第2話

文字数 3,636文字

 小学校中学年になると、少しいじめの度は収まってきた。転校生や、新しいクラスメイトたちに囲まれ、束の間の穏やかな2年間を過ごしていた。調理実習や実験は、転校生を含む仲良しなメンバーと共に取り組み、交換ノートや秘密をグループ内で共有する時間を楽しんだ。

 高学年になると、再び悪夢は訪れる。1つ目の地獄は6年生の夏休みのこと。クラスで学校に泊まるという企画が決まったのだ。いじめを受けていたことのある私は、クラス行事で孤立することが多かった。仲の良い友人だと思っていた相手に秘密をばらされて絶交したことが大きなトラウマとなっていたらしい。不安な気持ちを抱えたまま、企画の内容を話し合う時間が訪れる。
 意見が続々と出され、私は比較的に信頼していた友人たちとともに、お化け屋敷の制作チームに所属した。大人しい子から活発な子まで幅広い生徒たちが集まったこの「お化け屋敷」担当チームは、和気あいあいと企画の中身を詰めていった。リーダーは私が担当し、制作班と、ルールなど詳細設定を詰める班に分かれた。心の中で渦巻く「不安」を気にしたくない私は、ひたすら作業に没頭したのである。
 作業中に、担任の先生が個人面談を行うと言い出した。突然のことだった。
「え、成績の話かな」
「お泊まり会の話じゃないの?」
メンバーたちがざわつく中、出席番号順に生徒らは呼び出され、個人のプライバシーが守られるように個室へ行ったのだ。
私は出席番号が遅い方だったため、作業時間は人の倍貰うことが出来た。欠員が出ても他のメンバーと話し合うことで意見をまとめ、より良い物へと作りあげることが出来ていた。
「戻ったよ。次薫ちゃんの番だって」
「分かった。行ってくる」
ありがとう、と礼を言って教室を出た。個別の部屋というのは教室の正面にあった図工室のことだった。
「ええと……何の面談なんですか?」
単刀直入に切り込んでみた。まどろっこしい言い回しは伝わらないと思ったからだ。先生の手元には白い紙とペンが用意されている。何をする気なのだろうか。
「とりあえず座ってくれ」
椅子に座ると、個人面談が始まった。内容はお泊まり会に向けての「不安」なことだった。先生は個人の情報として「秘密は守るよ」と言ってくれた。誰にも言いふらさないと約束するとのことだった。
「…………孤立しないかが心配です」
過去にいじめを受けていたこと、それが原因で仲が悪い人がいること、クラスメイトの中にいじめてきた人間がいることも話すことにした。
「なるほどな。でもさっきまでの話し合いを見てる限りだとそこまで酷くないように見えるが」
「あのメンバーは比較的仲良くしてくれている子が多いからです。逃走中企画グループの人達、クラス委員の人たちは大体苦手です。私のことをいじめてきた人ばかりなので」
毒舌なのは昔からで、バッサリと持論を言い切るタイプな私。先生相手でも隠すことなく思っていることをオブラート無しで話していた。包み隠さず話す私を見て、先生は苦笑いをしていたのを覚えている。口元と目元が引きつっていた。
「そうか……色々話してくれてありがとな」
戻って良いぞと言われたので、ありがとうございましたと言ってから教室へ戻ることにした。
私の後には残り3人ほどだったため、直ぐに終わったらしい。私のように問題を抱えている人はどうやら少ないようだった。
「一旦作業を中断して、席に戻ってくれ」
担任が全ての面談を終えて戻ってきた。色々な人の思いがわかったと先生が話していった。
「……このクラスの中に、お泊まり会について悩んでいる人がいる。井上と白井だ」

 あれ、おかしいな。
 先生、クラスで言わないって言ったような?
 あれは嘘だったのか?
 何で言わないって約束したこと全部バラしてるの?

いじめのこと、不安なこと、全部先生がクラスメイト全員の前で赤裸々に語ってしまった。嘘だろ。言わないって言ったじゃないか。
 目に涙が滲み出すと、とうとう顔を上げていられなくなった。泣いていることを悟られる前に隠してしまおうと机に突っ伏した。いじめてくる人間がクラスメイトの中に沢山いるのに、何故先生は全て話したのだろう。この人を信用した私が間違いだったのかもしれない、と私は思っていた。

