第2部 楽しい雑貨屋生活
文字数 11,458文字
1.月のカケラ
1-1.
ここはトゥエと護衛獣(護衛獣とは人間と高位精霊と契約し獣の姿をとった存在であり、護衛獣をもっている人物は数少なく国への届け出が必須である。)の梟であるクアットが営む雑貨屋スアン、魔導書から日用品まで様々な品を取り扱っている店だ。
今日もお客はちらほらとやってきては何かしらを買っていく。
「すみません」
「はいよ」
カウンター越しに声をかけてきた人物は 白熱灯と電灯の傘を頭に黒いシャツにギャルソンをつけてピカピカの革靴を履いていた。常連客の一人の彼はいつもなら声をかけずに必要な品を買っていくだけだが今日はどうしたのだろうか。
トゥエがそれを尋ねる前に彼が言葉を紡ぐ。
「月のカケラの在庫はありませんか」
「あー……在庫を切らしちまってな店頭に出てるだけなんだわ」
「そうですか……」
残念そうなギャルソンにトゥエの良心がなぜかチクリと痛む。
「今夜にでも仕入れに行ってくるから明後日来てくれたら準備が出来てるぜ」
「! なら明後日また寄らせてもらいます。若い頃は自分で取りに行ったりしたのですが最近は身体にガタがきてしまってつらくて、助かります。」
とりあえず店頭にあるのを買っていきますと、残っていた二瓶を購入して帰って行った。
カランとドアベルの音がして扉が閉まるとクアットがカウンターへ飛んでくる。
「お人よしめ」
「うるせえ、大事なお客さまを悲しませるわけにはいかねえだろ」
「そう言ってこの前寝込んだのは誰だ」
痛い所をついてくる。
確かにトゥエはこの前ヒドラの血を採るために、生かしたまま血を採った際にヒドラに噛まれて寝込んだばかりだ。その際は焦ったクアットがすぐに薬師の元へ行き、薬を作ってもらったので事なきを得た訳だがクアットは根に持っているらしい。
「あれは仕方ないだろ……今後必要になった時に無かったら困る」
事実、後日薬師が仕入れに来たのだ。
「入手は冒険者に頼めば良かったんだ、それをお前は」
「あーはいはい心配かけて悪かったって」
トゥエが両手を上げて降参のポーズをとるとクアットは少なからず溜飲が下がったようだった。
「わかったら受けるのは危険が少ない採集だけにしてくれ」
「わかった」
約束するよ、とクアットの頬を撫でれば満足そうにクルルと鳴いた。
「で、今夜行くのか?」
「まあ約束もあるが元々在庫が少ないと思っていたからな。それに星見でも今夜流星が多い予定らしいし」
「ついて行くからちゃんと起こせよ」
「お前は保護者か……」
「リエンの代わりだ」
そう言えばトゥエが黙るのを知っているクアットは今は亡きトゥエの妹であるリエンの名前を良く出す。とうより出さずに居られない。出さないと無茶をするからだ。
元々クアットはリエンの護衛獣だったのだが、リエンが死ぬ間際にリエンの頼みでトゥエと契約を結びなおしたのだ。そのため、クアットの左目は黒く精霊力が半減している状態になっている。それでも人型をとれば強さはその辺にいる冒険者よりかは強いのはクアット自身も理解している。
だからこそトゥエの採集について行くと言うのだ。リエンと同じような目にあったら困るからだ。
「じゃあ俺は準備するから暫く店番頼んだ」
「わかった」
クアットはそう言うと姿を人型に変え、トゥエが先程まで座っていた場所に座る。
クアットは本来は高位精霊だ。それ故に容姿は端麗で美しい。腰まで伸ばした髪を緩く三つ編みで結びこの辺りでは見ない服を着ている。
「忘れ物するなよ」
店の奥に向かうトゥエに向かってクアットがそう声をかける。
「しねえよ! いくつだと思ってるんだ」
「いつまでたっても心配は心配なもんだよ」
クアットはリエンもよく言っていたと告げ足して笑うとトゥエは「余計なことばかり覚えてやがる」と溜め息と言葉を吐く。確かにリエンからはよく「お兄ちゃんはうっかりしている所があるから気をつけなきゃだめだよ。私を一人にしないでね」と言っていた。結局一人にしたのはお前だったな、とトゥエは胸中で呟いた。
そうしてクアットは店番を、トゥエは夜の採集の準備にそれぞれ行うのだった。
ちなみにクアットが店番をするのは珍しいため、その容姿に誘われて客足が増えるのをトゥエは知っているので、今日の売り上げは伸びるだろうなと片手間に考えるのだった。
1-2
クアットは夢を見ている。
何度も見る、リエンが死ぬ間際の夢だ。
「クアット、あ、なたまで、消える必要はないわ」
「俺に君が居ない世界を生きろと言うのか」
「ええ、そう」
トゥエは横たわるリエンの片方の手を強く握りしめながら酷い願いだと思った。その掴んだ手は冷たくもう命が残り少ないことを突き付けてくる。
「最期の命令よ」
クアットはトゥエが握り締めているのとは反対の手を掴み、リエンの頬に血で濡れることを気にもせずに触れ、そして、涙を一つ零した。高位精霊の涙は結晶となる。煌めくそれは美しくリエンは場違いにも綺麗だと思った。
「おにい、ちゃん」
げほ、とどす黒い血をリエンが吐き出す。ああ、本当に死んでしまうのだ。トゥエは流れ落ちそうになる涙を堪えながら、リエンが好きだと言う笑顔を浮かべながら返事をする。
「ああ」
「一人に、し、てごめんね」
「お前が気にすることじゃない」
トゥエの涙が、零れ落ちた。ぽたりと落ちた涙は止まらずひゅう、と細い息を吐くリエンの頬を濡らした。
「クーのこと、よ、ろしくね」
「ああ」
「クーは、お兄ちゃんの、こと、よろしくね」
「分かっている」
クアットは分かっているから死なないでくれと叫び出したかった。しかしそれは無理なことを知っている。分かってしまっている。自分の大切な主は自分を置いて逝ってしまうことを。
二人が左右片方ずつのリエンの手をぎゅうと握り締めた所でリエンがふふ、と笑う。
何がおかしいのだろうとトゥエとクアットは思ったが、それを問う時間はもう、ないのだ。
「じゃあ、け、契約を、譲渡するね」
リエンが再び血を吐く。そしてそれに構わず呪文を唱え始める。
ああ、もう、最期なのだ。自分の大切な存在が死んでしまう、とクアットは思ったがそれはトゥエも同じだと気が付く。
前にリエンが兄妹二人家族だと言っていた。両親は幼少期に流行り病で死んでしまい、そこから二人で冒険者になったと。冒険者になってからはどんな仕事でも生きていくためにこなしたと言っていた。高位精霊である自分と契約してからは冒険者ランクも上げやすくなり安定した仕事をこなすことが出来るようになったと。
トゥエはどうなのだろうか。何を考えているのだろうか。自分は主であるリエンのことしか知り得なかったが、たった二人の家族だったのであればリエンを喪うことは半身を削り取られる思いなのではないかと。
