芳蓉と蒲公英(一)

文字数 4,330文字

「こ、こいつ……いったいどこから?!」
「うろたえるな、兄弟。これだけの数だ、万に一つもねえ。それに」
 あたしは黙って右手の空ちゃんを斜に構え、左手の精ちゃんで相手を牽制する構えを見せた。周りでは十数人の男たちが、めいめい刀剣を煌めかせて、あたしを包囲している。
「相手はガキだ。見ろ、二本も剣を構えやがって、格好だけだぜ。大人だって……」
 地を蹴る。やや遅れて、数え切れないほどの悲鳴が同時に上がった。
 これで護衛は全て片付けたわ。残るは、そこで怯んでいる「蛇の頭」ただ一人ね。
 床に転がる護衛たちをまたぎながら、一歩ずつ近づいていく。
 頭は膝を震わせながらも立ち上がると、覚束ない手つきで腰の剣を抜き放った。
「き、きさま……なぜ我々を? 理由を言え、理由を!」
 歯の根も合わない様子だったけれど、どうにかそれだけ口にしたわ。蛇の頭とはいえ、大勢の荒くれをまとめているんだもの、少しはみどころがあるのかしら。
「替天行道よ」
 あたしのつぶやきを聞いて、そいつは絶句した。まるで死を宣告されたかのように。
「お、お前が……あの……! 替天行道を掲げ、暗殺を繰り返す、剣魔……」
 皆まで言わせないわ。あたしは右手を払ってそいつの首から上を切り飛ばした。
 首を失った胴体は数回軽く痙攣すると、血を吹き上げながら床に沈んだ。
「ほんとう、失礼しちゃうわね。剣魔だなんて」
 あたしは空ちゃんと精ちゃんの血を拭うと、鞘に収めて担ぎ直した。
 広間の額には「聚義庁」と大書されていた。こんな野盗崩れが義を名乗るなんて、ほんとうに世も末だわ。憤慨したあたしは額の文字を切り刻んでやった。そしてそのまま奥へ進み、大きな鉄の扉を開け放った。
 潜入前の調査によると、この奥には山のような不義の財と、近隣の村からさらってきた女の子たちを閉じ込めているらしかった。
 情報通り、そこにはたくさんの箱がうずたかく積まれていた。適当に蓋を開けてみると、金銀財宝がぎっしりと詰まっている。注意深く見渡すと、すぐに地下へ続く階段が見つかった。慎重に下りていく。ややあって、微かなすすり泣きの声が聞こえた。
 地下には牢屋が二つあって、若い女の人が十数名、手足を縛られたまま閉じ込められていた。
 胸の中に嫌悪感が巻き起こる。あたしはうなじの匕首を抜き取ると、内力を込めて鋼鉄製の格子を寸断してやった。涼しい音だけを残して、薄汚い鉄の棒はバラバラになった。
 女の人たちはびっくりしたのか、それとも安心したのか、みんなボロボロと涙をこぼしていたわ。あたしは一人ずつ縛めをほどいてあげたの。
「もう大丈夫よ。あなたたちを虐げる悪は、このあたしが滅ぼしたからね。さあ、すぐに村へ帰るといいわ。何も心配いらないのよ、ほらお金も」
 あたしは胸元から巾着を取り出した。女の人の両手を包み込むようにして、その巾着を握らせる。
 すると、捕まっていたみんながこぞってあたしの前に平伏したの。あたしは慌てて全員を助け起こすと、速く逃げるようにって促したわ。
「ありがとうございます、ありがとうございます。このご恩は絶対に忘れません。どうか、ご尊名だけでもお聞かせ下さい」
 少しだけむずがゆくなってしまったけれど、もう毎回のことだからずいぶん慣れていたの。あたしは彼女たちをゆっくり見渡すと、
「あたしは芳蓉。剣仙、芳蓉よ」
 落ち着いた声音でそう答えた。

