伝道はしない? これからの戦い方
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放課後に行き場のない小学生のために教会を週1で開放しているんだけど、一つだけ決めているのは「伝道しない」こと。
ただ来て遊んで、駄菓子を食べて帰るだけ。
日曜日に来てほしいとは思いつつ、でも教会に初めて来る子たちのきっかけにはなっているし、何より街中であいさつされる量がものすごく増えた。
牧師の立ち位置は、やり方次第で影響力を持つことができるんだなと。
よく「若者に伝道しましょう」なんて言われるけど、教会維持のために伝道しようという魂胆が見え見えで……。
若者がいなくても教会は教会なんだから、若者がいないと未来がないみたいな発想は不信仰そのものだよ。
もちろん、こんな生きにくい時代だからこそ、若者たちがキリストの福音を知り、愛されていると知ることは大事なんだけどね。
子どもを介してパパ友のつながりがあるんだけど、やっぱり「牧師」って言うとびっくりされるよ。
伝道らしい伝道は特にしてないんだけど、この前初めてそのつながりから毎週礼拝に来るパパ友が現れた。
たまに教会外から講話を依頼されることもあるんだけど、この前のテーマは「老いと死を見つめて」だった。
宗教勧誘のような伝道ではなく、救われるために牧師から話を聴きたいというニーズはあるんだなと。
わたしの教会では、子どもの目に留まってほしいと思って手作りの看板を作り始めたんだけど、通りかかった子どもたちが親に聞いてくれるんだよね。
子どもの質問の答えにつまって、それがきっかけで「じゃあ行ってみようか」と来てくれた親子もいる。
……宴もたけなわ、ここで総督より重大な発表が!??
一同 ……!?
作戦会議はなおも続く。新年からの展開もお楽しみに。