であり、ファッション業界で名を轟かせているデザイナーでもあるらしいのだ。
「少し遅くなったが、食事でも取ろう」
 コレットを窓辺のテーブルに案内し、椅子を引いて座らせる。
「あ、ありがと」
 コレットに思いを寄せている誰かさんはしない行動だ。
「ねえ、エルト」
「どうしたんだ? コレット」
 向かいの椅子に座ったエルハルトが嬉しそうに微笑む。
「あたし、グレコと間違えられてここに連れて来られたんでしょ?」
 カイがお使いで訪問してきた時点でうすうす気が付いてはいた。
「……まあ、当初はそうだったかなあ。今は君の魅力に惹かれてここに留まってもらっている」
 エルハルトはコレットの瞳をまっすぐ見つめ続ける。
「あなた、魔王の一人?」
「ぶしつけな質問だな……ははは」
 軽く笑い飛ばそうと見せかけ、真摯な表情で、
「その通りだ。よく見破ったね」
 コレットの頭をくしゃくしゃと撫でて答えた。
「グレコを追い詰めに、地獄から来たの?」
「まさか、俺がそんな野蛮な真似をするものか。あいつが帝位に就いている頃から人間に成りすましてここに住んでいるんだ」
 エルハルトは足を組み直して続けた。
「……いや、なに、なんか急に懐かしくなって呼び出してみようかと思ったわけだ」
 気さくな笑いにコレットの調子は狂った。
「そうだ、最近、ルシファーはどうしてるかゆっくり話を聞かせてくれるかな?」
「で、でも、ご飯食べたら帰らせてもらおうかと思ったところだし……」
「まあまあ、食事はまだなんだし、その間にでも」
 チリン……
 備え付けのベルを左手で鳴らした。コレットは彼のジュエリーウォッチに釘付けになっていた。
「う、うん……」
 光り物に弱い女、コレット。
「夜も遅いんだ、どうせ彼が心配して迎えに来るだろうからゆっくりしていきなさい」
 ベルを鳴らしただけでたちまちたくさんのメイドが現れ、食事が窓際に運ばれてきた。
 コレットは貴族の豪華料理と、窓の外から見える夜景を充分堪能した。



 がっしゅ、がっしゅ、
 夜な夜なトンネルを掘り進む作業ががマンホールの内部で行われている。
「そこを右斜め四五度」
 図面を手にしたグレコがつるはしでトンネルを掘るヒューゴに指示を出している。
「へいへい、相手が同じ魔王だからって、なにも地下から攻め込む事ぁねえだろ?」
 ぼやきつつも結局はさらわれた妹が心配なので作業を続けている。
「相手がグレートデーモン級だと僕は赤子同然だからね」
 能面のようなグレコの顔にはどの表情も浮かんではいなかった。
「御館様がプライドを捨ててここまでするとはな……」
 アイシャはグレコが不憫で無表情に涙を浮かべながら魔法の力でヒューゴと一緒にトンネルを掘り進んでいた。


To Be Continued


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