「これ、で、だいじょ、う、ぶ」
「ああ」
「おにいちゃ、の、瞳の色が、ちがう、の、て、へんな、かんじ」
相変わらずリエンは楽しそうだった。リエンはいつも朗らかで優しく善き人だった。だからこそこんなことになってしまったのだが。
「リエン」
「う、ん」
「ありがとう、お前が妹で俺は誇らしいよ」
「俺も君が主で良かった。ありがとう、俺の大切な主」
トゥエとクアットがそう言い終えるとリエンは嬉しそうに笑い、そして、息を引き取った。
「クーそろそろ出掛けるぞ」
「ん、ああ」
眠りに落ちていたクアットはトゥエの声で目を覚ました。そしてまたあの夢か、と考える。クアットはバサ、と一度羽を羽ばたかせると人間体へと変化し、そうしてトゥエが持っている荷物を半分譲り受ける。ずしりと重さのある荷物は山道を歩く人間には苦痛だろうというクアットの分かりにくい優しさだ。
「今日はどこまで行くんだ」
「裏山の湖にでも行くかな、魔力もそろそろ満ちてるだろうし」
「わかった」
戸締りをして二人は裏山の湖へと向かうのだった。
「いい感じに魔力が満ちてるな」
「そうだな」
裏山の湖に着いた二人は周囲に湖中に溜まり切らなかった魔力が肉眼で見れるほど魔力が満ちているのを見てそう話し合った。
「じゃあ、俺は採ってくるから待っててくれ」
「ああ」
クアットに一声かけるとトゥエは防水服のまま湖に入っていく。ざばざばと水音をたてながらトゥエは進んで行く。丁度湖の中心付近で止まると網を水の中にざばりと入れた。
月のカケラは満月の夜にだけ採ることが出来る魔力を帯びた石だ。
採れる日が限られているからこそついた名前だが、採るには少々コツがいる。
湖の底に沈む石たちは一見どれも光り輝いており月のカケラだと見間違うがよく見れば淡く光っている石がある。そもそも月のカケラは水から出してしまうと光を発さなくなるのだ。それではどれが月のカケラかと言うと、先程見つけた淡い光を発しているのが月のカケラなのだ。そして本物の月のカケラは水から出した数分後に再び光出すのだ。
トゥエは光が淡い石を網ですくい、持ってきた布袋に入れる。
暫く経つと、袋の中ではぴかぴかと発光し始めるのでこれが月のカケラで間違いない、という訳だ。
そうして二、三時間ほど作業を繰り返し、どっさりと袋四つ分の月のカケラを手に入れると一呼吸吐くことにした。
「この生活も長くなったな」
「そうだな」
クアットが準備した温かい珈琲を飲みながらトゥエが話し始める。
「最初はどうなるかと思ったけど意外と何とかなるもんだ」
「結果論だろう」
「相変わらず厳しいなあ」
トゥエが唇を尖らせてそう言えばクアットが笑う。
「お前が大雑把だから細かい方が丁度いい」
「ははっ、そりゃそうだ」
二人は些細な会話を少しだけ繰り返すと珈琲が空になったことに気が付き「帰るか」「ああ」と会話を切り上げるのだった。
ここから家に帰って月のカケラの大きさを合わせなければいけない。
これがまた根のいる作業なのだが、二人がかりであれば数時間で終わるだろう。
ついでに満月の日にしか咲かない夢見花も採集できたのでそれも瓶詰めしなければ。
今夜は寝るのが遅くなりそうだとトゥエは帰り道を歩きながらそう考えるのだった。
2.夢見花
2-1.
夢見花の管理は少々難しい。
採集自体は土ごと根まで採集するだけなのだが、管理となると土を綺麗に落とし脱脂綿で根を包み真空の瓶に詰めなければならない。そして落とした土も根から成分が沁み出ているのでガーデニングや錬金術に使われたりするので雑に扱う訳にはいかない。
稀に苔と一緒に生えている場合があるがそれはとてつもなく幸運で苔は高額でやり取りされる商品になる。今回採集した中には苔つきが三つもあったので幸運だった。
買いに来る客は少ないが、それでも必要とされる場合がある。
雑貨屋としてはなんでもあると言っている以上レアな素材でも取り揃えておきたい所なのだ。
「トゥエ」
「ん?なんだクー」
「客だ」
トゥエが夢見花の部位ごとに保管をしているとクアットが呼びに来たのであった。無愛想ながらも店番をするなら問題ないはずのクアットがトゥエを呼びに来たということはトゥエにしか対応できない問題が発生したということだ。
「トゥエさあん」
カウンターまで行けばそこに居たのは近所の薬師屋を営む薬師のアイリスだった。
「おう、どうした嬢ちゃん」
アイリスは六の月前にこの国にやってきた薬師だ。彼女の作る薬は評判が良く、彼女の店舗でも薬の販売をしているのだが、トゥエの雑貨屋にも卸してくれている。そして稀に自身では行くことの出来ない採取の個人依頼をアイリスの従者であるカークに頼むことがある。
「夢見花の苔つきってありますか!?」
「ちょうど昨日採って来た所だからあるぜ」
「丸ごとください!」
「お、おう……」
アイリスの気迫に少々気圧されつつも「待ってな」といい先程まで居た作業場へ戻り、夢見花を三つ手に持ってカウンターへと戻る。
「苔の量が多いのはこれ、蕾つきなのがこれ、これは普通の苔つきだな」
「蕾つきまであるんですか!? 羨ましい……うーん悩みます」
夢見花は基本的に花が咲いた状態で発見することがほとんどだ。なぜかというと精霊がいたずらで花を咲かせてしまうから、というのが専らの通説である。そして蕾の状態のままのものは精霊が祝福を授けたもので、その祝福を取り出すには咲かせないことが条件なのだ。取り出した祝福はスクロールに写して高額で販売したりするという。まったく厄介な素材ではあるが、好き好んでそうしている訳ではないので夢見花に罪はない。
「ゆっくり悩んでくれや」
そうしてじっくり数十分悩んだ後、アイリスは蕾つきのを購入していった。
自分には分からないが薬の材料にでも使うのだろうと納得し、再び作業場へと戻ると、作業場ではクアットが瓶の中身を覗いている所だった。
「どうしたんだ珍しい」
「これ、小さいけれど精霊が宿っているな」
それは瓶詰にした通常の夢見花だった。
「なんだって!?」
ただの夢見花に精霊が宿るのは珍しく、恐らく売れば高額な値段がつくだろう。
ただ問題はこの雑貨屋では精霊の売買は行わないことにしている。精霊も生きており物ではないのだ。
「困ったな……」
「月の光が当たる所に置いていてやればいい、難しい問題じゃないだろ?」
「そうは言うがな」
「心配しなくても俺も手伝う」
クアットの申し出にそこまで言われたら仕方ないかとトゥエは頭をガシガシと掻いた。
「頼むぞ、精霊の孵化なんかしたことないんだから」
「夢見花の育て方と同じにしてやればいいだけだ」
「それが難しいんだよ……」
トゥエの嘆きも空しく精霊を育てることになったのだった。
2-2.
