文字数 4,849文字

 ここぞというときに邪魔が入り、誠一郎は落胆を覚えた。保護者に同席されては、聞き出せる情報も聞き出せない。ましてや、この少年のふざけた根性をたたき直すなど不可能だ。
 今日はここまでかと、半ば諦めの気持ちで、ドアを見やった。
 不審な弟の姉だから、当然と言えば当然なのかもしれないが、部屋へ入ってきた女性の挙動も不審だった。
 前屈みに腰を落とし、帽子を目深に被り、両手で抱えたバッグに顔を埋めるようにして歩いてくる。
 そのまま、低い姿勢で霜之辺の側へ駆け寄ると、耳元で不穏なことを囁いた。
「なに捕まってんですか。不審者の自覚を持って、警官が見えたら逃げて下さいよ」
 その声と、独特の雰囲気には見覚えがあった。
「キミは、探偵の……」
 柴田老人を取り巻く一件で、こちらの都合に巻き込んでしまった、若い探偵だ。たしか、下の名前は寧々子だった。猫のようなその名前はすぐに覚えてしまった。名字は失念したが、『霜之辺』とは違ったはずだが。
 誠一郎に気づいた寧々子は、驚いて目を丸くすると、助けを求めるように霜之辺を見た。
 霜之辺の口元には笑みが浮かんでいた。この状況でなぜ笑う必要があるのか。誠一郎にはわからなかった。
「ぼくと探偵さんは、二人で広山先生のことを調べていたんだ。ぼくが言うのもなんだけど、あの人は怪しいんだ。絶対になにかを企んでいるんだよ」
「キミたちは……姉弟ではないのか?」
 誠一郎は尋ねたのだが、二人のどちらもその質問には答えてくれなかった。そんな愚問には構っていられない。言わんばかりの態度で、霜之辺が寧々子を促した。
「さあ。刑事さんに調査の結果を見せてあげてよ。一週間も張り込んでたんだから、一枚くらいは不審なものを撮影できたよね? ここはすごく大事なポイントだよ。ここをはずすと、ぼくが留置場に入れられちゃうかもしれないんだから」
 霜之辺から向けられる期待の眼差しを、寧々子は迷惑そうな顔で受け止めた。
「いやー。そんなことを言われても。私が出せるのはこれくらいですけど。どうでしょうかね。求められている不審さとは違うかも――」
 寧々子が机の上に差し出した写真には、野球帽をかぶったスーツ姿の男が写っていた。帽子の角度が深く、顔は見えない。背景の路地も、誠一郎には見覚えのない場所だった。
「なんだこれは? 誰の写真だ?」
「いや、誰かはわかりませんけど、ほら、顔も撮れたんで、警察のほうで調べてもらえればわかるかも――」
 そう言って、二枚目の写真を机に置く。
 その写真が目に入った瞬間、誠一郎は両手で机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「これをいつ、どこで撮影した!」我を忘れて叫んでいた。
「どこって、あの、広山先生が隠れ家にしてるアパートです。先週の水曜日に――」
 水曜日だと? 四日前まではこの街にいたのか。
「このあと、男はどこへ向かった?」
 誠一郎はさらに迫る。寧々子はひたすら狼狽えるばかりだ。
「いや、どこへ行ったかはわかりません。あとを追おうかとも考えたんですけど――」
「なぜ追わなかった!」
「いやいや……徳島さんのせいだと思うんですけど……」
 寧々子が責めるような目を向けてくる。誠一郎にはまったく身に覚えがなかった。
「なぜだ? 俺がなにをしたと言うんだ」
「記憶力がないんですか!」
「まあまあ、落ち着こうよ二人とも――」
 のんびりとした声が、やり合う二人を仲裁する。
 霜之辺は、不敵な笑いを口元に滲ませていた。
「こんなに素晴らしいことは、滅多にないんだからさ。お祝いしようよ」
「ふざけるな!」
「だってさ、考えてもみてよ。これでぼくたちは利害が一致したんだ。ぼくは猫のために。刑事さんはその不審者のために。そして探偵さんは、お金のために――」
「やめてくださいよ。私だけゲス野郎みたいじゃないですか」
