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『ジークフリート・ノート』と脳医学

『アンメット』という医療マンガを読みました(まだ途中まで。ネットで)。
天才脳外科医が主人公で、いろんな症例と、人間ドラマが描かれます。
すごく面白いですけど、その紹介ではなくて、
いま自分の小説『ジークフリート・ノート』を見直していて、けっこう脳医学に関係した箇所があるのに『アンメット』のおかげで気づいたので、
それをここに書いてみようと思います。

ケース1:ベンノくんの「失語症」
王子の侍従のベンノくんが失語症である、というのは、もちろん私のオリジナル設定です。
というか、原作はバレエだから、誰も話しません(笑)。みんな身ぶり手ぶり。
そういう人がリアルに身近にいたらどうだろう?と思って書きました。
リアルに、会ったことがあります。病院のラウンジで、若くてきれいな男性がリハビリを受けているのを見ました。(コロナ前)
たしかカードで「桃太郎」のお話を再構成する、みたいな……
無言で苦闘している彼の姿に、衝撃を受けました。

でももっと驚いて、もっと感動したのは、
リハビリの後、若い奥様と小さなお子さん二人がお見舞いに来て、
お子さんたちと笑ってたわむれているお父さんは、どこにも不自由なところがなかったのです。

『アンメット』には、「非言語コミュニケーション」の重要性が書かれています。
表情や身ぶりなどのことです。
(脳医学の名著、オリバー・サックス『妻を帽子と間違えた男』にも書かれています。)
人間、かなりの部分は、非言語コミュニケーションで大丈夫らしいのです。
じっさいに失語症の人に王室の侍従が勤まるかは、ちょっとわかりませんが、
勤まるといいなと思って書きました。
『ジークフリート・ノート』には竜も宇宙船も出てきませんが、こういう所がファンタジーなんです。
『アルジャーノンに花束を』に竜も宇宙船も出てこないのと同じです。

ケース2:オデットちゃんの「失認症」
オデットちゃんが成長したジークフリートくんに会って、誰だかわからない、という設定も、私の中から自然に出てきたものなんですけど、
読み返すほど、どんどん「これ大丈夫かな、無理があるかな?」と不安になっていました。
全部書き直さなきゃいけないかも、とまで思い詰めたことさえありました。

結論から言うと、その必要はなさそうです。
『アンメット』によると、人の顔かたちがよくわからない「相貌失認症」は、なんと人口の2%もいるらしいのです。

私自身が失認症かどうかわかりませんが、たぶんかなりグレーゾーンではあると思います。
大好きな俳優さんが、他の映画で他の役を演じていると、気がつかないレベルです(気がつくときもあります)。
自分はすごくダメなのだと思ってずっと悲観していたので、そうではなく、脳の一部の働きが弱いだけなのだと知って、
しかもそんなに珍しいことではないと知って、ほっとしました。
(全体の2%が珍しいかどうかですが、教室に50人いたらそのうち1人、と考えると、めちゃくちゃ普通の数だと私には思えます。)

ということで、オデットちゃんがジークフリートくんの顔に気がつかないのは、じゅうぶんあり得る設定でした。
相貌失認症の人は、たいてい他の要素、相手の雰囲気や服装やしゃべりかたなどで補っているとも、『アンメット』に書いてありました。
そうなんです。
(だから服装や雰囲気やしゃべりかたを変えられるとわかんなくなっちゃう。(>_<))

ただ、『アンメット』にはちょっと誤解をまねく部分もあって、
失認症の人が、相手の顔を見るシーンで、彼女ビジョンで相手の顔の部分がもや~となっている絵があるんですが、
もや~ではないです。はっきり見えます。誰だか思い出せないだけで。
(たぶん500回とか見れば覚えられるんです!)

『ジークフリート・ノート』は、人種やLGBTの他にも、ハンディキャップの話が入っていたわけですけど、
べつに何か差別を訴える話ではないです。
どれも、それぞれの子の「個性」だと思っているので……。
友人が
「バリアフリーなんて言葉がなくなったら、つまりバリアフリーがデフォルトになったら、初めて本当のバリアフリーだよね」
と言ってました。
そのとおりだと思います。
そんな物語をこれからも書いていきたいです。

2023年 04月23日 (日) 23:17|コメント(0)

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