夢見花自体の育て方は単純で日中は陽の光が当たらない場所に置いてやり、陽が沈み月と星が輝き始めたらその光を浴びせてやるという夜行性の植物の育て方だった。単純だが単純ゆえに朝陽を浴びせてしまうということが多く、育てるのを失敗しやすいのだ。
数日間それを繰り返していると、ある晩透明な繭が葉先にぶら下がっているのにトゥエが気付いた。
「この中に精霊が居るのか?」
「そうだな。もうそろそろ孵化しても良さそうなんだが」
そうクアットが呟くと繭がゆっくりと膨らんでいき、パチンと弾けた。
ふわりとレースを幾重にも折り重ねたような服を身に纏った小さな精霊が孵化したのだ。
「おお……」
「ほらな」
トゥエは驚き、クアットはしたり顔でそれぞれ反応する。
小さな精霊は瓶をすり抜けて出てくるとくるくるとその場で回る。どうやら感謝の意を示しているらしい。
「契約はしてやれないが何かあったら来ると良い」
クアットが大人げなく生まれたばかりの精霊に釘を刺す。つまる所、トゥエにはもう自分という護衛獣が居ると言っているのだ。実際クアット一人で手を焼いているので断ってくれるのはありがたいとトゥエはその光景を見ながら思う。
護衛獣は高位精霊という存在なのだ。精霊同士で話し合ってもらうのが一番だ。
「ドゥエ」
「ん? なんだ?」
「話はついたんだが感謝を伝えたいらしい」
感謝も何も世話はほとんどをクアットがしたからそんなものは必要ないが、と思わなくもないがそう言われたら断れるわけがない。
トゥエが小さな精霊に向かって手を差し出すとその手に精霊が飛び乗る。
「ありがとう、あなたが珍しいからって売り飛ばさなかったおかげでちゃんと孵化できたわ」
「どういたしまして」
「本当はこのまま契約もしたいのだけれど嫉妬深い先住者が居るからやめておくわ」
ちらりと精霊がクアットの方を見ればクアットは「おい」と咎める。
「ははっ、悪いな」
トゥエが代わりに謝り、クアットが苛立ちを示すが小さな精霊はどこ吹く風と気にした様子はない。
「だからお礼は祝福だけにしておくわね」
「おい待て! お前話が違うぞ!」
クアットが精霊の身体を掴もうと手を伸ばすより早く精霊はトゥエの手の平から飛び上がると、頬に口付けを落とし「じゃあまた逢いましょう」と窓をすり抜け夜空へと飛び去って行ったのだ。
「あいつ!」
クアットが窓から外を見るがその姿はもうなく、夜空に星が輝くだけだ。
「おい! 変なものつけられてないだろうな!?」
「そんなに怒らなくても大丈夫じゃないか?」
「いいから早く確認しろ!」
「はいはい……ステータスオープン」
クアットに促されるまま、いや若干強引に、ステータスを冒険者カードから表示するとそこには闇精霊の祝福と書かれていた。闇精霊の祝福は夜目がきくこと、闇の素材の扱い方が上手くなるなどそんな感じだ。ちなみに魔法適正があれば闇魔法が使えるようになる。
「まあ、この程度なら大丈夫じゃないか?」
暢気にトゥエがそう言えばクアットは「だから闇精霊は気が合わないんだ」と愚痴る。
「お前もうすでに祝福三つはあるだろうが」
「そうなんだよなあ、でもおかげで素材が見つけやすいしな……」
「その好かれやすさなんとかしてくれ、気が気じゃない」
「どうにも出来ねえって」
げんなりとした表情でクアットは言うがトゥエはさほど気にした様子はなくいつものことだと言う。
その様子を見ながらいつかとんでもないものを貰ってきそうで困るとクアットは胸中で思うのだった。
3.輝く星
3-1.
「クー! 今夜は流星群の日だ!」
「ああ」
知っていると梟の姿のまま頷くクアットにトゥエは「なんだ知ってたのか」と返す。
「新聞で読んだからな、それに街の人間共も浮足立ってる」
「博識な相棒をもってありがたいよ……」
「それで? 毎年恒例のアレをするのか?」
「当り前よ! 一年分貯めとかなきゃいけねえしな」
この世界では一年に一度流星群が降る。
その日はどこの国でもお祭り騒ぎで、この街でももちろん毎年お祭り騒ぎなのだ。
そして実はその流星は採ることができ、尚且つ魔術媒介や食物としても様々な用途として使うことが出来るのでトゥエのような雑貨屋、錬金術師、魔術師はこの日に採集に精を出す。
「今年はどうする? ついてくるのやめとくか?」
「いや、ついて行く」
トゥエがそう言ったのには理由があり、その理由というのが昨年、クアットが流星に激突したのだ。
正確には激突しそうになったのをいなした、のだが元々はトゥエに当たりそうだったのを庇い、当たってしまった。ただ当たるだけなら問題なかったのだが、打ち所が悪くそのあと暫く動けずトゥエ一人で採集することになったのだ。
それをクアットは気にしているという訳だ、
「別にひとりでも」
「ついて行く」
「はい、わかりました」
これは置いて行ったら怒るな、とトゥエが考えているとクアットがジト目で「置いて行ったら怒るぞ」と言うのでトゥエは肩を竦めるのだった。
時刻は夜半過ぎ。二人は裏山の頂上まで来ていた。
「出来れば大きいのを三、四個採って家で砕くのが理想なんだが……」
「そう都合よくいかないだろう」
「だよなあ、まあ大き目のを選んで採るか」
「ああ」
二人は籠を背負い、落ちている輝く星を一つ一つ選別しながら拾い、背負った籠の中に入れていく。それを数時間も続ければ二人の籠は一杯になっていた。
そろそろ帰ろうかとトゥエが口に出そうとした瞬間に、流星が空から降ってくる。
ドカンと大きな音を立てて地面に衝突したそれは大きく、抱えられるほどの大きさだった。
「あれ拾って帰るか」
「そうだな」
トゥエがその大きな流星を抱え二人は帰路につくのだった。
3-2.
「さあて砕くか!」
家に帰って直ぐ作業場に直行したトゥエとクアットは輝く星を作ることにした。
作ると言っても大きなカケラを小さく砕き瓶詰にするだけなので、作業自体は簡単だが肉体労働なので中々疲れる仕事なのだ。
トゥエは大き目のカケラを手に取り、ハンマーで小さく砕いていく。
キインと甲高い音が作業場に響く。
カン、カンと音が響く度に大きなカケラがみるみる小さくなっていく。
クアットはその小さくなったカケラをガラス瓶に詰めていき、封をする。クアットが封をするのはこの雑貨屋で作られたものだと分かるように魔力を流す為で、いわゆる転売防止の印というわけだ。
もくもくと作業を続けていき全ての流星を砕き切ったあとは、瓶詰をトゥエが行い封付けをクアットが行う。一年分と言っても量は大したものではない。他店にも取り揃えてあるのでそこまで準備する必要がないのだ。それでも百瓶以上は準備が出来たので、残りの作業は後回しにし、流星は木箱に入れてクアットに保護魔法をかけてもらう。これで劣化を防げるというわけだ。
「そろそろいい時間だし休むか」
「そうするか」
ふあ、とトゥエが欠伸を噛み殺しそう言えばクアットは梟の姿に戻り定位置の店の入り口にある止まり木に移動する。
「おやすみクー」
「おやすみ」
就寝の挨拶を交わしトゥエは自室へと帰って行った。
トゥエの寝室にはリエンの写真が何枚か飾ってある。
その写真を見ながらトゥエはリエンの最期を思い出す。
「おにい、ちゃん」
「ああ」
「一人に、し、てごめんね」
あの言葉には色々な意味が含まれていたのだろう。トゥエとリエンは二人兄妹だった。生きるためには、妹を生かす為にはどんなこともやってきた。。
だからこそリエンはクアットをトゥエの為に残したのだろう。
リエンは優しい子だった。だからこそ他の冒険者に騙されて死んでしまった。
その冒険者は罰せられたが今もどこかで生きているのだろう。それを考えると腸が煮えくり返りそうな思いだがクアットと話し合いあれのことを考えるのはやめにしようと決めたのだ。
今はリエンの夢だった雑貨屋を開くことを一番にしようと。
しかし、憎しみはいつまで経ってもトゥエの中で燻り続ける。忘れたくとも忘れられないのだ。
「……寝るか」
トゥエはそう言うとリエンの写真に向かって「おやすみ」と言いベッドに横たわるのだった。
4.雨露の結晶
4-1.