 噛みつく寧々子を無視して、霜之辺は先を続けた。
「同じ目的に向かって、協力できるんだよ。この事件の真相を解き明かすっていう、共通の目的のためにね」
 誠一郎は机に身を乗り出し、相手を睨み付ける。
「危険ドラッグの件にも駒さんが関わっている。お前はそう言いたいわけか」
「駒さん!? この人が、あの、駒さんなんですか?」
 驚く寧々子に肯首を返すと、誠一郎は唇を真一文字に結び、机の写真を手に取った。もしもこれから、さらなる罪を重ねようとしているのなら、見過ごすことはできない。いや、今度こそ逃がさない。必ずこの手で止める。固くそう決意した。
「それも含めてさ、協力して捜査をしようよ。そのほうが絶対にいいって。刑事さんには、どうしても調べて欲しいことがあるんだ。さっきも話したよね? カップラーメンを食べる座敷童子について。妖怪話なんかじゃないよ。現実に、そんな事件があったんだ。たぶん、二十年くらいかな? それくらい前に起きた、殺人事件なんだけど――」
「殺人だと?」不穏な響きが、さらなる緊張を誠一郎の体に走らせた。
「被害者はね、小学生の女の子だったんだ。犯人はその子の父親だよ。父親は母親と共謀して、一年も我が子の死を隠蔽してた。父親が自分から交番へ駆け込んで、事件が明るみになったはずなんだけど。面白いことにね、父親はそのとき、作りかけのカップラーメンを娘の部屋に残してたんだ。ここまで材料が揃えば、あとはそっちで調べられるよね? ぼくたちは、広山先生の隠れ家を洗ってみるから」
「その事件を追えば、駒さんに近づけるんだな?」
 背一郎は言質をとろうと詰め寄った。だが霜之辺は、その責任をするりと交わすように目を逸らして、猫の頭を撫ではじめた。
「さあね。他に謎を解く手がかりがあるって言うなら、無理強いはしないよ。ぼくは別に、どっちでもいいんだけど、ね」 寧々子は、西警察から学生街のほうへ向かうバスに揺られていた。
 最後尾のロングシートに並んで座り、運転士や前の乗客を気にしつつ、霜之辺のする話に耳を傾けた。広山秋菜から聞かされたという、陰惨な事件の話だ。
 酒に酔った父が子供を殺し、その復讐のために母が娘の死を隠蔽する――聞いたこともないくらい悲しくて、後味の悪い事件だった。
「広山先生に、そんな過去があったなんて――」
 話が終わって、嘆息混じりに感想を漏らすと、霜之辺は窓の外を向いてしまった。隣の車線を併走する車を、目で追うように見下ろしている。
「でもそれって、本当に実話なんですかね。広山先生の作り話って可能性もあるじゃないですか」
 そうであって欲しいと、寧々子は思った。学生時代に書いた小説のあらすじとか、そういう微笑ましいオチが待ち受けていて欲しかった。そうでも思わないと、やりきれない気分だったのだ。
「かもね。作り話の可能性はあるよ。ぼくは違うと思うけど。あのときの先生の消耗ぶりを見てたらわかるよ。そこまで先生を追いつめたのは、ぼくなんだけどさ」
 得意げな口調とは裏腹に、どこか寂しそうに潤んだ目が窓に映っていた。
「でも、初対面の霜之辺さんに、そんな話をしますかね」
「さあね。ぼくなら大丈夫だって思ったんじゃないかな。子供だし、変人だし。仮にぼくが言い触らしたとしても、きっと誰も信じない。オオカミ少年ならぬ猫男だからね、ぼくは――」
 今度は逆に、寂しげな口ぶりをしながら、自慢気な顔をこちらに向けてくる。いったいどれが本心なんだと、寧々子の頭は混乱してしまう。
「誰にも言えなかった秘密を打ち明けるには、絶好の相手だと思ったんじゃないかな? ほら、好きな男の子の名前を、小さな姪っ子にだけはこっそり教えてニヤニヤしたり。探偵さんだって、そういう経験あるんじゃない?」
「ないです」本気でなかった。一度もない。
