本編

文字数 4,246文字

【電車】
カタン、カタンと線路の凹凸に上下しながら列車は動く。使い古された座席は色褪せており、窓から覗く景色の青さとコントラストを作っている。床の表面には薄く亀裂のようなものが入っているものの、天井は塗装され直したばかりか嫌味なほど綺麗だ。固く閉ざされた扉は、列車が走っている限り開くことはないだろう。
ガラスに薄く映る己は、それに添える指先は、幼少期の自分そのものだ。ただ、ひとつだけ違うならば、胸に空いた穴だろう。

《自分》
何度見ても幼い自分の姿そのものだ。空いている穴だけが、その異様さを主張している。

・穴(もしくは目星)
胸の中心、心臓に当たる部分に穴が空いている。向こう側へ貫通するようにして空いている。見た通りの穴ならばいくつもの臓物を穿いているはずだが、痛みはない。

《座席》
何年も何年も誰かに座られ続けたのだろう、クッションは固くなっている。
いつもなら隣には同じ顔をした片割れが座っていたはずだが、そこには今は誰もいない。代わりのように、小さなカードが置いてある。

・カード
少し固い材質の、真っ白なカード。
目星成功:中央に『思い出すんだよ』と文字がある。少し太めのペンで書かれたのだろうか、綺麗な字だ。

《窓》
金属製の窓枠に少し黄ばんだガラスがはめ込まれている。列車が揺れるたび、ガタガタと揺れる。

・景色(もしくは目星)
青い山々がずっと遠くに立ち並び、手前には田園と、ぽつぽつと散らばった民家が見える。

《扉》
ガラスの部分にテープで紙が貼られている。
『人が最初に忘れるもの。或いはナイフの鞘だ。こいつがあれば心臓にピッタリあてても大丈夫。
ちなみにアタシはむき出しの刃物は無骨で嫌い。折角なら可愛く飾り立てておきたいね』
目星成功:細いペンで書かれた、女性らしい字だ。伸びやかに描かれた線に、芯の強さが窺える。

「正解」
どこかから、声がした。ああ、その声をあなたは覚えている。思い出したのだ。鈴の転がるような可愛らしい声と、被ったヴェールを取り去った少し低いあの声。どちらも、あなたにとって大切な思い出だ。
列車の扉が開く。あなたは導かれるように、今までの軌跡をなぞるように足を踏み出した。

【海】
寄せては返す波がゆっくりと裸足を撫ぜる。少しひんやりとした感覚が伝うたび、柔らかな浜辺の砂の温かさを攫っていく。水際は白く泡立ち、浜にはヒトデや貝がらなどが埋まっているのが見える。空は作り物のような青さだ。
いつもなら、いつもの夢ならば隣には同じ顔の彼がいたはずだ。今はその立ち位置に、黒い影のようなものがいる。

《自分》
先程までよりも少し背が伸びている。少年と言える姿だ。依然として胸に空いた穴は変わらない。

・穴(もしくは目星)
前よりもひと回りほど、少し小さくなっているように感じる。

《影》
輪郭のぼやけた真っ黒な影。表情も分からなければ、視線がどこを向いているのかも分からない。
目星成功:身長は今の自分よりもずっと高いが、線が細い。女性だろうか。

《浜辺》《水際》
波の花に紛れて、ひとつ、ガラスのボトルのようなものが流れ着いているのが見える。

見る:メッセージボトルのようで、中には紙が入っているらしい。
『世界で一番高価なレンズ。心情次第で見えるものが変わる粗悪品。けれど反対側から覗くってんなら別の話。内側が透けて見えちまうほど純な硝子だよ』
目星成功:列車のドアに貼られていた紙にあった文字とよく似ている。

《波》
こちらへ、向こうへ、穏やかに揺れている。頬に当たる潮も脛にかかる水滴も、確かに液体であるのに、変わらない海であるのに、あなたはこれが道であることを知っている。ずっと奥へ、歩いていけることを知っている。

正解前:一歩、波の上に足を乗せると、剣で貫かれたような痛みが走った。何度も繰り返す中で慣れた痛みかもしれないが、あなたはまだ、この先には進めない。

正解後:一歩、波の上に足を乗せると、記憶にある痛みが身体に伝わることはなく、あなたは海面に立つことができる。

「正解」
黒い影はそう言った。青色の美しい瞳でこちらを見ていた。ああ、その眼をあなたは覚えている。思い出したのだ。朝の空をそのまま映したような、光を湛えた眼。あなたはきっと、その瞳に焦がれていた。

視覚、聴覚、確かに海の中にいる。あなたは立っている。いつの間にか砂浜は遠く、眼界にはない。四方が全て青い波だ。
傍らには影がいる。おぼろげに少し輪郭を取り戻したその黒い顔の中で、青い瞳が空を映して宝石のように輝いている。

あなたは進む。波の上を進んでいく。
ふと、大きな穴が見えた。あなたの胸にあるものよりも大きな穴。波がそこから下へ下へと流れ込むように、ぽっかりと空いている。
あなたは導かれるように、今までの軌跡をなぞるように足を踏み出した。

【部屋】
数秒、倒錯するような落下の感覚がした。眩んだ視界が戻るとそこは見慣れた部屋だった。白い壁、白い天井、そこにたったひとつ置かれた粗末な机。その他には何もない、小さな部屋。ただそのためだけの部屋。
影はあなたについてきている。

