第1話

文字数 1,617文字

 四年前の正月明ける前、私は船上の人となっていた。退職してほぼ一年、この時を待っていた。四十数年間働いてきた自分への褒美として、このツアーに申し込んでいたのだ。ミハイル号、五・三〇〇トン。ロシアの船だ。外航船としては小さい方だろう。津軽海峡を渡るフェリーでももっと大きい。一部錆も出ていて古そうだ。だが私が利用するのはこれなのだ。夢にも見た憧れの地へ連れて行ってくれる。
 乗客は二十三人。日本人の他アメリカ人も四組八人いる。私と同室になったのは、山田さんという大阪の人だ。よくしゃべる。若いころ遠洋漁業の船で調理員をしていたそうだ。船員は皆ロシア人だ。厳めしい感じの人が多い。日本語を話す船員もいるが、だいたいは翻訳機で用事が足りる。便利になったものだ。スマホくらいの大きさで、主な言語を音声で訳してくれる。珍しいのか、わざわざ話しかけてくる船員もいる。私も買ったばかりでハマっているので楽しんで応対する。
 新潟を出航した船は南西に進む。少し揺れたが船酔いはない。三日目の朝に台湾の対岸、中国の厦門(アモイ)へ入港した。ここを出港するのは翌朝なので、乗客は皆市内観光をする。私は数人の日本人と中国料理を食べることにした。上陸すると、何だ? 足元がふらつく。地面が揺れる。いや、揺れている感じがする。動かずに立っていると特に感じる。気持ち悪かったが、歩いているうちに治まった。後で陸酔(おかよ)いというものだと聞いた。市内はぶらぶら観て歩くだけ。厦門観光が目的ではないので、お土産などは買わない。ミハイル号に戻ると、中国人の団体客が乗り込んでいた。急に賑やかになった。十八人いるそうだ。
 厦門からは南シナ海を一路南へ進む。退屈な日が続く。数万トンクラスのクルーズなら豪華なディナーや、ショーなどが楽しめるが、ミハイル号にはない。楽しみはビデオ映画とカラオケくらいだ。ミハイル号は砕氷船なのだ。客船とは構造も違う。そもそも今回の航海も南極の基地に物資を運ぶのが、第一の任務ということだ。本来は隊員が乗るスペースを利用してのツアーなのだ。当初私はチリまで飛行機、チリの南の港から南極を巡るクルージングに参加するつもりでいた。旅行社の社員との雑談の中で、ロシアから南極基地への航海で隊員が乗らず物資だけ届ける船があることを聞いた。乗客を募っているとのこと。時間もかかるし、快適ではない。しかも料金はチリ経由とさほど変わらない。が、迷った末こちらに変更した。むしろ長時間の旅の方を選んだのだ。
 船が進むほどに暑くなってくる。耐え難いなと思った頃、船長から「赤道祭」の案内があった。赤道祭とは船が赤道を超える時、どんちゃん騒ぎをして楽しむ行事だ。元船乗りの山田さんは、すぐ理解し、早速練習をし始めた。尻を引いたり腹を押し出したり、滑稽な踊りだ。
 当日、乗客と主な船員が食堂とつづきの談話室へ集まった。
 まずウォッカを勧められた。冷凍庫で零下十度くらいに冷やしたものだ。アルコール度数が高いので、凍らずドロリとしている。小さなグラスでクイッとあおる。喉から胃までカーッと熱くなる。景気づけが済むと、ロシア人船員がコサックダンスを披露し、別の船員はカチューシャを唄う。普段無愛想な船員たちが陽気なことに驚いた。歌に合わせてアメリカ人たちはダンスに興じている。
 山田さんの出番がきた。いきなりシャツを首までたくし上げ、頭を隠した。すると、彼の腹には人面が現れた。私がマジックペンで描いたのだ。乳首に目、へそには口。それだけで面白い。音楽に合わせて山田さんは腹を出したり引いたりと動く。そのたび「顔」の表情が変化する。拍手、爆笑と大喝采を浴びた。私まで気分がいい。私は数人の日本人と、カラオケで「北国の春」を唄った。これは中国でも流行ったようで、中国人との大合唱になった。
 そうして赤道を超えた。が、ますます暑くなる。南半球は夏なのだ。そんな中、恐れていた悪天候に遭遇した。
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