雨上がりは植物たちがざわついている。
雨粒を浴びすくすくと成長する植物たちは中々の見ものだ。
だが、今回必要なのは植物についたまま取り残された雨露だ。トゥエは零さないようにと静かに雨露が残っている葉先に小瓶を近付け雨露を中に入れる。半分くらいの量になるまでこれを繰り返し、次々と小瓶の中に雨露を入れていく。途中、何度かいたずら好きの妖精に邪魔をされたがなんとか全ての瓶に入れ終わった。
あとはこれを結晶化させるだけなのだが、それは作業場で行うことにする。
中身を溢さないように慎重に歩き静かに作業場の扉を開け、作業机の上に小瓶の入った木箱を置く。
「ふう」
トゥエは一息吐くとぐぐ、と身体を伸ばした。
小瓶に栓をし、手の平で包み隠すと魔力を込めて上から下へと思い切り振る。
そうすると中に入っていた雨露が結晶化するのだ。
トゥエは手の平を開き結晶化されているのを確認すると後でクアットに封付けをしてもらうために別の箱に入れる。
全ての小瓶の結晶化が終わった所でクアットがやってきたので封付けを頼み開店の準備をすることにした。
埃をはたき落し、落ちた埃は箒で纏める。天井からぶら下がった幾つもの電灯の電球が切れていないかを確認し問題なければ商品の補充を行う。昨日は輝く星と月のカケラをいつものギャルソンの旦那がまとめ買いをしていったのでその二種類の補充をする。他にもいくつか少なくなっている商品を補充したらいつの間にか開店の時間になっていた。
扉の鍵を開け扉にかかっているカードをOPENに変えた所で、アイリス達がやって来た。ポーションの納品を頼んでいたのでそれだろうと思ったが変に焦っている。
「どうかしたのか?」
「あの、行き倒れの人を見つけて、それで薬を」
「行き倒れを見つけてな、それに薬を作ってやりたいから雨露の結晶をくれないか」
アイリスがまごまごしていると、一緒についてきていたカークがそう言う。
「ああ、待ってな」
そう言って扉を開け中に戻るとクアットが一瓶持って待っていた。
「ん」
「ありがとな、クー」
礼を言い受け取ると代金を渡し、トゥエは店の外に戻りアイリスに手渡した。
「ありがとうございます!」
「悪いな、朝から」
「気にすんなよ」
カークの言葉にトゥエはそう返すと二人は、というよりアイリスが急ぎ足で帰って行った。
トゥエはそんな二人を見送ってから店内に戻ると定位置の止まり木に戻ったクアットが話しかけてくる。
「相変わらず元気な娘だな」
「まあ、そう言うなよ。元気なのはいいことだろ?」
トゥエがそう言うとクアットは「フン」と言い目を瞑り眠り始める。
それを見ながらトゥエは苦笑しカウンターの中に入っていくのだった。
4-2.
翌朝だった。
店の開店準備を終え、一息ついた所だった。
店の扉の向こう側から言い争う声が聞こえてきたのだ。
「なんだ?」
トゥエがそう言い、見に行こうとした所でクアットが「嫌な気配がする」と言いトゥエの肩に乗ったのだ。そのまま鍵を開け、扉を開けるとそこにはアイリスとフードを目深にかぶった男が居た。
「何してんだ? 嬢ちゃん」
「あ、トゥエさん。実はこの方が」
「離せ!」
そう男が言いアイリスの腕から逃れるために勢いよく腕を振り払った瞬間にフードが肩口に落ちた。
聞いたことのある声だと思った、それも嫌な声だと。それもその筈だった。フードが外れて見えた顔はリエンを殺した男だった。
「お前……」
「チッ」
呆然とトゥエがそう言えば男はこちらを一瞥したあとに走って逃げ出してしまった。
「追いかける」
「いや、いい。追いかけた所で俺たちがやりたいことは目に見えてる」
やりたいこと。
あの男をリエンと同じ方法で殺してやること。
ただそれをリエンが望むのかと思えば望まないだろうと思った。本当は望む望まない関係なく復讐してやりたかったが「おにいちゃん」とリエンの声が聞こえた気がしてカッと熱くなった思考が冷めていった。
「すみません、お礼を言いたいって言ってたんですがお二人の名前を出したらなぜか急に急いで帰ると言い出して……」
しゅんとしょぼついてしまったアイリスに「気にすんなよ」とトゥエが言いクアットは男が逃げて行った先をジ、と見つめていた。
「今日の納品はなかったよな?」
「あ、はい! ないです」
「じゃあ悪いんだが今日は閉店してるから何か急ぎの用があったら扉を叩いてくれるか?」
「はい、わかりました」
こくこくと頷くアイリスの頭をトゥエはぐしゃぐしゃと撫でると「じゃあカークにも伝えといてくれな」と言ったトゥエとクアットは店の中に戻っていくのだった。
一人残されたアイリスは「なにかあったのかな」と呟いてから自分の店に戻っていくのだった。
店内に戻ったトゥエは小さな声で「なんであの男が」と呟いた。
「今なら追いかけられる、リエンと同じ目に合わせることだってできるぞ」
クアットの返事にトゥエは首を左右に振り否と言う。
「この街で護衛獣をもっているのは俺だけだ、すぐに足が付く。それにそんなことをお前にさせられねぇ」
「だがリエンはあいつに殺されたと言っても嘘じゃない」
「ああ! そうだよ! あいつの嘘を真に受けて誰にも相談せずに一人で行ったリエンは死んだんだ。出来るなら殺してやりたいさ!」
ガシャン、とトゥエが机の上に拳を叩きつける。
「……でもそれをリエンが望むか?」
「……望まないだろうな」
ころころと机の上を転がる小瓶をトゥエは掴むと思い切り握り締める。
「それでも殺してやりたい。リエンが望むなら……いや本当は望む望まない関係なく俺が殺してやりたい」
「なら殺せばいい」
クアットの蠱惑めいた言葉にトゥエはクアットの表情を見やる。クアットは梟の姿のままトゥエを見つめ返し「クルル」と鳴き人型になった。
「お前がしたいようにしたらいいんだトゥエ」
「俺は、」
どうしてやりたいんだ。乾いた喉に声がへばりついて出てこない、ごくりと唾を飲み込んでも声は出ない。どうしてやりたいか、なんて、殺してやりたいの答えしか出てこない。ただそれを口に出したらクアットが手を汚してしまうから、なんていい訳だった。
「……殺してやりたい」
パキ、と握り締めた小瓶にヒビが入った音がした。
4-3.
その日、とある街の雑貨屋の主人が行方不明になった。
近隣住民や取引先の相手が言うには消えてしまう前日まで特に変わった様子はなかったそうだ。
そして同日、元犯罪者の死体が路地裏で発見された。
死体は剣でめった刺しにされており、顔は分からないほどにぐちゃぐちゃだったという。
事件性があるものとしてまた雑貨屋の主人の失踪と関連性があるものとして捜査を行っている。
1-1.
