第4話(新しい母親・成幸小学3年生)

文字数 2,850文字


 この写真は小学3年生の成幸である。

 しばらくすると入れ替わるように彼の家に新しい2番目の「母親」がやって来た。
 「シゲ、おみゃあ、ちょっとこっち来てくれや」
 成幸が学校から帰ると栄吉はそう言って居間に成幸を引き入れた。
 「え?なんだ」
 栄吉は何とも言えぬ照れ笑いを浮かべている。

 目の前には髪にパーマをかけた細面の若い女の人が座っていた。
 「シゲ、今日からうちに来てくれる新しいおかあさんだでよ」
 「こんにちは。よろしくね」
 その女性は笑顔満面で成幸にそう言った。
 成幸はわざとちょっと驚いてみせたが、
 もうこんなことには心が慣れている。
 そうしなければならないように成幸も無理に笑顔をつくった。
 空しい気持ちと妙にしらけた大人びた自分の気持ち。

 小学3年生。
 新しいおかあさんと言われても子どもの心には理解も折り合いもつくわけはない。
 父さんが勝手に連れてきた人というだけの「母」。
 その「母」の作り笑顔には何の愛もなかった。
 小さい頃から一人ぽっちの寂しさには慣れている。
 成幸はカバンを放り出すとさっさと外へ遊びに行った。
 
 父親の栄吉の腰の定まらない性格は子どもの成幸にもよくわかっている。
 父親は優しくて人の面倒見もいいのだが一か所に安定して定まるということがない。
 いわゆる人の好い浮気性というのだろうが、子どもの成幸にもそれはわかっていた。
 でも、そんな父親が成幸はなぜか嫌いではなかった。

 この「母」は半年ほどするといつのまにか出て行った。
 知らない間に家にはその人はいなくなった。
 またしてもさようならもなく。
 
 女性は父親と同居していただけで籍は入れていなかった。

 するとしばらくしてまた新しい「母」の女性がやってくる。
 そういうことの繰り返しだった。

 成幸には「母」の愛情というものがどういうものかがわからない。
 時々母がいなくて寂しいという感覚もあったが、
 もともと本当の母の愛というものを知らないから
 愛しさ、甘え、憧れのようなものはぼんやりあっても
 実感として母の愛はわからなかった。

 近くの長屋に住んでいる「おばあちゃん」のとめが成幸の母親代わりだった。
 「おばあちゃん、何かオヤツくれや〜」
 学校から帰ってお腹がすくととめの所に行ってはねだった。
 とめは目を細めながら、
 「ええよ。ええけど、その前におばあちゃんの肩を叩いてくれんかなも」
 「よっし、今日は100回叩いたげるで、美味いオヤツをくれえ〜」
 おばあちゃんには甘えられる。
 おばあちゃんの所へ行くのが成幸はいつも楽しみだった。
  
 後年、舟木は「おやじの背中」というタイトルの芝居を公演している。
 栄吉はまさに破天荒な親爺であり同時にまた優しく豪快で、ユニークな父親だ。
 その姿を芝居にしているのだが、
 いつもなら次の新しい女がすぐ入れ替わりで家にやってくるはずなのが全然来ない。
 半年も、1年も、1年半経ってもまだオヤジは「女」を家に呼んでくる気配はない。
 不思議だな。
 どういうわけだろう、と子どもながら成幸は奇妙に思っていた。
 成幸も幼い頃から家庭の事情が複雑なだけに大人の気持ちを斟酌する癖がある。
 いわば子ども「らしからぬ」世渡りの知恵のようなものも身に付けていた。
 いよいよオヤジはお金に困って「女」に手を出すゆとりもなくなったのか、
 そんな大人びたことを小学3年生の成幸は考えている。

 そんなある日の事。
 成幸が小学校3年の時、子どもの自分にしてみればちょっとした大事件(?)が起こった。
 夏の夕方だった。まだ昼間の暑さは残っている。
 成幸は家の縁台に腰をかけてうちわをあおいでいた。蚊が飛んでくる。
 その時だった。ガタガタっという大きな音とともに玄関の戸が開いた。
 振り向くと栄吉がイノシシのように大慌てで走って突入してきた。
 オヤジは靴を履いたままだ。

 栄吉は血相を変えて奥の間のタンスの中の札束をわしづかみにして懐へ。
 するとまたすぐに大慌てで外へ出て行った。
 成幸はぽかんとして栄吉の後ろ姿を見送っていた。
 何かあったんだ、とは思ったがもちろん何のことかわかるわけもない。
 オヤジはまた何かやらかしたな、
 ということだけはわかった。
 
 やがて、しばらくすると大柄な人相の悪い男が玄関の戸を叩いて入って来た。
 その目が血走っている。
 「おい!おやじはどこだ!」
 男は成幸を睨み据えると大声で叫んだ。
 その手に握られているものをみて成幸は瞬間あっと驚いた。
 西部劇でよく見るような旧式のピストルだった。
 思わず身体が震えた。
 「今、ここへ親父がきただろう!どこへ行った?」
 男は怒り狂ったような声を張り上げている。
 
 男は興奮しているがその様子を見て成幸はこれは脅しの芝居だと思った。
 子どもだと思って脅しているのだ。
 すると妙に気持ちは落ち着いてきた。親父をかばおうという心理が働いた。
 「えっと、えっと、あのう、・・・こ、これは、いったい、どう、どうしたんですか」
 わざと言葉が出ないような顔をしておどおどと口ごもって時間かせぎをした。
 栄吉は電車に飛び乗るために大急ぎで駅へ向かったのだろう。
 萩原駅まで歩いて6分。大人が走ればもっと早い。

 成幸はわざとおどおどと怖がって震えているような演技をして時間かせぎをした。
 男はピストルを突き付けながら苛立った声を張り上げる。
 「おいこらあ!なめんなガキ!おやじはどっちへ逃げた、言え!」
 恐ろしい形相で男がにらみつけた。

 その時駅の踏切の遮断機の鳴る音が聞こえて来た。電車が駅を出て行く音だ。
 成幸には父親は無事電車に飛び乗ったことがわかった。
 成幸はほっとした。ゆっくりと落ち着いて、
 駅と反対の方法を指さして「あっちの方へ行った・・・」とわざと小さな声でつぶやいた。
 男は「くそったれ!」という言葉を吐くとそっちを目指して飛び出していった。

 その夜遅く栄吉は家に帰ってきた。
 「ったく、ひでえ目に合うところだったイ」
 そう言ってぼやいていたがそれ以上栄吉は多くを語らなかった。
 借金取りだったのだが、
 成幸は黙っていた。
「心配かけたな、悪かったな、シゲ」
 栄吉はそう言った。
 栄吉の成幸を見る目は優しく穏やかだった。
「ああ、オリャあ、大丈夫だ」
 成幸は笑いながら大人びた返事を返した。

 父子ともにお互いにいろいろ語らずとも不思議な共生感を持っていた。
 父親も詳しいことは語らないが成幸も根掘り葉掘り今日の出来事を聞こうともしない。
 うらぶれ者同士。親友同士のような感情がある。

 結局こういう調子で、
 小学校6年生までの間に8人の「母親」が成幸の前に表れては消えていった。
 成幸はもうこういうことに慣れ切っていた。
 なるようになったらいい。
 小学生の成幸は大人の目線で物事を見るようになっていた。
 心はまだ母親というものへの憧憬はあるけれどこういう生活はもう平気だった。
 どうなっても平気。
 いつもそう自分に言っていた。
 


 
 
 

 
 

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