第3話

文字数 4,890文字

 中学校1年目は担任先生の人柄の良さ、面倒みの良さがあったために、穏やかに時間は流れていた。クラスメイトとも程々に楽しく、ゆっくりと付き合うことで穏便に日常は運ばれていったのだ。
 しかし--これは嵐の前の静けさとも言える、束の間の休憩時間だったことを思い知る。小学生の頃からあった「いじめ」は中学生になると更にエスカレートしていった。学年が上がるにつれ語彙の幅が広がること、知識をつけていくのは、自分だけでは無かった。同じ学年であれば同じ分だけ「知識」を身につけているからだ。いいことも、悪いことも知識として身に染みていく。それがいじめをエスカレートさせる材料にしかならなかったのだ。
 2年生のクラス発表日。名簿欄を見て愕然としていたのを覚えている。いじめっ子たちの名前の多さに血の気が引き、心友は他クラスになってしまったという結末だ。嘘だと思いたかった。名簿自体がフェイクだと言って欲しかった。卒業までの2年間はこのクラスのままである。実際何が起きるか分からないが、「いじめっ子」たちの名前がたくさんあるということは揺るぎない事実だった。決まっていることを覆すことは出来ないのだ。進級直前私は腹を括った。どうにか2年間をやり過ごしてやろうと心に決めた。

 強烈なインパクトだったクラス発表から数日。何事もなく2年生としての生活が始まった。幼馴染の女の子と同じクラスで、今年もよろしくねと言葉を交わした。幼馴染とは言えどそこまで仲が良いとは言えない関係だったため、心の拠り所とまではならなかった。
 足元が浮ついたまま、2年生として後輩に教えたり、友人たちとは仲良く過ごす日々は続いていく。昨年と違うのは井上とクラスが分かれてしまったことだった。心の状態があまり良くなかった私にとって、井上がいない学校生活は苦しかった。"息が詰まりそう"以外に言いようがない。会える時間は部活の時間と昼休みだ。それまではクラスで1人で過ごすことが圧倒的に多かった。
 環境に慣れようとする人間の順応性は凄いもので、私も井上の欠けた日常に慣れようとしていた。新しく出来た友達、絶縁状態だった友人との巡り合わせなど、数奇な縁が幾つも手繰り寄せられた。
 その数奇な縁が私にもたらした結果は「絶望」と断言しておこう。新しく出来た友達と絶望していた友人はクラスの「いじめっ子」と太いパイプを持っていたのだ。これが災いし、私は心を折った。夏休み前までは順調に積み上げられていた積み木が、音を立てて破壊されたのである。「何事もなく卒業出来たらいいな」という浅はかな考えは、酷く後悔することになった……。