ここはトゥエと護衛獣(護衛獣とは人間と高位精霊と契約し獣の姿をとった存在であり、護衛獣をもっている人物は数少なく国への届け出が必須である。)の梟であるクアットが営む雑貨屋スアン、魔導書から日用品まで様々な品を取り扱っている店だ。
今日もお客はちらほらとやってきては何かしらを買っていく。
「すみません」
「はいよ」
カウンター越しに声をかけてきた人物は 白熱灯と電灯の傘を頭に黒いシャツにギャルソンをつけてピカピカの革靴を履いていた。常連客の一人の彼はいつもなら声をかけずに必要な品を買っていくだけだが今日はどうしたのだろうか。
トゥエがそれを尋ねる前に彼が言葉を紡ぐ。
「月のカケラの在庫はありませんか」
「あー……在庫を切らしちまってな店頭に出てるだけなんだわ」
「そうですか……」
残念そうなギャルソンにトゥエの良心がなぜかチクリと痛む。
「今夜にでも仕入れに行ってくるから明後日来てくれたら準備が出来てるぜ」
「! なら明後日また寄らせてもらいます。若い頃は自分で取りに行ったりしたのですが最近は身体にガタがきてしまってつらくて、助かります。」
とりあえず店頭にあるのを買っていきますと、残っていた二瓶を購入して帰って行った。
カランとドアベルの音がして扉が閉まるとクアットがカウンターへ飛んでくる。
「お人よしめ」
「うるせえ、大事なお客さまを悲しませるわけにはいかねえだろ」
「そう言ってこの前寝込んだのは誰だ」
痛い所をついてくる。
確かにトゥエはこの前ヒドラの血を採るために、生かしたまま血を採った際にヒドラに噛まれて寝込んだばかりだ。その際は焦ったクアットがすぐに薬師の元へ行き、薬を作ってもらったので事なきを得た訳だがクアットは根に持っているらしい。
「あれは仕方ないだろ……今後必要になった時に無かったら困る」
事実、後日薬師が仕入れに来たのだ。
「入手は冒険者に頼めば良かったんだ、それをお前は」
「あーはいはい心配かけて悪かったって」
トゥエが両手を上げて降参のポーズをとるとクアットは少なからず溜飲が下がったようだった。
「わかったら受けるのは危険が少ない採集だけにしてくれ」
「わかった」
約束するよ、とクアットの頬を撫でれば満足そうにクルルと鳴いた。
「で、今夜行くのか?」
「まあ約束もあるが元々在庫が少ないと思っていたからな。それに星見でも今夜流星が多い予定らしいし」
「ついて行くからちゃんと起こせよ」
「お前は保護者か……」
「リエンの代わりだ」
そう言えばトゥエが黙るのを知っているクアットは今は亡きトゥエの妹であるリエンの名前を良く出す。とうより出さずに居られない。出さないと無茶をするからだ。
元々クアットはリエンの護衛獣だったのだが、リエンが死ぬ間際にリエンの頼みでトゥエと契約を結びなおしたのだ。そのため、クアットの左目は黒く精霊力が半減している状態になっている。それでも人型をとれば強さはその辺にいる冒険者よりかは強いのはクアット自身も理解している。
だからこそトゥエの採集について行くと言うのだ。リエンと同じような目にあったら困るからだ。
「じゃあ俺は準備するから暫く店番頼んだ」
「わかった」
クアットはそう言うと姿を人型に変え、トゥエが先程まで座っていた場所に座る。
クアットは本来は高位精霊だ。それ故に容姿は端麗で美しい。腰まで伸ばした髪を緩く三つ編みで結びこの辺りでは見ない服を着ている。
「忘れ物するなよ」
店の奥に向かうトゥエに向かってクアットがそう声をかける。
「しねえよ! いくつだと思ってるんだ」
「いつまでたっても心配は心配なもんだよ」
クアットはリエンもよく言っていたと告げ足して笑うとトゥエは「余計なことばかり覚えてやがる」と溜め息と言葉を吐く。確かにリエンからはよく「お兄ちゃんはうっかりしている所があるから気をつけなきゃだめだよ。私を一人にしないでね」と言っていた。結局一人にしたのはお前だったな、とトゥエは胸中で呟いた。
そうしてクアットは店番を、トゥエは夜の採集の準備にそれぞれ行うのだった。
ちなみにクアットが店番をするのは珍しいため、その容姿に誘われて客足が増えるのをトゥエは知っているので、今日の売り上げは伸びるだろうなと片手間に考えるのだった。
1-2
クアットは夢を見ている。
何度も見る、リエンが死ぬ間際の夢だ。
「クアット、あ、なたまで、消える必要はないわ」
「俺に君が居ない世界を生きろと言うのか」
「ええ、そう」
トゥエは横たわるリエンの片方の手を強く握りしめながら酷い願いだと思った。その掴んだ手は冷たくもう命が残り少ないことを突き付けてくる。
「最期の命令よ」
クアットはトゥエが握り締めているのとは反対の手を掴み、リエンの頬に血で濡れることを気にもせずに触れ、そして、涙を一つ零した。高位精霊の涙は結晶となる。煌めくそれは美しくリエンは場違いにも綺麗だと思った。
「おにい、ちゃん」
げほ、とどす黒い血をリエンが吐き出す。ああ、本当に死んでしまうのだ。トゥエは流れ落ちそうになる涙を堪えながら、リエンが好きだと言う笑顔を浮かべながら返事をする。
「ああ」
「一人に、し、てごめんね」
「お前が気にすることじゃない」
トゥエの涙が、零れ落ちた。ぽたりと落ちた涙は止まらずひゅう、と細い息を吐くリエンの頬を濡らした。
「クーのこと、よ、ろしくね」
「ああ」
「クーは、お兄ちゃんの、こと、よろしくね」
「分かっている」
クアットは分かっているから死なないでくれと叫び出したかった。しかしそれは無理なことを知っている。分かってしまっている。自分の大切な主は自分を置いて逝ってしまうことを。
二人が左右片方ずつのリエンの手をぎゅうと握り締めた所でリエンがふふ、と笑う。
何がおかしいのだろうとトゥエとクアットは思ったが、それを問う時間はもう、ないのだ。
「じゃあ、け、契約を、譲渡するね」
リエンが再び血を吐く。そしてそれに構わず呪文を唱え始める。
ああ、もう、最期なのだ。自分の大切な存在が死んでしまう、とクアットは思ったがそれはトゥエも同じだと気が付く。
前にリエンが兄妹二人家族だと言っていた。両親は幼少期に流行り病で死んでしまい、そこから二人で冒険者になったと。冒険者になってからはどんな仕事でも生きていくためにこなしたと言っていた。高位精霊である自分と契約してからは冒険者ランクも上げやすくなり安定した仕事をこなすことが出来るようになったと。
トゥエはどうなのだろうか。何を考えているのだろうか。自分は主であるリエンのことしか知り得なかったが、たった二人の家族だったのであればリエンを喪うことは半身を削り取られる思いなのではないかと。
「これ、で、だいじょ、う、ぶ」