《自分》
今は青年と呼べる背格好だろう。始めと比べると、てのひらも随分大きくなった。胸の穴だけが変わらず、そこにいる。

・穴(もしくは目星)
ひと回り、ふた回りほども小さくなっている。拳も入らないほどだ。

《机》
学習机のようなシンプルなデザイン。縦書きのノートが開かれたまま置かれている。

・ノート
罫線を貫くようにして、横書きに文字がある。
『所詮はタンパク質の束。でも女にとっては違うよ。命だなんて喩えられるくらいだから、繊細で絡まりやすいわけ。そう簡単には触らせてあげない』
目星成功:列車のドア、ボトルメッセージ、それらの文字とよく似ている。ノートのそばにはボールペンがあり、それで書かれたことがわかる。

「正解」
ふわりと、目の前を髪が流れる。溢れんばかりの黄金の髪があなたの鼻先を掠めた。身体の前へとかかったそれを、白い指先が己の耳にかける。伏せられた睫毛がゆっくりと上がる。
ああ、その姿をあなたは覚えている。思い出したのだ。人生で一番に焦がれた人。恋をした人。心を奪った人。昼夜、夢現曖昧な世界で、閉じた瞼の向こうで何度も描いた人。
あなたは名前を呼ぶだろう。

「やっと思い出した?」
「忘れるなんて薄情だね」
「どれだけ時間かけてるんだか」
「だけどね、アタシは影。アンタの思い出で、ただの記憶。形のない亡霊。触れたいんなら、扉を開けな」
ふわり、彼女はお辞儀をするように、優雅にスカートを翻す。思わず見惚れたのも束の間、その姿はまるで霧のように掻き消えた。

その跡に、扉があった。木製の、簡素な白い扉。あなたはいつも、この向こうへ恐怖を抱いていた。何があるのかわかっていても恐れていた。
今はどうだろう?

【  】
ひんやりとした風が頬を撫ぜる。そんな表現では生ぬるいような、氷点下の空気が肌を刺している。
ここは冷凍庫だ。
蘇る。鮮明に返ってくる。そうだ、ここはあの時の場所だ。喪ったあの場所だ。だとすれば、だとするならば、あるはずだ、いるはずだ。
彼女が。

部屋の中央に、大きな箱が置いてある。人ひとり丸々中に入れてしまうような、真っ白な箱。

《箱》
蓋のない棺だ。隙間なく白い花が詰められており、その中には、眠る誰かがいる。薄いレースのヴェールの向こうで、穏やかに目を閉じている。

・誰か
流れる金の髪も、透き通る白い肌も変わらない。ただ、固く瞳を閉じているだけで。柔らかく唇を結んだまま軽く手を組み、横たわっている。
しんしんと、空気の冷たさはあなたに纏う。目の前に眠る彼女はスノーホワイトの名に相応しく、瞼は薄く凍りつき、睫毛には霜が重なっている。

壁際には無骨な鉄製のラックがひとつ置いてある。コンテナのような灰色のこの部屋は、酷く簡易で素っ気ない。ラック横には足の低いテーブルが寄せられるようにしてある。

《自分》
記憶に新しい、あの場所での姿だ。胸に空いていた穴は今は影も形もない。

《ラック》
骨組みだけの簡素なものだが、びっしりと霜が張っている。一番上の部分に、毒々しい色の林檎が置かれている。

・林檎
紫がかった赤色で、冷え切った部屋でもきらきらと光を跳ね返している。
目星成功:ガラスで出来ているようだ。

けたたましい音がして、ガラスの林檎が割れた。閉鎖した部屋の中で、耳鳴りのような反響を伴う。
中は空洞になっていたようで、ガラスの破片の中に何かが落ちている。

・何か
透明な指輪がふたつ落ちていた。サイズは違うようだ。

《テーブル》
正方形のメモ用紙が一枚、天使のガラス細工を文鎮に置いてある。

・メモ
『左手の薬指は心に繋がっている。それを同じ指輪で覆うことは繋がりを語る。愛の表れであり、縁の証だ』と書かれている。
裏:『次も見つけられるように』とある。
目星成功:タイプライターで書かれたような文字だ。手書きではないだろう。

触れた。ひんやりとした感覚が唇に伝う。
瞬間、辺りを漂っていた冷たさが、フッと消えた。春の温もりに触れたような暖かさがあなたを包む。
それと同時に、彼女を覆うように降りていた氷が溶けた。
固く閉じられていた瞼が上がり、美しい海色の瞳があなたを捉えた。

まるでそこに居るのが当然であるかのように、指輪はスッとあなたと彼女の指に嵌まる。銀製で装飾のないシンプルな指輪は、低い室温のせいか少し冷たい。

ふわりと、どこからか風が吹いた。見れば、今の今までなかった、トンネルのようなものが壁に空いている。
奥は深く、ずっと遠くまで続いているのだろう、先に光は一筋も見えない。
それでも、あなたたちは進まなければならない。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。踏み出さなくてはいけない。

あなたたちは進む。時々言葉を交わしながら。
先にあるものは分からない。ここを抜けた先に何が待つのかも分からない。
けれど、独りではない。あなたは孤独ではない。それは望んだことか、あるいは人生においては冗長であるかもしれないが、しかし、旅の道連れは多分、その寂寥感を紛らわせることだろう。

互いの輪郭が曖昧になる。そんな闇の道中。
そんな、果ての見えない真っ暗な道でも、あなたたちは、時には憎まれ口も叩きながら、月明かりの下で踊るようにでも進んでいくのだろう。
きっと、その向こうには光が待っている。

上辺をなぞるだけの薄っぺらな人生に辟易したあなたが、
省みずに突き進んだ人生の先に終わりを望んだあなたが、

明星に手を伸ばすように乞い焦がれ続けた、光が。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み