第90話 ある狐の一生

文字数 3,147文字

 エサルは生まれてから普通の狐として育ち、森の中で平和に暮らしていた。狐は森では群れで暮らす。
 エサルの周りには優しい狐の母親と父がいた。群れの中でもエサルたちの親子はかなり温厚だと言われていた。しかし、それで群れから爪弾きに遭うわけでもなく、普通に暮らしていた。
 しかし、当時はまだ人間と森の獣達は争いを続けていて定期的に人間は森に獣を狩りに来たり、その逆もあった。
 そして、決定的な事件が起こる。その日、エサルは群れの一員として他の狐達と一緒に餌を探していた。辺りは秋になったばかりで、皆冬の準備を始めた頃である。
 群れを率いる、狐のエリルが比較的に町に近い地域に足を踏み入れたその時、突然ガサっと音がする。
 エリル達が驚いて近くを見ると、人間達が斧や剣を持って待ち構えていた。
「ち、狐か」
 狐達はそこまで人間達との争いに駆り出される頻度は高い方では無かったが、他の狼達や強い獣達と徒党を組んで定期的に人間達を襲ったりしていた。
「どうする?」
 男達はどうするか少し迷っていたがその中のリーダーの立場の男が喋りだす。
「構わない、こいつらも他の獣達と一緒になると厄介だ。ここでやってしまおう」
 その指示に従って、男達は狐達を襲い出した。エリルは逃げるように全体に指示を出すが、かなりの人数に囲まれていて、なすすべなく殺されて行く。
 エサルは父と母について一緒に逃げ出したが、斧を持った男達が前に立ち塞がる。
 エサルの父はエサルと母に別々に逃げるように言う。
「散り散りになるんだ。早く動けば人間はついてこれない!」
 エサルの母とエサルは必死に別の方向逃げ出した。逃げながら、エサルは父が斧で切り裂かれるのを目撃する。
 父の無惨な姿が幼いエサルの記憶に焼きつく。そして、エサルが一瞬気を取られていると、目の前に男が立ちはだかる。
 男はエサル目掛けて斧を振り下ろす。しかし、瞬間エサルの母がエサルを退けて自分がその斧を受ける。エサルは転げるが、目の端にエサルの母に斧を振り下ろす様が目に入る。
 幼いエサルにはあまりに衝撃が強いが、そんなことを考えている暇はなかった。男は血がついた斧を持ってエサルを追いかけようとする。
 エサルはなんとか体制を立て直して必死でにげる。直線距離ではエサルの方が早いので、徐々に距離ができたが、転げたせいに少し痛めたのか、エサルは痛みでそこまで距離を出せなかった。しかしなんとか近くの木の裏に隠れる。
 男はエサルを見失っていたが徐々に近づいていた。
「どこだ……いるのはわかってんだ……ぞ!」
 男は近くの木に斧を切りつける。エサルはこっそりと様子を確認する。
 すると別の方向から違う男も寄ってきていた。エサルは自分はこのままでは逃げられないと悟る。だがどうしても生きたかった。
 父と母の無惨な姿が恐怖となってエサルの生存本能を刺激していた。
 すると、エサルの体の近くの地面から瘴気が立ち登る。それは瞬く間にエサルを包んでいった。
 そしてエサルが気がつくと、エサルの体は木と同化していた。男達は一瞬でた白い瘴気を不審に思ったが、近くに行ってもそこにはただの木しかないので、諦めて帰って行く。
 男達が言ってしまうとエサルの体は元に戻った。それも、普通覚醒した獣がなる白い体ではなく、普通の狐の姿だった。
 人間達が行ってしまった後の森は惨状だった。エサルは戻って母の死骸を見つけると声を殺して泣いた。