「ああ」
「おにいちゃ、の、瞳の色が、ちがう、の、て、へんな、かんじ」
相変わらずリエンは楽しそうだった。リエンはいつも朗らかで優しく善き人だった。だからこそこんなことになってしまったのだが。
「リエン」
「う、ん」
「ありがとう、お前が妹で俺は誇らしいよ」
「俺も君が主で良かった。ありがとう、俺の大切な主」
トゥエとクアットがそう言い終えるとリエンは嬉しそうに笑い、そして、息を引き取った。
「クーそろそろ出掛けるぞ」
「ん、ああ」
眠りに落ちていたクアットはトゥエの声で目を覚ました。そしてまたあの夢か、と考える。クアットはバサ、と一度羽を羽ばたかせると人間体へと変化し、そうしてトゥエが持っている荷物を半分譲り受ける。ずしりと重さのある荷物は山道を歩く人間には苦痛だろうというクアットの分かりにくい優しさだ。
「今日はどこまで行くんだ」
「裏山の湖にでも行くかな、魔力もそろそろ満ちてるだろうし」
「わかった」
戸締りをして二人は裏山の湖へと向かうのだった。
「いい感じに魔力が満ちてるな」
「そうだな」
裏山の湖に着いた二人は周囲に湖中に溜まり切らなかった魔力が肉眼で見れるほど魔力が満ちているのを見てそう話し合った。
「じゃあ、俺は採ってくるから待っててくれ」
「ああ」
クアットに一声かけるとトゥエは防水服のまま湖に入っていく。ざばざばと水音をたてながらトゥエは進んで行く。丁度湖の中心付近で止まると網を水の中にざばりと入れた。
月のカケラは満月の夜にだけ採ることが出来る魔力を帯びた石だ。
採れる日が限られているからこそついた名前だが、採るには少々コツがいる。
湖の底に沈む石たちは一見どれも光り輝いており月のカケラだと見間違うがよく見れば淡く光っている石がある。そもそも月のカケラは水から出してしまうと光を発さなくなるのだ。それではどれが月のカケラかと言うと、先程見つけた淡い光を発しているのが月のカケラなのだ。そして本物の月のカケラは水から出した数分後に再び光出すのだ。
トゥエは光が淡い石を網ですくい、持ってきた布袋に入れる。
暫く経つと、袋の中ではぴかぴかと発光し始めるのでこれが月のカケラで間違いない、という訳だ。
そうして二、三時間ほど作業を繰り返し、どっさりと袋四つ分の月のカケラを手に入れると一呼吸吐くことにした。
「この生活も長くなったな」
「そうだな」
クアットが準備した温かい珈琲を飲みながらトゥエが話し始める。
「最初はどうなるかと思ったけど意外と何とかなるもんだ」
「結果論だろう」
「相変わらず厳しいなあ」
トゥエが唇を尖らせてそう言えばクアットが笑う。
「お前が大雑把だから細かい方が丁度いい」
「ははっ、そりゃそうだ」
二人は些細な会話を少しだけ繰り返すと珈琲が空になったことに気が付き「帰るか」「ああ」と会話を切り上げるのだった。
ここから家に帰って月のカケラの大きさを合わせなければいけない。
これがまた根のいる作業なのだが、二人がかりであれば数時間で終わるだろう。
ついでに満月の日にしか咲かない夢見花も採集できたのでそれも瓶詰めしなければ。
今夜は寝るのが遅くなりそうだとトゥエは帰り道を歩きながらそう考えるのだった。
2.夢見花
2-1.
夢見花の管理は少々難しい。
採集自体は土ごと根まで採集するだけなのだが、管理となると土を綺麗に落とし脱脂綿で根を包み真空の瓶に詰めなければならない。そして落とした土も根から成分が沁み出ているのでガーデニングや錬金術に使われたりするので雑に扱う訳にはいかない。
稀に苔と一緒に生えている場合があるがそれはとてつもなく幸運で苔は高額でやり取りされる商品になる。今回採集した中には苔つきが三つもあったので幸運だった。
買いに来る客は少ないが、それでも必要とされる場合がある。
雑貨屋としてはなんでもあると言っている以上レアな素材でも取り揃えておきたい所なのだ。
「トゥエ」
「ん?なんだクー」
「客だ」
トゥエが夢見花の部位ごとに保管をしているとクアットが呼びに来たのであった。無愛想ながらも店番をするなら問題ないはずのクアットがトゥエを呼びに来たということはトゥエにしか対応できない問題が発生したということだ。
「トゥエさあん」
カウンターまで行けばそこに居たのは近所の薬師屋を営む薬師のアイリスだった。
「おう、どうした嬢ちゃん」
アイリスは六の月前にこの国にやってきた薬師だ。彼女の作る薬は評判が良く、彼女の店舗でも薬の販売をしているのだが、トゥエの雑貨屋にも卸してくれている。そして稀に自身では行くことの出来ない採取の個人依頼をアイリスの従者であるカークに頼むことがある。
「夢見花の苔つきってありますか!?」
「ちょうど昨日採って来た所だからあるぜ」
「丸ごとください!」
「お、おう……」
アイリスの気迫に少々気圧されつつも「待ってな」といい先程まで居た作業場へ戻り、夢見花を三つ手に持ってカウンターへと戻る。
「苔の量が多いのはこれ、蕾つきなのがこれ、これは普通の苔つきだな」
「蕾つきまであるんですか!? 羨ましい……うーん悩みます」
夢見花は基本的に花が咲いた状態で発見することがほとんどだ。なぜかというと精霊がいたずらで花を咲かせてしまうから、というのが専らの通説である。そして蕾の状態のままのものは精霊が祝福を授けたもので、その祝福を取り出すには咲かせないことが条件なのだ。取り出した祝福はスクロールに写して高額で販売したりするという。まったく厄介な素材ではあるが、好き好んでそうしている訳ではないので夢見花に罪はない。
「ゆっくり悩んでくれや」
そうしてじっくり数十分悩んだ後、アイリスは蕾つきのを購入していった。
自分には分からないが薬の材料にでも使うのだろうと納得し、再び作業場へと戻ると、作業場ではクアットが瓶の中身を覗いている所だった。
「どうしたんだ珍しい」
「これ、小さいけれど精霊が宿っているな」
それは瓶詰にした通常の夢見花だった。
「なんだって!?」
ただの夢見花に精霊が宿るのは珍しく、恐らく売れば高額な値段がつくだろう。
ただ問題はこの雑貨屋では精霊の売買は行わないことにしている。精霊も生きており物ではないのだ。
「困ったな……」
「月の光が当たる所に置いていてやればいい、難しい問題じゃないだろ?」
「そうは言うがな」
「心配しなくても俺も手伝う」
クアットの申し出にそこまで言われたら仕方ないかとトゥエは頭をガシガシと掻いた。
「頼むぞ、精霊の孵化なんかしたことないんだから」
「夢見花の育て方と同じにしてやればいいだけだ」
「それが難しいんだよ……」
トゥエの嘆きも空しく精霊を育てることになったのだった。
2-2.