 女の人たちが無事に逃げ切ったのを確認したあたしは、山塞に火を放ってやった。真っ赤な炎はまるで舌のようにうねりながら、盗賊たちの根城を舐め尽くす。
 最初のうちは討伐件数を数えていたけれど、少し前から数えるのを止めたの。いくら潰しても所詮蛇の頭だし、やっつけた悪党たちの名前をいちいち覚えるのも骨だからね。
 今日も、何とかって盗賊団の何とかって頭目だったわ。
 あたしは軽功を使って一気に山を駆け下りた。ここは黄河の支流、汾水のほとり。太原っていう土地だった。山が多いのは江南もそうだけれど、この辺りはどこか殺風景で寒々としている。やっぱり北の気候は厳しいのね。姉さま方の故郷は確か、長城の近くだって言ってたけれど、こういう風景の中でお二人は育ったのかしら。
 しばらく駆ける。森林は鬱蒼として、ときどき獣たちの鳴き声が聞こえた。途中、虎や狼にもすれ違ったわ。あたしは速度を減じさせず、獣道をずんずん進んでいった。
 あたしが身を寄せているのは、白牛渓って呼ばれる谷川だった。そこには数十人の人たちが避難していて、粗末な小屋を建てたり洞窟を使ったりして身を潜めているの。小さい子どもからお年寄りまでたくさんいたわ。みんな沈んだ顔をして、戦乱が終息するのを待っていた。
 初めてあたしを見たときは、みんな驚いていたわ。だって、十歳の女の子が、背中と腰に剣を三本も差しているんだもの。無理もないわ。何となく怖がられていたみたいだったけれど、たまたま押し寄せた盗賊団をやっつけたら、がらりと態度が変わったの。
 その日からあたしは白牛渓を拠点にして、この近辺で替天行道をしているの。近辺といっても、普通の足じゃ往復に一週間以上は掛かると思うけれど。あたしの軽功なら一日で済むからね。
 もちろん昼間は白牛渓で歌を詠ったりしているの。結構人気あるんだから。子どもたちからも教えて欲しいってせがまれるわ。あたしの歌や剣舞を見て、みんな笑顔になってくれる。するとね、あたしも自然と顔がほころぶの。
 白牛渓の生活は比較的安定しているようだったわ。噂を聞きつけた人たちが、どんどん避難してくるようになっていたの。それはいいことなんだけれど、あまり増えすぎると生活が立ちゆかなくなる。そんなとき、白牛渓を束ねる長老の一人が、あたしに相談してきたの。
 ここを棄てて七龍鎮へ合流したい、って。
 あたしが襄陽から長安を目指したとき、河北地帯は北方から侵攻して来た騎馬民族と、官軍の腐敗につけ込んだ盗賊たちで大荒れだったの。
 そうした混乱に乗じる形で、朝廷に反抗する勢力が一気に増えたの。中には野盗まがいの蛇の頭も多くいたけれどね。大したことないのに、何とか大王とか名乗るんだから。
 でも、まともな勢力も幾つかあった。その中でも七龍鎮が最有力だったわ。白牛渓のずっと北の方にある天然の要害なの。
 首領は「上官摘星」という名前で、度量の広い好漢だって評判だった。何でも、来る者拒まずは言うまでもなく、受け入れた者に寝首を掻かれそうになっても、全く動じず、それどころか説得しちゃうらしいのよ。全身が肝の人ってほんとうにいるのね。
 反抗勢力の中ではダントツの人望なのもうなずけるわ。
 だから、焼け出された人々や、官軍にやられた敗残兵たちはこぞってそこを目指しているみたいだった。勢力はどんどん膨れ上がり、上官摘星のためなら命を惜しまない侠客や好漢が身辺を固めているらしいの。
 蛇の頭潰しは確かに効果はあるんだけど、正直埒があかないのよね。いたちごっこっていうのかしら、せっかく潰してあげたのに、また他のところで集まって旗揚げするのよ。
 それならいっそのこと、一番強くて、一番民衆から信頼されて、一番争乱を鎮めてくれそうな人に味方したらいいじゃない。これってほんとうにいい考えだわ。どうして今まで気づかなかったのかしら。
 そうして、敵対勢力を片っ端から潰してあげて、その人に平和な世の中を作ってもらうの。もちろん、相応しくないと判断すれば、すぐにでも始末するわ。もっといい人を見繕って、交代してもらうのよ。
 だから、長老が考えていることは理に適っているって思った。長老が一番心配していることは道中のことなの。七龍鎮までは大人の足でも一週間はかかるみたい。中には女子ども、老人もいるから、進む速度はもっと遅くなる。
 無事に七龍鎮までたどり着けるように、護衛をして欲しい。
 それが長老の相談だったわ。

「芳蓉さま、ご無事で」
 白牛渓に帰り着くと、渓谷の入り口で長老たちが出迎えてくれた。日は暮れかかっていたけれど、幼い子どもたちの姿も見える。
「首尾は上々よ。盗賊たちは全部やっつけたわ。女の人も助けたし、山塞にも火を放ってやった。再利用は絶対に無理ね」
 子どもたちは歓声を上げると、あたしの裾をつかんではしゃぎだした。
「これ、剣仙さまにご無礼があっては」
「いいのよ。あたし、子どもは好きだもの」
 あたしは子どもたちの頭を撫でた。どの子も元気いっぱいで、ほんとうに微笑ましい。
 目を上げると、少し離れたところから眺めている、一人の女の子と目が合った。あたしが笑顔で手招きすると、その子はいそいそと近づいてきた。
 名前は蒲公英といって、十六才になったばかり。あたしより頭二つ分くらいは抜けている。あたしがしゃがむように促すと、ちょうど目線が合うくらいまで膝を折ってくれた。
 あたしは公英の髪に花を挿した。山の中で見つけた、名前もわからない黄色い花。公英は亜麻色の髪をしていたけれど、控えめな髪の色に一点の黄色が鮮やかに映えた。
「芳蓉さま、ありがとうございます。あたしなんかに、その……もったいないです」
「もう。遠慮しないでっていつも言ってるじゃない? 思った通り、あなたの髪によく似合うわ」
 公英は頬を染めてはにかむと、まるで宝物にでも触れるように、髪に挿された花を撫でつけた。
「ずるーい。公英姉ちゃんばっかり。あたしにも、あたしにも」
「次ね。また山を駆けたときに、きっと見つけてくるわ」
「ほんとう? 約束だよ、芳蓉さま」
「もちろんよ。さあ、だから食事のお手伝いをしてきてね。もう日は暮れてるし、休む仕度を早くしないと」
 子どもたちは元気よく返事をすると、立ち上る炊事の煙目指して我先にと駆けていった。
「芳蓉さま。その、あたしも……お手伝いをしてきます」
「それがいいわ。公英はお姉さんだもの、子どもたちの面倒はお願いね」
 公英は柔らかく微笑むと、小さく礼をして、子どもたちの後ろをぱたぱたと追いかけていった。
 あたしは長老たちに向き合うと、
「七龍鎮に合流すること、あたしは賛成よ」
 長老たちの顔に光が差した。
「それでは」
「ええ。護衛はあたしに任せておいて。……いつ出発するの」
「早いうちがよいかと。本日、芳蓉さまによってまた一つ山塞が陥落しましたので、きっと盗賊どもも恐れておりましょう」
「では、明日の朝早くがいいわね」
「はい。それでは、谷の者たちに出立の用意を促して参ります」
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