第2話

文字数 1,282文字

 電話を切った後、増殖した待ち患者さんたちを診察していく。高熱の一歳児。触ってみたが熱くない。解熱剤の座薬を入れて来たのだという。それ、もう今夜来なくていいだろ? 先ほど少しほっこりしたはずの僕は、もう怒りが湧いてくる。まだまだ、修行が足りない。

 診察待ちの子があと一人になった。するとほら、またPHSが鳴る。今度は病棟だ。病棟の電話も何故か同じ頃に集中する。準夜勤務から深夜勤務へ、看護師さんの引き継ぎの頃だ。診察中! と少し声を荒げてしまい、深呼吸。外来患者さんには、作り笑顔が要る。無用なトラブルは避けたい。

 診察室に入ってきたのは、いかにも夜のお店にいそうなお母さんと二歳くらいの女の子。夕方、蕁麻疹が出た、とのこと。医学的な本当の蕁麻疹なら既に消えている。消えていなければ蕁麻疹という診断は違うだろう。いずれにしてもほとんどの場合は緊急性がない。

 蕁麻疹が出たという腹部や大腿には、なんとなくそうだった、という痕跡が残る程度。そして絶対大丈夫だと思いながら、聴診し喘鳴がないこと、眼球結膜に充血がないことなどを確認する。念のため、抗アレルギー薬を数日分処方しておしまい。

 のはずが、この母親、アレルギーの検査を要求し始めた。夜中しか病院に来られなさそうな事情があることは察せられるが、やはりアレルゲンの検索は平日の日中にやりたい。いや、夜中に血を取って、その検体を朝まで冷蔵しておけばいいだけなのだが、これを許すと際限がない。僕はやや強い口調でその希望を拒絶した。

「先生、優しそうやったからゆうてみたけど、やっぱダメやんな」
 確信犯か。まあでも、優しそうと言われ、悪い気はしない。夜中で非常識だと思うが、それすらしないネグレクトな親だって存在する。もし僕らが拒否し続けたら、彼女たちも嫌気がさしネグレクトに向かってしまうかもしれない。そう思うと検査をしてしまいたくなるが、ここは抑えなければ。

「ごめんね、ルールだから」
 僕はそう言って、その母親の顔を見た。まあ、納得はしているか。緊急性のない蕁麻疹程度なので、きっとアレルゲンの検査をしても意味のある結果は出て来ないだろう。でも、ここで機嫌をそこねないように、平日日中の外来を案内する。僕の外来担当は木曜午前。実は数時間後のことなのだが。

「まあ、大きいところはケチやからね」
 この大阪弁が妙にそそる。今度お店に行きますよ、とはここで言ってはならない。「お大事に」と事務的に告げ、ようやく一息だ。が、その前に。

 病棟の看護師に折り返しの電話をかけねばならぬ。今日の点滴オーダーが入っていない。当然、僕の担当患者ではないのだが、こうした漏れをカバーするのも当直医の仕事ではある。あー、はいはい。と明るく応え、電子カルテに打ち込む。そして外来の待ちリストを確認。おっ、いない!


 ズボンのポケットからスマホを取り出し、僕は写真を眺める。数時間前、妻が送ってくれたメールに添付されているそれ。僕は笑顔になると同時に、切なくなる。

 ああ、他人の子より、自分の子に会いたいなあ。
 僕の心も、泣き止まないんです。

 [了]
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