 夏期休暇--通称夏休みが明けると、文化祭が近づいた。これこそが負のスパイラルの始まりだった。滅びへの近道とも言えるだろう。
 私の学校では出店等は行わず、文化に親しむ行事だったように感じる。貼り絵、切り絵、壁新聞といった部門が用意されている。各部門ごとに作品を作り上げ、文化祭当日に校内に展示するというものだ。学年やクラスの合唱もあり、練習と制作時間を均等に取るのだ。充実した準備期間になると皆は言うが、1年目から既に挫折していた私は楽しみでは無かった。苦い思い出しか残っていないのは事実である。
 2年生の時の担当部門は壁新聞だった。壁にかける新聞で、大きな新聞を作るのである。取材や情報収集など本格的な作業が待ち構えていた。誤字脱字のチェックやペン入れなどももちろんあった。丁寧でしっかりとした作品を作り上げたかったため、出来ることは協力するとメンバーには伝えた。
 学祭期間と呼ばれるいわゆる"文化祭準備期間"は、2週間ほど用意されていた。その中では授業も入っている。だがその期間は色々なことがあるため、皆がピリピリとした空気を醸し出す期間でもあった。かくいう私もピリピリとした空気を纏う人間の1人であった。文化系の部活に所属していた私は、部活での作品を描きあげなくてはいけなかった。そして放課後は塾にも通っていたために、遅くまでクラスの方に時間を割いていられなかった。些細なことが気になり、口にすれば爆発する--そんな一触即発状態のクラスだった。特に壁新聞を担当したメンバーは心に闇を抱えた人間が多く、メンバーに対しても当たりが強かった。私を含め、危うくて脆い--そんな表現が良く似合う人間が多かった。
 クラスのいじめっ子の1人から学祭期間中、授業の最中に椅子を蹴られるようになったことから事は始まる。1回目はたまたま足が当たったのかと思い、流すことにした。数分の時間を置いて2回、3回……と、どんどん回数が増えていく。その度に椅子がゴン、ドンと音を立てる。授業中の先生には音が聞こえないのか、先生は何も言わず授業を続けていた。
「ねえ。蹴るのやめてくれない?」
繰り返されていることが分かると、私は後ろに座る少女に文句を言った。何度もしつこい、やめてくれと。
「は? なんのこと?」
何もしてないけどとおどけ始めた。蹴られる振動も強く、授業に集中したいのに出来ない。耐えていると段々、怒りを覚えた。
「蹴るの本当にやめて。嫌って言ってるんだけど」
注意をしたが止まらない。先生も気付かぬふり。これは何日も続き、嫌気がさす一方だった。
 隣の席の少年は授業中に寝ていることが多かった。いつも変わらずスヤスヤと寝ている人だった。
ある時、私と背後の席の少女との攻防を聞いていたらしく、私たちの言い合いに口を挟んできた。
「白井の言ってることは間違ってる。そいつは間違ってねぇよ」
白井は間違っている--どういうことだ? 私が間違っていると?何を言ってるんだ?
少年も背後の少女も、私が悪者のように仕立て上げる。そして先生からは「静かにしろ」と揉め事を一蹴されてしまった。
ギスギスとした日常と、伝えられない本音。助けを求められない環境はここにも構築されていた。
 学祭期間をこのような状況下で過ごしていると、心身に不調が出始めた。朝まで寝られない。頭が霧がかっている。頭が重い。涙が急に出る、止まらない--負の連鎖にに巻き込まれていくのが分かった。しんどいという言葉だけでは、何か足りない気がした。嫌がらせを受け続けるも、私は断固として親に状況を知らせることは無かった。軽率に話すことも躊躇われた。大事(おおごと)にしてしまうと余計な物が増える。分かっていたから黙ることを決めた。
 私が孤独を抱えようと、闇を抱えようと、平等に朝は来る。本当に、1日という時間は皆同じなのだろうかと考えたことがある。いよいよ文化祭か迫ってくると、友人を誘っただとか、お昼ご飯が楽しみだとか、開催式のパフォーマンスが楽しみだとかで盛り上がっていた。自分は周囲の人間とは違う。そう感じたのはこれで何度目だろうか。文化祭というもの自体、全然楽しみでもなくて。この地獄から早く解放されたいと願う日々が永遠と続く気がした。

 とある日の朝。テンションが高い同級生の中、私は怒りを堪えていた。相変わらず続いている「椅子蹴り」に対してだ。前夜にはひいばあちやんの容態が悪くなったという連絡を聞いており、心がいつもより揺らいでいた。元々揺らいではいたが、この日ほど全てが不安になる日は無かった。文化祭までのカウントダウンが進む中であろうと、執拗な嫌がらせは消えない。この日も同様に椅子蹴りが行われる。積もりに積もった怒りはとうとう爆発してしまうこととなる。
「いい加減にしろ!」
授業が終わって間もなくのことだった。怒鳴り声が室内によく響いたのは忘れない。周囲が驚きの反応を示すも、周りがざわつき始めるのも、奇異の目に晒されるもどうでもよかった。全てがどうでも良くなった瞬間だった。自分が何を思われようとどうでも良くて、全て無に帰せば良いと思ったのだ。

