第1話

文字数 1,884文字

私には大切な人がいる。
彼女のことを考えると、色々な思いが浮かぶ。
心が温かくなる。そして心が苦しくなる時もある。心の中にある気持ちを、何と言い表していいのかは分からない。
あの人に会えなければ、あの人に声を掛けて貰わなければ、私は学校に行くことを辞めたはずだ。

これは、私が学生時代に体験した話である。

***

 幼い頃から私はおてんばで、やんちゃ盛りの少女だった。無邪気でよく笑う。いわゆる明るく活発な女の子だった。だが持ち前の「明るさ」は年々薄れていった。どこかへ消えてしまっていったのだ。

 小学校入学から2年--私の心は冷たくなるばかりだった。原因はクラスメイトからのいじめだ。積み重なるいじめに、助けを求められない環境。家に帰っても「助けて欲しい」と親に自ら言うことは無かった。親には迷惑をかけたくなかったというのが本音だ。いい子でいるためには、そうするのが最善だと当時の私は思っていたのだと思う。

 登下校の際に利用していた坂道があるのだが、そこで事件は起きた。同じ方角に帰るメンバーは仲の良い人がいなかった。幼なじみは塾に寄ってから帰ることが多く、一緒に帰ることは滅多に無い。そのため、私は1人で帰宅することが多かったのだ。
 1人で下校していたその日、私は久しぶりにいじめに遭った。背後を歩くクラスメイトの3人は、私の苦手とする人たちだった。何か楽しげに話す声と、クスクスと笑う声。何かまた"企んでいるのだろう"と思い、距離を離して歩いていた。
「やっちゃおうよ」のような声の後、私は派手に転倒していた。さっきまでは坂より下の景色が見えていて、青空も見えていたはずだ。しかし、目に映っているのは味気もないただの灰色のコンクリートだ。
『転んだ……? のかな』
目の前に見える灰色の道と、コンクリートの独特の香り。真夏日のあの日のことを忘れはしない。

ぐい、と後ろにランドセルを引っ張られる--そしてバランスを崩したところで思い切りランドセルごと背中を押されたのだ。
「ウケる、本当に転んだよ」
「うわぁダッサ」
「ちょっと押しただけじゃん?」
けらけらと楽しそうに笑う声に、苛立ちを覚えた。同時に虚しさを覚えた。

ちょっと押しただけ?
ダサい?
私が自ら転んだ?
何を言ってるのか分からない。
お前らが私のことを思い切り押したからだろう?

ただただ、意味が分からなかった。何で私がこんな目に遭うのかが分からなかった。納得がいかなかった。
 体勢を直し、立ち上がると足に鈍い痛みが走る。視線を向けると血が滲んでいて、よく見ると手にも傷が出来ていた。派手に転ばされたんだから、痛くないわけがない。悔しさと痛さで涙が溢れた。
「もう1回やろうよ」
「いいよー。じゃあ次は私ね」
といった会話が再び聞こえ、もう一度同じことを繰り返される。引っ張られて、思い切り押されて転ぶ。そしてまた笑われる。無様すぎる。こんな姿を誰かに見られたくなかった。
 行き交う車の運転手は見て見ぬ振り。道端を歩く人間は顔を顰めて見て見ぬ振りで素通りしていった。誰も止めてくれる人はいなかった。もう嫌だと心が叫んでいる。痛いけれど、また転ばされるのは御免だ。悔しい思いをバネに、私は立ち上がって走り出した。家の方向目掛けて、無心で走った。続いて3人の少女らも追いかけてくる。追いかけて来るけれど捕まる訳にはいかなかった。
『あいつらは私をストレス発散の材料にしている』
『単なる遊び道具としか思っていない』
そう思うと尚更怒りは増した。溢れる涙は悔しさか、痛みか。それとも何も出来ない自分に腹が立っただけだったのか。それは本人ですら分からなかった。

 帰宅後、事の顛末を学校に親が電話をした。泣いて帰ってきたためにバレてしまった。親は怒りを堪えていたが、どこか悲しそうな顔をしていたのを覚えている。母も学生時代にいじめを受けたことがあると言っていたからだろう。親と同じ道を辿って欲しくないと母はよく言っていた。彼女なりの愛を感じた瞬間である。
 私の中ではばれてしまったことと、酷い目に遭ったこと、やり返せなかったこと、文句を言うことも出来なかった……など複数の思いに悩まされていた。
 翌日、学校では個別に事情聴取が行われた。余すことなく全てを話しきった私は授業に戻った。
 その後、呼び出されていた少女ら3人は、事情聴取の後に泣きながら教室に戻ってきたのである。こっぴどく怒られたのだろう。ざまあみろだ。こうして幕を閉じた「坂道事件」。これを境に私は彼女たちの恨みを買ったことをまだ知らなかった。これから起こるであろう事件の、序の口に過ぎなかった。
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