 場面が変わり、今度はエサルはサルの王のレムと森で話をしていた。
「どうして人間との戦いを辞めてしまうのです?」
 レムはすこし項垂れていた。あたりにはエサルと王の二匹しかいない。
「もう疲れたんだ……みんな死んだ。私たちも人間もな、これになんの意味があるんだ」
「人間に弱さを見せてはいけない! 奴らの残虐さを自分勝手さを知らないあなたではないでしょう?」
 王は頷いた。
「無論承知だ。しかし、向こうの長は我々の優位を認めた。森の中では我らが優先される。住むものとしての権利を勝ち得た。これ以上何が必要なんだ?」
 エサルは首を振る。
「奴らは森に入ってくる。入ってくればまた我らの領域が侵されるんですよ」
 王はエサルを見ずに歩く。
「森は我らのものでもない、我らもまたただ森に生かされているにすぎない。人間達にもまた森が必要なのだ。必要とする者を拒む権利は我らにはないよ」
「そんな……我らは森の一部です。森を汚す者達を受け入れるわけにはいかないはずだ」
 王は立ち止まってエサルを見た。
「お前の本音は違うだろう。家族を殺した人間を許せないだけだ……違うか?」
 エサルは虚を突かれて動けなくなる。
「どうして……」
 エサルの父が殺されたのは、この時点より十年ほど前になる。レムが生まれる前の話をなぜ知っているのかエサルにはわからない。
「恨みがあるのは当然だ。私もそうだからな。しかしそれはお前自身が解決しなければいけない。恨みを晴らしたければ一人で戦ってみせろ。私はもう戦いで死ぬ民を増やしたくない」
 そう言うと王はエサルを残してその場を後にした。

 エサルがいつものようにただの狐の姿で森を歩いていると、聖獣隊の制服を着た男が一人で歩いてきた。いつもなら気にも留めないが、エサルはこの男が誰なのかを知っていた。
――聖獣隊の中で唯一『大人』の人間……。
 男は監査役で何度か森に来てたまに王と言葉を交わしていた、エサルは時折人間のふりをして、情報を集めに森に出ることがあった。
 それを繰り返していくうちに、聖獣隊の情報や今だに獣を嫌っている人間がいることもわかってきていた。そして、今目の前に聖獣隊の男が一人立っている……。普段であれば特にエサルは気にすることはなかった。
 しかし、この日はいくつか特殊な状況が重なる。その男に突然、銀色の狼が襲いかかったのだ。銀狼は人間嫌いで有名だが、堂々と聖獣隊を襲うのは珍しい。エサルは突然起こったその出来事を興味深そうに見物する。
 銀狼は男の喉元にかみつこうとするが、男は剣を抜いて牙を抑える。一度、狼を振り払うと男はなんとか立ち上がった。
 しかし、銀狼は素早い動きで今度は男の足に噛み付く。男は避けれずに倒れ込むが、必死で銀狼の体に剣を突き立てた。銀狼は痛みで転げ回る。しかし男も足をやられているので立てない。
 銀狼は最後の力を振り絞って男の喉元にかみつこうとする。男は剣を振り回すが、牙が首をかすって血が出る。最後は男の剣が銀狼に突き刺さり、銀狼はその場で息絶えた。
 男は必死で動こうとしたが、首と足からの出血がひどく徐々に動けなくなっていった。
 エサルはその男のところまで行くと、もがく男の心臓に伸ばした爪を突き立てた。
 男が動かなくなるのを見届けると、ここでエサルにアイデアが生まれる。
――コイツがしんだことは誰も知らない……。
 そこまで考えるとエサルは闇世の中男を担ぐと、暗闇の夜の森の中に消えた。

 エサルは銀狼のガルムの母と会話をしていた。
「最近の人間達は度を超えている……王も腑抜けで役には立たない……私たちで人間と戦うしかない」
 エサルは銀狼達のこの剥き出しの殺意が好きだった。
「なぜだが王になると皆人間達への戦意をなくしてしまうのです……」
 銀狼はうなずく。
「我等から王を出せば、そんなことはさせない……」
 エサルは少し気になっていたことを聞いてみた。
「あなたのお子さんは草食の獣と仲良くされてると聞きます。彼もですか?」
 銀狼は笑う。
「あの子の本性は誰よりも残虐よ、それを受け入れられないから、逃げているだけにすぎないわ」
 それを聞いてエサルは少しその銀狼の子供、ガルムに興味が湧いた。
――この母を超える残虐さなら利用できるかもしれない……。


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