夢見花自体の育て方は単純で日中は陽の光が当たらない場所に置いてやり、陽が沈み月と星が輝き始めたらその光を浴びせてやるという夜行性の植物の育て方だった。単純だが単純ゆえに朝陽を浴びせてしまうということが多く、育てるのを失敗しやすいのだ。
数日間それを繰り返していると、ある晩透明な繭が葉先にぶら下がっているのにトゥエが気付いた。
「この中に精霊が居るのか?」
「そうだな。もうそろそろ孵化しても良さそうなんだが」
そうクアットが呟くと繭がゆっくりと膨らんでいき、パチンと弾けた。
ふわりとレースを幾重にも折り重ねたような服を身に纏った小さな精霊が孵化したのだ。
「おお……」
「ほらな」
トゥエは驚き、クアットはしたり顔でそれぞれ反応する。
小さな精霊は瓶をすり抜けて出てくるとくるくるとその場で回る。どうやら感謝の意を示しているらしい。
「契約はしてやれないが何かあったら来ると良い」
クアットが大人げなく生まれたばかりの精霊に釘を刺す。つまる所、トゥエにはもう自分という護衛獣が居ると言っているのだ。実際クアット一人で手を焼いているので断ってくれるのはありがたいとトゥエはその光景を見ながら思う。
護衛獣は高位精霊という存在なのだ。精霊同士で話し合ってもらうのが一番だ。
「ドゥエ」
「ん? なんだ?」
「話はついたんだが感謝を伝えたいらしい」
感謝も何も世話はほとんどをクアットがしたからそんなものは必要ないが、と思わなくもないがそう言われたら断れるわけがない。
トゥエが小さな精霊に向かって手を差し出すとその手に精霊が飛び乗る。
「ありがとう、あなたが珍しいからって売り飛ばさなかったおかげでちゃんと孵化できたわ」
「どういたしまして」
「本当はこのまま契約もしたいのだけれど嫉妬深い先住者が居るからやめておくわ」
ちらりと精霊がクアットの方を見ればクアットは「おい」と咎める。
「ははっ、悪いな」
トゥエが代わりに謝り、クアットが苛立ちを示すが小さな精霊はどこ吹く風と気にした様子はない。
「だからお礼は祝福だけにしておくわね」
「おい待て! お前話が違うぞ!」
クアットが精霊の身体を掴もうと手を伸ばすより早く精霊はトゥエの手の平から飛び上がると、頬に口付けを落とし「じゃあまた逢いましょう」と窓をすり抜け夜空へと飛び去って行ったのだ。
「あいつ!」
クアットが窓から外を見るがその姿はもうなく、夜空に星が輝くだけだ。
「おい! 変なものつけられてないだろうな!?」
「そんなに怒らなくても大丈夫じゃないか?」
「いいから早く確認しろ!」
「はいはい……ステータスオープン」
クアットに促されるまま、いや若干強引に、ステータスを冒険者カードから表示するとそこには闇精霊の祝福と書かれていた。闇精霊の祝福は夜目がきくこと、闇の素材の扱い方が上手くなるなどそんな感じだ。ちなみに魔法適正があれば闇魔法が使えるようになる。
「まあ、この程度なら大丈夫じゃないか?」
暢気にトゥエがそう言えばクアットは「だから闇精霊は気が合わないんだ」と愚痴る。
「お前もうすでに祝福三つはあるだろうが」
「そうなんだよなあ、でもおかげで素材が見つけやすいしな……」
「その好かれやすさなんとかしてくれ、気が気じゃない」
「どうにも出来ねえって」
げんなりとした表情でクアットは言うがトゥエはさほど気にした様子はなくいつものことだと言う。
その様子を見ながらいつかとんでもないものを貰ってきそうで困るとクアットは胸中で思うのだった。
3.輝く星
3-1.
「クー! 今夜は流星群の日だ!」
「ああ」
知っていると梟の姿のまま頷くクアットにトゥエは「なんだ知ってたのか」と返す。
「新聞で読んだからな、それに街の人間共も浮足立ってる」
「博識な相棒をもってありがたいよ……」
「それで? 毎年恒例のアレをするのか?」
「当り前よ! 一年分貯めとかなきゃいけねえしな」
この世界では一年に一度流星群が降る。
その日はどこの国でもお祭り騒ぎで、この街でももちろん毎年お祭り騒ぎなのだ。
そして実はその流星は採ることができ、尚且つ魔術媒介や食物としても様々な用途として使うことが出来るのでトゥエのような雑貨屋、錬金術師、魔術師はこの日に採集に精を出す。
「今年はどうする? ついてくるのやめとくか?」
「いや、ついて行く」
トゥエがそう言ったのには理由があり、その理由というのが昨年、クアットが流星に激突したのだ。
正確には激突しそうになったのをいなした、のだが元々はトゥエに当たりそうだったのを庇い、当たってしまった。ただ当たるだけなら問題なかったのだが、打ち所が悪くそのあと暫く動けずトゥエ一人で採集することになったのだ。
それをクアットは気にしているという訳だ、
「別にひとりでも」
「ついて行く」
「はい、わかりました」
これは置いて行ったら怒るな、とトゥエが考えているとクアットがジト目で「置いて行ったら怒るぞ」と言うのでトゥエは肩を竦めるのだった。
時刻は夜半過ぎ。二人は裏山の頂上まで来ていた。
「出来れば大きいのを三、四個採って家で砕くのが理想なんだが……」
「そう都合よくいかないだろう」
「だよなあ、まあ大き目のを選んで採るか」
「ああ」
二人は籠を背負い、落ちている輝く星を一つ一つ選別しながら拾い、背負った籠の中に入れていく。それを数時間も続ければ二人の籠は一杯になっていた。
そろそろ帰ろうかとトゥエが口に出そうとした瞬間に、流星が空から降ってくる。
ドカンと大きな音を立てて地面に衝突したそれは大きく、抱えられるほどの大きさだった。
「あれ拾って帰るか」
「そうだな」
トゥエがその大きな流星を抱え二人は帰路につくのだった。
3-2.
「さあて砕くか!」
家に帰って直ぐ作業場に直行したトゥエとクアットは輝く星を作ることにした。
作ると言っても大きなカケラを小さく砕き瓶詰にするだけなので、作業自体は簡単だが肉体労働なので中々疲れる仕事なのだ。
トゥエは大き目のカケラを手に取り、ハンマーで小さく砕いていく。
キインと甲高い音が作業場に響く。
カン、カンと音が響く度に大きなカケラがみるみる小さくなっていく。
クアットはその小さくなったカケラをガラス瓶に詰めていき、封をする。クアットが封をするのはこの雑貨屋で作られたものだと分かるように魔力を流す為で、いわゆる転売防止の印というわけだ。
もくもくと作業を続けていき全ての流星を砕き切ったあとは、瓶詰をトゥエが行い封付けをクアットが行う。一年分と言っても量は大したものではない。他店にも取り揃えてあるのでそこまで準備する必要がないのだ。それでも百瓶以上は準備が出来たので、残りの作業は後回しにし、流星は木箱に入れてクアットに保護魔法をかけてもらう。これで劣化を防げるというわけだ。
「そろそろいい時間だし休むか」
「そうするか」
ふあ、とトゥエが欠伸を噛み殺しそう言えばクアットは梟の姿に戻り定位置の店の入り口にある止まり木に移動する。
「おやすみクー」
「おやすみ」
就寝の挨拶を交わしトゥエは自室へと帰って行った。
トゥエの寝室にはリエンの写真が何枚か飾ってある。
その写真を見ながらトゥエはリエンの最期を思い出す。
「おにい、ちゃん」
「ああ」
「一人に、し、てごめんね」
あの言葉には色々な意味が含まれていたのだろう。トゥエとリエンは二人兄妹だった。生きるためには、妹を生かす為にはどんなこともやってきた。。
だからこそリエンはクアットをトゥエの為に残したのだろう。
リエンは優しい子だった。だからこそ他の冒険者に騙されて死んでしまった。
その冒険者は罰せられたが今もどこかで生きているのだろう。それを考えると腸が煮えくり返りそうな思いだがクアットと話し合いあれのことを考えるのはやめにしようと決めたのだ。
今はリエンの夢だった雑貨屋を開くことを一番にしようと。
しかし、憎しみはいつまで経ってもトゥエの中で燻り続ける。忘れたくとも忘れられないのだ。
「……寝るか」
トゥエはそう言うとリエンの写真に向かって「おやすみ」と言いベッドに横たわるのだった。
4.雨露の結晶
4-1.
