第9話:池田総理の名演説と所得倍増論

文字数 1,962文字

 この追悼演説は今日でも名演説として知られている。追悼演説によって世論にある程度の納得を与えて、社会党としても上げた手の降ろしどころがなくなった。その後、池田総理が、浅沼稲次郎暗殺事件の発生を受け衆院本会議場で行った追悼演説は、故人に対して「君」と呼びかけ、始まった。大正末年に浅沼の友人が、浅沼の事をうたった詩「沼は演説百姓よ、よごれた服にボロカバン、きょうは本所の公会堂、あすは京都の辻の寺」を引用するなど型破りな演説で、社会党議員が涙を拭うほどだった。

 池田のこの演説は、今日でも国会における追悼演説の傑作の一つに数えられる名演説として知られている。この浅沼追悼演説は、初めて政治というものを世論という土俵の上に引き出す切っ掛けになったという点で、戦後社会に大きな意味を投げかけた。仮に池田内閣がそれまでの政権同様、高圧的な手法でこの事件に対応していたら池田内閣はその時点で潰れていた可能性もあり世論の反発を入れて追悼演説を行ったことにより日本に初めて民主主義が根をおろしたとも論じられる。10月24日、衆議院は解散。

 10月31日に行われた池田首相の選挙向け演説は、追悼演説の時とは打って変わって社会党に対して非常に攻撃的なものだった。11月20日、投開票された第29回衆議院議員総選挙では、自民党は追加公認込みで300議席と圧勝した。社会党は18議席増の145議席だったが、民社党離反の痛手を埋めるには至らなかった。民社党は23議席減の17議席と惨敗した。そして社会党は、浅沼の追悼ムードが薄れると構造改革をめぐる党内抗争に突入していった。

 また、経団連「旧経済団体連合会」会長で東芝の石坂泰三社長は「暴力行為は決していいものではない。だがインテリジェンスのない右翼の青年が、かねて安保闘争などで淺沼氏の行為を苦々しいと思っていて、あのような事件を起こした気持もわからないではない」と山口に同情的な発言をしたため、批判を受けた。経団連は自民党の有力な支援組織であるが、社会党にも少額の献金をしていた。社会党から民社党が分離し経団連では社会党への献金を中止すべきとする意見が出されていた。しかし石坂社長の失言で、民社党への献金とは別に社会党への献金も続けることになった。

 1960年12月27日、池田首相、所得倍増計画を発表した。1960年7月19日に池田は、内閣総理大臣に就任し9月5日に「所得倍増論」の骨子を発表。「今後の経済成長率を経済企画庁は。年率7.2%といっているが、私の考えでは低すぎる。少なくとも年率9%は成長すると確信している」「過去の実績から見て、1961年度以降3ヵ年に年平均9%は可能であり、国民所得を1人あたり1960年度の約12万円から1963年度には約15万円に伸ばす。これを達成するために適切な施策を行っていけば、10年後には国民所得は2倍以上になる」

「9%程度の成長がないと10年間で完全雇用と生活水準を西欧並みに引き上げることはできない」などとした。経済成長率年平均9%は、池田の裁断で決めたといわれ、外人記者は「ナイン・パーセント・マン」と打電した。「所得倍増論」は、はじめは非現実な人気取りと見られ、野党、エコノミスト、マスコミ、一部与党内、また多くの国民の反応は冷ややかで、実現不可能と思われていた。また実現したとしてもインフレと物価上昇が起こり、実質賃金が上がるわけではない、話がうますぎる。「絵に描いた餅だ」などと懐疑的に見られていた。

 都留重人は「日本経済は伸びているように見えるが、それは『回復であって』成長ではないなどと「所得倍増論」は、本質を見誤った錯覚と切り捨てた。エコノミストの多くは「所得倍増論」を愚かな暴論としか取り扱わず、痛烈な批判を浴びせた。しかし池田は、国際政治経済の大きなうねりや国内に於いても東京オリンピック開催に向け、大規模なインフラ整備という公共事業が控えていたこと。さらに家電分野を中心に技術革新が始まっていて農村を中心とする地方からの勤勉な労働力にも恵まれているといった国内外に於ける成長へのうねりを見据えていた。

 9月7日の記者会見で「憲法改正はいま考えていない」と発言、憲法改正を棚上げすることで国民の懸念を和らげるとともに、経済重視の姿勢を強調した。翌日は選挙遊説のスタートを「新政策発表会」と称して、共立講堂で行い、テレビ全局で生中継された。11月20日の第29回衆議院議員総選挙で自民党は当時戦後最多の296議席を獲得して圧勝した。12月8日に、第2次池田内閣が発足すると、「所得倍増」を目指す構想は実行に移り、12月27日に「国民所得倍増計画」が閣議決定する。計画は第一表「将来人口」から始まる26個の計画表からなっていた。
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