「そっか。まあ、ぼくもないんだけどね。でも、他の人はあるんだよ、きっと。とにかく、先生の正体はあの話に出てきたA子だ。ぼくはそう思う。姉のB子が父親に殺されて、一人生き残った娘が先生なんだ。その先生が、二十年も経った今、この街でなにかを起こそうとしている。その前に、今まで抱えてきた秘密を打ち明けたかったんだ。ぼくはそう思うよ」
「広山先生は、なにをしようとしてるんですかね」
 霜之辺のリュックが、足下でもぞもぞと動いた。閉じ込められた黒猫が、外に出たいと暴れているのかもしれない。
「だからさ、それを調べに行くんだよ。ぼくらの目的は、これから起ころうとしているなにかを未然に防ぐことだ。この先もずっと、先生が猫のために働けるように」
 そう言って腰を屈めると、リュックの腹をポンポンと手で叩いた。

 二人は、『コーポ棚内』へと到着した。
 日に焼けた白壁が囲む、見慣れたアパートが目の前にある。今日はこそこそ隠れずに、堂々と見上げることができた。なんだか変な気分だった。長時間の張り込みを続けたストレスのせいか、建物の前に立つだけで、肺の辺りにずっしり重いものを感じてしまう。
「ここです。二階の、四号室です」
「いつも先生は、何時頃にここへ来てたの?」
「だいたい、お昼過ぎから夕方くらいまでですかね」
 言いながら寧々子がスマホで時間を確認すると、時刻は一時二十分。ちょうど、どんぴしゃなタイミングだった。部屋の中では、秋菜がまた宅配便を待っているかもしれない。
「どうしましょう。あの角に隠れて、部屋の様子を窺いますか? あっちの、非常階段から狙うっていう手もありますけど」
 寧々子が尋ねると、霜之辺は大袈裟なくらいに深い溜め息を吐いた。
「そうだね。ぼくもできれば、そういう穏便な方法をとりたいけど――」
「うなあああああうおう!」
 霜之辺のセリフを遮るように、背中のリュックからくぐもった猫の鳴き声が響いた。
「だってさ」
「は?」
 もう一度尋ねる間もなく、霜之辺はずんずん前に進み出し、アパートの階段を昇りだした。なにやってんだと思いつつも、寧々子もそれを追いかけた。
 霜之辺は204号室の前に立つと、郵便受けから中の様子を覗き、追いついて来た寧々子に告げた。
「よかった。今日は留守みたいだよ」
「よかったじゃないですよ! 留守じゃなかったらどうするつもりなんですか!」
 迂闊な行動が秋菜にバレたら、辛い尾行も張り込みも、すべて無駄になってしまうのだ。霜之辺がどうなろうと知ったこっちゃないけど、自分の仕事が無意味に帰すのは見てられなかった。
 霜之辺はポケットから妙な道具を取りだした。先の曲がったドライバーのような、ピンセットのような、細長い金属製のツールだ。実験器具のように無機質な形だけど、この状況だとなぜか禍々しい道具に思えてくる、
「ちょ、ちょっと! なんですか! それ、私、見ましたよ? テレビで中国人の窃盗団が持ってたヤツですよ?」
「よかった。ぼくの技術じゃ、一昔前の錠前しか破れないんだけど。これくらいならなんとかなりそうだよ」
「だから、よかったじゃないですよ! 犯罪ですよ! 問答無用の重罪ですよ!」
「しょうがないよ。猫がやれって言うんだから」
 中腰になり、鍵穴にツールを差し入れると、片目を閉じてカチャカチャと動かしはじめた。
「なに言ってんですか! 猫が死ねって言ったら死ぬんですか!」
「ぼくにとってはね、警察なんかよりも、猫のほうがよっぽど怖いんだよ……っと。よし。開いた」
 ノブを回し手前に引くと、小気味のいい音と共にドアが開いた。
 霜之辺は背負っていたリュックを通路の脇に置くと、開いた隙間から平然と中を覗き込んだ。寧々子は蝶番の手前に立っていたので、部屋の様子は見えなかった。
「探偵さんは、どうする? できれば、外で見張り役をお願いしたいんだけど」
「はい……わかりました、見張ってます……」
 呆然と立ちすくむ寧々子を残して、霜之辺は秋菜の隠れ家に消えてしまった。
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