第5話

文字数 2,265文字

 「雪ちゃん!ちょっと待って!お願い。」
「なに?」

車の前で雅は泣きそうな顔をして待っていた。
雪菜も実際に雅を目の前にすると泣きそうになった。
こんな男、もう無視しなきゃという気持ちは確かにあったが、いざ本人を目の前にするとどうしても縋りたくなる。
しかし、それは雪菜のプライドが許さない。アンビバレントな気持ちに苦しみながら、必死に平静を装った。
泣いて弱みを見せたら終わりだと雪菜は自分に言い聞かせた。

「俺たち、終わりなの?もう絶対にあんなことはしない。本当に本当に雪ちゃんが好きで、でもあの時は本当にごめん。でもまだ諦められなくてどうしても雪ちゃんじゃなきゃダメなんだよ。」
クズ男がよく言うセリフという記事に載っている"もうしない宣言"をまさかこの雅から聞くとは思ってもいなかったなと雪菜は感じた。
それからも雅は必死に雪菜への愛を語っていた。

なんか、ダサいなこの男。

雪菜はふとそんなことを思った。

私雅のどこが好きなんだっけ。

雅が必死に雪菜に贖罪をすればするほど雅の気持ちは氷点下ほどまで急降下していく。身体までもが冷たくなるのが雪菜には分かった。
そこまでくると雪菜には勝者の余裕みたいなものが湧いてくる。
雪菜はだんだん雅が憐れに見えてきた。
「ねえ、みや。私マリア様じゃないし、ここはあんたの懺悔台じゃないから私はみやを救えない。私の気持ちは変わらない。」
「なんで。」
雅はとうとう俯いて何も言わなくなった。
別に雪菜はサディスティックな気質があるわけではないが、何もかもこの平凡な男の本音を知りたいと思ったので、辛い質問をした。

「なんで、歳下の佐伯ひなとできちゃったの?」

「なんで佐伯さんのこと知ってるの?」
怯えたような目で雅が答えた。

「知ってるよ。私は。それはどうでもいいからさ、この際包み隠さず教えて。」
「何でそんなこと聞くの?」
「みやには答える義務があると思うけど?」
「それは、、、。」
「もう怒らないし、何も思わないよ。だから本当のことを知りたいの。」
雪菜は至って穏やかに、優しく、雅に「ね?教えて?」と問いかけた。

「佐伯さんはずっと俺のことが好きで、二番目でもいいって。雪ちゃんの存在は知ってたみたい。それにすごく酔っ払ってて、正直あんま記憶ない。本当にそれだけ。」
「そう。で、みやは何でそんなことしたの?」
「それは、それは!雪ちゃんは俺のこと絶対裏切らないだろうって思ってただろ。雪ちゃんには余裕があったんだよ!嫌でもわかったんだよ。好きなのはいつも俺の方だっただろ。俺は女の子とは全然飲み行かないけど、雪ちゃんは地元帰れば男と飲み行くだろ?そういうのが理不尽でしんどかった。俺は好きなのに雪ちゃんは遠くにいるみたいだった。雪ちゃんには、分かんないだろうね。雪ちゃんといる時はいつも頑張んなきゃって思ってた。慰めてくれる存在が欲しかった。」
雅は糸が切れたように声を荒げて訴えた。
「あんま大きい声出さないで。そもそも女と遊ぶななんて私は言ったことないのに。分かった。私がプレッシャーになってたのね。それで私といると疲れてたわけね。みやの本音が聞けてよかったよ。バイバイ。」
雪菜は踵を返すとアパートに入り、すぐに鍵をかけた。10分後、エンジンの音が遠ざかるのが聞こえた。もう二度と聞くことなのないあのエンジン音を聞きながら、雪菜の目はまたも赤くなっていた。

ダメだ。歳とると涙脆くなる。
余裕ぶっかまして本音なんて聞くんじゃなかった。でも馬鹿なのはみやの方だ。
勝手に私に期待して自分の首絞めてただけだもの。私は悪くない!悪くない。悪くない?
でもみやは裏切らないって思ってたのは本当だ。
それは信頼ではなく、傲慢さが態度に出ていたということだ。
信頼していたからこそ傲慢になったのだろうか。
雅は私を裏切らないと信じていた。信じていたのだ。信頼していた。


いや、違う。私のこれは信頼じゃなかった。私は完全に雅のことを見下していた。
それが雅に伝わってしまったのだ。
どんなに隠していても疾しいことは自然と会話や態度の片鱗として、他人に見られてしまうのだと雪菜はようやく理解した。

雪菜は溜息をついた。ここ数日で10年分の溜息をついた。もう息が出なくなりそうだ。

そしてふと、佐伯ひなのInstagramを覗く。
相変わらず#今日のコーデ
の投稿をしており、コメント欄ではファンが沸いていた。
この女がどんな風に雅に縋ったのか安易に想像がついてしまう。きっと雪菜のことは"彼女さん"と呼んでいたに違いない。
「うまくいってないんですかぁ?何でも相談してください。」「私ならそんなことしないのに。」
とかなんとか言ったんだろうな。
で、モテたことのない馬鹿なみやはまんまと乗せられたわけだ。あーあ。本当に情けない。こんな女に私はしてやられたのか?信じられない。

佐伯ひなのInstagramを見れば見るほど憎悪の念が膨らみ、思わずiPhoneの画面をパンチで割りそうになる。
浮気されたという絶望は今や、怒りに変化しつつある。
雪菜のプライドはもう木っ端微塵である。
雅が一瞬でも自分よりこの女を選んだことに何より腹がたった。

この後みやはどうすんのかな。あのバカ女と付き合うのかな。まあ、バカ同士お似合いじゃない?

呟きながら雪菜は帰りに買ってきたほろよいの期間限定サクラ味を嗜んだ。

桜の味ってよく分かんない。いつもなら甘いほろよいがもう甘いとも思えない。この東京という大都市でゴールデンタイムのお笑い番組を見ながら泣いているのはおそらく雪菜だけだろう。

あれから一年が経過した。
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