日本語版読者への序文

文字数 1,730文字

 OBNEWの流行は、コンピューターウイルスによって多くの人命が脅かされたはじめてのパンデミックだ。最初に患者が確認された日本の損失は甚大で、けれど歩を止めはしなかった。
 この病気は、シンフォニーシーズを捨てれば、一応の解決をみる。
 だが、世界の総人口が百億人を突破し、テクノロジーの助けを借りなければ、平和が維持できない現状に変わりはない。近視眼的利益の追求は破綻を引き起こす。その余波は全世界に及び、消えない傷を残してきた。「もはや猿でいることは許されない」と過激に言い表されるほど、差し迫っていたのだ。 
 日本は生まれて間もない技術であるシンフォニーシーズを手放さなかった。インプラント型通信機器の研究に総力を上げて取り組み、ユビキタス社会を牽引する国となることで、疫病への備えとした。
 その理由は、三井飛色(ひいろ)氏の「18℃の雪原 医師がみたOBNEW」を読んでいただければわかるだろう。本書はその副読本といえる。
 彼らの言葉を、原文でお届けできることを大変喜ばしく思う。 

 ジェームズ・リー

 はじめに

 エネルギー問題にかたをつけてから、人類は安定した平和を享受できるようになった。シンフォニーシーズを体内に取り込んでからというもの、生活の質は向上し続けている。
 しかしそれは、多くの困難を克服してきた結果なのだ。
 今回取り上げるのは、シンフォニーシーズの黎明期をおそったウイルス症だ。OBNEW(オブヌ)ウイルスによる感染症は、罹患すると他人を強く求めるようになるという大きな特徴がある。発症してしばらくは対話能力を向上させるが、その力は徐々に脳を蝕んでいく。脳を完全に破壊するまでの間に、新たな宿主を求め、あらゆるネットワークに入り込もうとする。潜伏期間は一年から八年と幅があり、当時最新であったcpse暗号に守られているために追跡不可能だ。ゆえに感染経路がはっきりしない現代病として猛威を振るった。
 現在はさまざまなレベルにシンフォニーシーズを調節することができる。しかし当初は自由を侵害する恐れから、制限には慎重であった。他人の制御を受けないための仕組みのみが実装されていたのである。
 OBNEWウイルスが確認された令和二年にはIoTが日常のすべてにいきわたっていた。このため隔離が必要であり、患者とは電子ネットワークを介さな対応が必要である。感染初期ならば、イントラネットを利用して、快適な生活を維持できるが、最終的には通信機能があるものはすべて、OBNEWウイルスによって破壊されてしまう。自動であたりまえの家具も、ボタンを押したり、レバーを押し引きして、手動で操作しなければならなくなるのだ。
 地球の反対側に住む人々とも気軽に友好関係を結べる状況は、瞬く間にパンデミックを引き起こした。治療法がなく、防ぐことの難しい病の出現に、人々はパニックとなる。消滅したコミュニティは数知れない。患者はもちろん、治療にあたる医師もまた、恐怖の対象となった。各国はすぐに専用病院をつくり、となりに専門医の住まいを併設するケースも珍しくなかった。
 発症した最年少の患者は二歳。家族も容易には見舞いに来れない極めて厳しい治療環境である。思い出してほしい。この病気は脅迫的に他人を求める。しばらくは薬で制御できるが、やがて薬が効かなくなる。新薬が開発され、少しずつ症状を制御できるようになるまで患者たちは激烈な孤独感にさいなまれ続けてきた。我々は治療不可能で苦しみの多いこの病気と、根気強く向き合い続けて、ようやく克服したのだ。
 そして今から語られるのは、回復した人々ではなく、不治の病とされていた時代の、最後の患者の記録である。OBNEWと戦った三井飛色医師とその著書、「18℃の雪原」の中でグリーンという仮名でわずかばかり登場する患者、福地鳴士(めいし)氏との交流を通して、病と人との関わりを見ていこうと思う。
 OBNEWは令和七年、東京BX感染症センターにおいて、戦いを終えた。読者諸君はOBNEWを過去のものであると思っているのではないだろうか。実のところ、ウイルスの力はシンフォニーシーズに応用されているのだ。君の愛の告白にも、そっと力を添えているかもしれない。



 

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登場人物紹介

ジェームズ・リー

著者。ルポライター。


三井緋色

医師。

著作にOBNEW治療の現場を表した『18℃の雪原』がある。

福地 鳴士(ふくち めいし)

言語アーティスト。OBNEWに罹患した。

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