 苦しい。
 つらい。
 凄く不愉快だ。
 嫌だ。
 いい加減にしてくれ。

我慢をし過ぎたのだろう。抑えが効かなかった。誰にも言えず溜め込むのは良くないと誰かが言っていた。こまめに発散するといいと誰かが言っていた。本当にそうだと思う。こうなる前に何か策を講じるべきだったのだろう……。
「やめろって何回も言った! 何でやめないんだよ!」
いつもの口調と冷静さはどこかへ消えた。理性が壊れたのか、ブレーキよりも不快という感覚の「圧力」が強かったのだろう。そして、この後の返答が更に怒りを強める起爆剤になったのである。
「何言ってんの。私何もしてないって。喧嘩売ってるの?」
「横から蹴られるわけないし、斜めだって無理だ。後ろ以外に蹴られる訳がないだろ!」
「だった何? 文句でもあるわけ? ふざけんなよ」
自分がやったと彼女は認める気がないらしい。つくづく不快だった。周囲に座る人間は笑っている者、知らない顔してそっぽを向き始めた者、彼女に同調を始めるの者など様々だった。スクールカーストの現実は残酷なものだった。上位の者は下位の者をいじめても文句は言われない。誰も言えないから「いじめ」が起きるのだと思う。こうやって反抗できるのなら、どれほど良かったことだろう。皆が"平等"に暮らせるわけが無い。学校とは個性のたまり場なのだから。色々な人間がいて当然だ。孤立するのは個性的、変わっていると揶揄される人たちであろう。私も「変わっている」「変な子」と呼ばれる人間の1人だったのだ。
「…………っ、やめろって言ってんだろ!!」
叫び倒した時、頬に涙が伝っていた。気がついたのはその数秒後だった。泣いている。もう本当に散々だ。最悪だ。スクールカースト上位の人間の前で、痴態を晒してしまった。弱みを握っている相手の前で泣いてしまった。嗚咽を殺すように、唇を噛んで耐えた。だが何も意味は無かった。
 直後、運悪く移動教室が待っていたことを思い出す。泣いたまま移動すれば目立つ。他クラス、他学年とすれ違うことも考えられる。恥ずかしい。どうしよう--考えても対策は取れない。助かるすべはないのだ。けれど、諦めることだけは簡単だった。折れた心で「諦める」ことはとても簡単なことだった。
 私も時間だと移動を始めたクラスメイトの波に乗った。出来るだけ目立たぬよう下を向いて歩くことにした。だが、すすり泣く声で泣いていることはバレてしまう。ちらちらと振り返る人たちが「どうしたのかなあの人」などと零していた。行き交う人の中に、私を救ってくれた人はいた。
「白井か、どうした?」
すぐ近くで声がした。名前を呼ばれた私は顔を上げ、涙を拭った。
「……何があったの。無理にとは言わない。話せるなら私に教えて」
その人は井上のクラスを担当している先生だった。明るい茶髪が目立つ女性の先生だった。私のクラスでは国語の担当しているのだ。初めて彼女を見た時の印象は「ちょっと怖い先生」だった。しかし、この日彼女に対する印象が変わった。
「………………先生……ッ」
泣きながら、途切れ途切れに言葉を紡いでいった。あったことを全て話すことにしたのだ。彼女になら安心して心の内を話すことが出来た。
 うんうんと聞いてくれた彼女は「よく耐えたね」とひと言。
「色々なことがあっただろうし、辛かったでしょ。おばあちゃんのこともあって不安で、怖かったんだろうね」
彼女は私に「あなたの頑張りは知ってる」と言ってくれた。よく頑張ったと褒めてくれた。いつぶりだろうか。こうやって声をかけてくれる人に出会ったのは。「はい」と返事をしたが声が掠れていた。ありがとうございます、と返事をした声は届いただろうか。今でもそればかり気にしてしまう。
「おばあちゃんのことを含め、この文化祭は頑張らないと。白井なら出来るから。また何かあったらは私の所へおいで」
応援のエールと、いつでも行っていいという安心感。思いがけず手に入れたものは、私のことを救ってくれた。傷だらけで、ボロボロになってしまった心を助けてくれた。そんな彼女が私の「大切な人」だ。初めて出会った尊敬出来る人だ。私はその日から、彼女のことを心の中でと「師匠」と呼ぶことに決めた。
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