 中休みに入ると、私は真っ先に井上(本人のプライバシーのため偽名です)の元へ向かった。
「井上さん……私と同じようなこと考えてたんだ」
話しかけるも、机に突っ伏したままだった。顔を上げた彼女の目は赤く、涙で濡れていた。
「白井さん……だよね。うん、私も似たようなこと考えてた」
先生にバラされるとは思っていなかったと彼女は憤っていた。だが、この日を境に私と井上少女は仲を深めることになった。泣きながら私たちは握手をした。これから仲良くして欲しいという意味を込めて、似た者同士仲良くやろうという意味を込めて。
後に井上とは「気の置けない友人」として長く付き合っていくこととなった。この人も私の大切な人の1人である。


 2つ目の地獄は卒業式だった。私の行動を学年全体から揶揄われた。
「白井ってさー、歩き方おかしいよね」
「あれが普通なんでしょ?」
「歩き方、気持ち悪い」
2クラスのうちの2組目だった私は、卒業式の練習で頻繁にステージへ上がった。真っ赤なカーペットの上をぎこちない歩き方で歩く。どうしても、カクカクと妙な動きになってしまう。猫背だったために、背を伸ばして歩くのはとても苦手だった。無理やり伸ばすと更にぎこちなくなるのである。
「白井、今日もステージまで流れでやってくれ」
こういう風に頼まれることが常だった。断れない。断る材料が無かった。
「…………はい」
分かりました、としか言えない。ノーと言えない卒業式練習は地獄でしか無かった。
 席から立って、決められた順路でステージへ上がる。証書を受け取ったフリをして、ステージを下りる。カーペットの上をぎこちない動きで歩いて、やっと席に着く。その瞬間だけはとてもほっとする。
『やっと終わった……良かった』
喜びなど束の間だ。授業時間の終わりを告げるチャイムが鳴ると体育館は、この場は全て地獄へと姿を変える。
「なぁ、見てて!」
白井の真似するから! そう言って1人の少年が私の目の前で歩く真似をするのだ。少年とその一味の男女らが腹を抱えて笑っている。

 なぜ笑う?
 ああ、また始まった。
 また私のことを馬鹿にし始めた。
 見飽きたよ。毎回練習ある日にやるじゃないか。

見ていて気分がいいわけがない。ぐっと唇を噛み締めながら「何も見ていない」と目を逸らした。何か一つでも反応すれば、彼らは調子に乗るからだ。余計なことになる前に、私は友人の元へ行くため席を立った。
「あれぇ? 白井さんじゃん。ちょっと見てよ」
立ったことが見つかった。すると彼らの中の1人がそう声をかけてきた。
「似てない? これ誰のマネか分かる?」
「………………」
律儀に答える馬鹿がいるか。ふん、と鼻を鳴らしてその場を離れようとした。だが彼らにとっては面白くないらしい。
「ねえ白井さん。何で無視すんのー?」
「………………」
無視を更に貫く。返せば面白がってエスカレートして終わりだ。イラッとしても、ここは無視を貫く方が安全なはずだ。
「……チッ」
予感は当たった--面白くなかったのだ。近くで舌打ちが聞こえた。
「……何だよ。あいつ本当に面白くねぇな」
「無視とか笑う。俺らが怖いから言い返せねぇんだよ」
「ああ、なるほど。ビビりとかそういう感じね」
再び彼らが笑い始めるのを背中で聞いた。友人の元へと着いた私は「先生のところに行こう」と誘った。
「誰先生のところ行くの?」
「1組担任の先生のところ」
その先生とは、私が小学校3年生の時の担任だった人である。面識があるため話しやすい。雑談がてら先生の元へ行くと、彼らは「チクられた」と認識したらしい。こちらの様子をちらりと見ると、真似を辞めた。
『よっしゃ』
こうして私は何らかの策を立て、いじめを切り抜けてきた。度を超えた「イジり」は、いじられた本人が嫌だと思えば「いじめ」になるだろう。不快だと思えば、長く続けばそれは心を殺すのだから。

 「卒業式事件」が終わると同時に、学校が終わった。中学生に上がるまでの数週間、彼らと顔を合わせずに済む。これ以上嬉しいことはなかった。
 その頃、仲良しトリオ--私と井上、千田の3人でお泊まり会を企画していた。卒業旅行を兼ねて、楽しもうというものだった。心待ちにしていた私たちは、限られた1泊2日を友人宅で楽しんだ。ゲームをしたり、ご飯を食べたり。夜には井上の両親が温泉に連れていってくれたのも覚えている。写真を撮り、お菓子を食べて盛り上がった。今でも楽しかった思い出の1つである。

 呑気に楽しんでいた私は、その2年後のことを、私の心が完全に折れてしまう事件が待ち構えていることを、この時はまだ知る由もなかった。本当の地獄とは「あのこと」を指すのだと、後に知ることになる。
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