雨上がりは植物たちがざわついている。
雨粒を浴びすくすくと成長する植物たちは中々の見ものだ。
だが、今回必要なのは植物についたまま取り残された雨露だ。トゥエは零さないようにと静かに雨露が残っている葉先に小瓶を近付け雨露を中に入れる。半分くらいの量になるまでこれを繰り返し、次々と小瓶の中に雨露を入れていく。途中、何度かいたずら好きの妖精に邪魔をされたがなんとか全ての瓶に入れ終わった。
あとはこれを結晶化させるだけなのだが、それは作業場で行うことにする。
中身を溢さないように慎重に歩き静かに作業場の扉を開け、作業机の上に小瓶の入った木箱を置く。
「ふう」
トゥエは一息吐くとぐぐ、と身体を伸ばした。
小瓶に栓をし、手の平で包み隠すと魔力を込めて上から下へと思い切り振る。
そうすると中に入っていた雨露が結晶化するのだ。
トゥエは手の平を開き結晶化されているのを確認すると後でクアットに封付けをしてもらうために別の箱に入れる。
全ての小瓶の結晶化が終わった所でクアットがやってきたので封付けを頼み開店の準備をすることにした。
埃をはたき落し、落ちた埃は箒で纏める。天井からぶら下がった幾つもの電灯の電球が切れていないかを確認し問題なければ商品の補充を行う。昨日は輝く星と月のカケラをいつものギャルソンの旦那がまとめ買いをしていったのでその二種類の補充をする。他にもいくつか少なくなっている商品を補充したらいつの間にか開店の時間になっていた。
扉の鍵を開け扉にかかっているカードをOPENに変えた所で、アイリス達がやって来た。ポーションの納品を頼んでいたのでそれだろうと思ったが変に焦っている。
「どうかしたのか?」
「あの、行き倒れの人を見つけて、それで薬を」
「行き倒れを見つけてな、それに薬を作ってやりたいから雨露の結晶をくれないか」
アイリスがまごまごしていると、一緒についてきていたカークがそう言う。
「ああ、待ってな」
そう言って扉を開け中に戻るとクアットが一瓶持って待っていた。
「ん」
「ありがとな、クー」
礼を言い受け取ると代金を渡し、トゥエは店の外に戻りアイリスに手渡した。
「ありがとうございます!」
「悪いな、朝から」
「気にすんなよ」
カークの言葉にトゥエはそう返すと二人は、というよりアイリスが急ぎ足で帰って行った。
トゥエはそんな二人を見送ってから店内に戻ると定位置の止まり木に戻ったクアットが話しかけてくる。
「相変わらず元気な娘だな」
「まあ、そう言うなよ。元気なのはいいことだろ?」
トゥエがそう言うとクアットは「フン」と言い目を瞑り眠り始める。
それを見ながらトゥエは苦笑しカウンターの中に入っていくのだった。
4-2.
翌朝だった。
店の開店準備を終え、一息ついた所だった。
店の扉の向こう側から言い争う声が聞こえてきたのだ。
「なんだ?」
トゥエがそう言い、見に行こうとした所でクアットが「嫌な気配がする」と言いトゥエの肩に乗ったのだ。そのまま鍵を開け、扉を開けるとそこにはアイリスとフードを目深にかぶった男が居た。
「何してんだ? 嬢ちゃん」
「あ、トゥエさん。実はこの方が」
「離せ!」
そう男が言いアイリスの腕から逃れるために勢いよく腕を振り払った瞬間にフードが肩口に落ちた。
聞いたことのある声だと思った、それも嫌な声だと。それもその筈だった。フードが外れて見えた顔はリエンを殺した男だった。
「お前……」
「チッ」
呆然とトゥエがそう言えば男はこちらを一瞥したあとに走って逃げ出してしまった。
「追いかける」
「いや、いい。追いかけた所で俺たちがやりたいことは目に見えてる」
やりたいこと。
あの男をリエンと同じ方法で殺してやること。
ただそれをリエンが望むのかと思えば望まないだろうと思った。本当は望む望まない関係なく復讐してやりたかったが「おにいちゃん」とリエンの声が聞こえた気がしてカッと熱くなった思考が冷めていった。
「すみません、お礼を言いたいって言ってたんですがお二人の名前を出したらなぜか急に急いで帰ると言い出して……」
しゅんとしょぼついてしまったアイリスに「気にすんなよ」とトゥエが言いクアットは男が逃げて行った先をジ、と見つめていた。
「今日の納品はなかったよな?」
「あ、はい! ないです」
「じゃあ悪いんだが今日は閉店してるから何か急ぎの用があったら扉を叩いてくれるか?」
「はい、わかりました」
こくこくと頷くアイリスの頭をトゥエはぐしゃぐしゃと撫でると「じゃあカークにも伝えといてくれな」と言ったトゥエとクアットは店の中に戻っていくのだった。
一人残されたアイリスは「なにかあったのかな」と呟いてから自分の店に戻っていくのだった。
店内に戻ったトゥエは小さな声で「なんであの男が」と呟いた。
「今なら追いかけられる、リエンと同じ目に合わせることだってできるぞ」
クアットの返事にトゥエは首を左右に振り否と言う。
「この街で護衛獣をもっているのは俺だけだ、すぐに足が付く。それにそんなことをお前にさせられねぇ」
「だがリエンはあいつに殺されたと言っても嘘じゃない」
「ああ! そうだよ! あいつの嘘を真に受けて誰にも相談せずに一人で行ったリエンは死んだんだ。出来るなら殺してやりたいさ!」
ガシャン、とトゥエが机の上に拳を叩きつける。
「……でもそれをリエンが望むか?」
「……望まないだろうな」
ころころと机の上を転がる小瓶をトゥエは掴むと思い切り握り締める。
「それでも殺してやりたい。リエンが望むなら……いや本当は望む望まない関係なく俺が殺してやりたい」
「なら殺せばいい」
クアットの蠱惑めいた言葉にトゥエはクアットの表情を見やる。クアットは梟の姿のままトゥエを見つめ返し「クルル」と鳴き人型になった。
「お前がしたいようにしたらいいんだトゥエ」
「俺は、」
どうしてやりたいんだ。乾いた喉に声がへばりついて出てこない、ごくりと唾を飲み込んでも声は出ない。どうしてやりたいか、なんて、殺してやりたいの答えしか出てこない。ただそれを口に出したらクアットが手を汚してしまうから、なんていい訳だった。
「……殺してやりたい」
パキ、と握り締めた小瓶にヒビが入った音がした。
4-3.
その日、とある街の雑貨屋の主人が行方不明になった。
近隣住民や取引先の相手が言うには消えてしまう前日まで特に変わった様子はなかったそうだ。
そして同日、元犯罪者の死体が路地裏で発見された。
死体は剣でめった刺しにされており、顔は分からないほどにぐちゃぐちゃだったという。
事件性があるものとしてまた雑貨屋の主人の失踪と関連性があるものとして捜査を行っている。